Toshi-shi の まち遊び日記 ■
     I N D E X 2002    

 日英田園生活比較 (2002.12.26)
 日本の住まいの20世紀から引き継ぐもの (2002. 7.27)
 ユニバーサルデザイン (2002. 7.25)
 まち育ては愛、愛は突然に・・・ (2002. 3. 8)
 まちなか居住と商業 (2002. 3. 1)
 津山福祉住宅研究会 (2002. 1.11)
  I N D E X 2001 
2001年の日記はこちらから。



 日英田園生活比較 (2002.12.26)
 今回のイギリス旅行に対する個人的な関心の一つに、イギリスにおける田園地域への定住志向と実態を見たいということがあった。それというのも、春先に読んだ「コンパクトシティ」(海道清信著・学芸出版社)にあった次のような記述に、深く興味を抱いたからに他ならない。

 もちろん私がこの4月から足助町に派遣され、「山里あすけ仲間づくり にこにこ(2戸2戸)さくせん」を始めとする定住施策に、職務として関わるようになったことも大きい。

 さて、私がイギリスに降り立って向かったオックスフォードへの車中、最も強く感じたのは、「イギリスってロンドンを30分も出ると、北海道が広がっている」ということだ。このフレーズはその後イギリス旅行のことを聞かれるたびに真っ先にしゃべっている言葉だ。道路沿いに延々と建物や看板が立ち並び、次第に少なくなってきたかと思うとまた次の街がある、といった日本の車窓に慣れた人間には、突然ふっつりと家屋がなくなり、牛や羊が草を食む牧草地帯が地平線はるかまで広がる景観には感動すら覚えた。加えていっさい野立看板がない。(実際には一つだけ手作りのみすぼらしい野立看板を見かけた。脱線ついでに看板の印象を綴ると、「FOR SALE」とか「FOR RENT」と書かれた看板は道中でよく目に付いた。マクドナルドの看板に対する配慮や突出し看板がないことなどはよく言われるとおりだが。)

 今回はオックスフォードやウィンチェスターなどの地方都市に加え、今イギリスでもブームという田園地域コッツウォルド地方も廻った。その間もちろん延々と牧草地帯を走ったほか、ストーンヘンジからバースに向かう途中では、農村集落の中を通り、のろのろ走る農業用車両にじりじりすることもあった。しかしこうした農村地帯もほとんどは牧草地帯であり、野菜や穀物畑というのを見かけた覚えがあまりない。第一、食事の中に青物・菜物がほとんど出てこないしあまり売ってもいないと聞いた。旅行中で見かけた植物を栽培している場は、オックスフォードのブルックス大学に向かう裏道で見たあまり手入れされていない小さな菜園と、ジェフェリー博物館で見たハーブ園位ではなかったか。
 ちょうどイギリスを旅行した時期、足助では町を車で走ると必ず、田んぼの土手をエンジン付きの草刈機で除草する人の姿を目にした。私自身、町営住宅や町営宅地の草刈を何度も行い、刈っても刈っても生えてくる雑草に大いに閉口していた。ところがイギリスではどうもこうした手間をかけなくても雑草が生い茂るということはないらしい。自然が日本と違って、ずっと穏やかで御しやすくできているようだ。レッチワースなどで見た中庭も芝や木々がきれいに手入れされ、美しさを誇っている。反面、日本のように収穫の喜びを感じることは少ないのではないか。土に手や顔を汚し、虫の襲撃や肥料の臭いに悩まされながらも、大きく育った野菜を収穫する喜びに浸る、というのは実に日本的田園生活なのではないか。

 イギリスから帰った後に読んだ「階級にとりつかれた人びと―英国ミドル・クラスの生活と意見」(新井潤美著・中公新書)では次のような記述がある。

 こうした田園地帯へ18世紀初頭以降力を持ち始めた経済的に裕福なミドル・クラスが移動を始め、さらに「つねにエスタブリッシュ確立したミドル・クラスを模倣してきたロウアー・ミドル・クラス」が続き、セミ・ディタッチドの住宅を造る。こうした流れの中でイギリス人の田園志向を捉える必要がある。
 すなわち、彼らは田園生活をその生活内容に惹かれて選択するというより、階級社会におけるより上位の階級模倣(「階級にとりつかれた人びと」では「リスペクタビリティ」という言葉が使われる)という側面の方が強いという指摘である。
 しかし単純に階級模倣だけで捉えないほうがいいかもしれない。旅行前に読んだ「日本型都市計画とはなにか」(西山康雄著・学芸出版社)には、イギリス田園都市論が取り上げられ、次のように記述されている。


 一方、足助で定住を希望して役場に訪れる人々の思いは大いに異なる。正直、足助で働くようになるまで、これほど定住希望の問合せがあるとは思ってもいなかった。4月に赴任以来、定住希望者ファイルを作り整理しているが、9月までの6ヶ月間で既に42名が登録されている。これとは別に、「にこにこ(2戸2戸)さくせん」に参加した者が66世帯。それ以前に定住希望の問合せがあった者も含めて300名以上に「にこにこ(2戸2戸)さくせん」などのDMを送っている。これら希望者の年代は50歳代が圧倒的で、「定年後、田舎でのんびり暮らしたい」という声が多い。
 「にこにこ(2戸2戸)さくせん」来訪者のアンケートでは、総数52世帯のうち、代表者の年齢50歳以上が28世帯54%を占め、40歳未満は14世帯27%に過ぎない。またそのほとんど(77%)が名古屋及びその周辺尾張部から来ているのも特徴的である。
 アンケートに書かれた「定住したい理由」には、「自然の中で暮らしたい」「自給自足的農業をしたい」「ゆったりした老後を」といった意見が並び、「建築したい住宅」には「ログハウス」「純和風建築」といった意見が並んでいる。また若い世帯では「職を探したい」と書かれたものもいくつかみられる。
 これらを見ると、基本的に生活重視、自己実現の一環として居住地選びをしていることがわかる。自然的環境を評価しているのであって、一方、公益施設の不足や交通の不便を心配する声も多く、町並みや景観なども含めた総体的な住環境として評価する意見は少ない。

 ところでこうした田舎志向に対して、足助町を始め日本の山村では、しゃかりきになって定住施策を進めるのであるが、イギリスの田園居住に対する姿勢は、ケティ先生へのヒアリングでも聞かれたとおり、相当に否定的・抑制的であって興味深い。
 これには、厳しい土地利用規制がかかり、原則建築許可という都市計画制度や、中古住宅を売買又は賃貸する市場の成立が背景としてあげられる。しかしこれを成立させている要因として、建築物の構法の違い、すなわち石やレンガでできているということも大きく影響していると感じた。
 一旦、石やレンガで造られた建物を取り壊し、再度建築することは、特に現在のような機械力のない時代には相当に大変だったのではないか。それがリフォームを繰り返し100年以上も建物を使い続ける要因となっているように感じる。加えて、気候的にも木材部等の腐朽の度合いも少ないだろう。基本的に長持ちする環境なのだ。
 なんてことを三宅先生に言ったら、「壊してレンガを再利用しているケースは多い。必ずしも壊すのが大変というわけでもないんじゃないか。」と言われてしまったけれど、どうなんだろう。

 いずれにせよ、今回イギリスに行って田園地帯を見てきたことは、足助で定住施策を進める上でも大いに啓発された点が多い。少なくとも日本においては、「にこにこ(2戸2戸)さくせん」をよりよい住環境づくりという観点でのみ進めるのでなく、田園生活そのものへの夢やあこがれを現実の定住生活に結び付けていく方策、生活像に具体性を付与していくことを重点的に進めていく必要性を、イギリスとの違いを見る中で、改めて強く感じた。
 具体的には、「にこにこ(2戸2戸)さくせん」を当初予定していた交流会と分譲説明会だけでなく、定期的に定住セミナー等を開催し、地域とも交流する中で、定住後の生活に安心感と具体性を与えていくことを計画している。
 それは住宅施策ではない、とお叱りを受けそうだが、それが日本の実態であり、イギリスとの違いであると感じた。




 日本の住まいの20世紀から引き継ぐもの (2002. 7.27)
 日本建築学会東海支部都市計画委員会主催の標記の講演会に出席してきました。共催に、NPO法人 西山卯夘三記念すまい・まちづくり文庫(以下「西山文庫」)。ちょうど7月中旬から、名古屋都市センター11階ギャラリーで、西山夘三の業績を振り返るパネルと名古屋地域での住まい・まちづくりを紹介するパネル展が行われていることを記念して開催されたものです。
 講師には、西山文庫で西山先生の膨大な資料の整理をされた、近畿大の安藤元夫先生と、この地区を代表して、中部大の佐藤先生。そして両者と三重大浦山先生を加えた鼎談の3部構成。もっとも残念ながら、私は都合で、1部の安藤先生の講演だけで退席してきてしまいました。
 安藤先生の講演タイトルは「西山夘三が生涯めざしたもの・21世紀に生きる私たちへのメッセージ」。西山先生の資料整理から始まった西山文庫の活動から始まって、食寝分離論を始めとする西山先生の研究の略歴、ライフワークとしての「日本の住まい」、自らの住まい・生活体験をモデルにした著作の紹介、中高校生時代の漫画や小説など、西山先生の人となりを余さず紹介され、まさに圧倒される思いでした。
 「研究力は、研究能力よりも、それに数倍する情熱、努力、生きる力から」という講師の主張はよく伝わったと思います。私のようなグータラ者にはとてもまねのできない仕事とは言え、少しは身にしみたでしょうか。



 ユニバーサルデザイン (2002. 7.25)
 (社)地域問題研究所主催の「ユニバーサルデザイン」をテーマにしたゼミナールに出席。講師は、熊本県企画課の佐藤さん、浜松市都市計画課の鈴木さん。そして(株)川口建築都市設計事務所の川口さん。前の二人はいずれも行政の方で、いずれもこの(平成14年)3月に、ユニバーサルデザインに関する計画を策定した。「くまもとユニバーサルデザイン振興指針」と「浜松市ユニバーサルデザイン計画−U・優プラン」だ。
 しかし両者では所管している部署が違う。熊本県は企画課で、浜松市は都市計画課。講義後の質疑応答でも、この点について質問が飛んだ。全庁的な施策展開という点では、企画課の方が適当だが、具体の施策推進となると事業課の方が早い。この点は行政内部の体質や首長の姿勢にも左右されるが、それぞれ違う部署が担当し、内容も若干はそれぞれの特徴が出ている。
 熊本県は、熊本市電にいち早く超低床車両を取り入れるなど、バリアフリーの取り組みも比較的早い県の一つ(のよう)だが、バリアフリーの功罪として、建物・道路のバリアはハード対応が可能だが、心のバリアはそれを言うことで却ってバリアをつくっていないかと反省したところから、ユニバーサルデザインに発展した、という話はわかりやすい。アメリカでは、ロン・メイスの主張を、1960年代からのアクセス権運動の中で、権利問題として捉え、発展普及した。一方、日本は弱者への福祉対策という視点から抜けきっていない、と分析する。
 また、ユニバーサルデザインには「バリアフリーのような基準がない」と言い、「ユニバーサルデザインとは思いやり」と言うのは、まさしくそのとおりであり、だからこそ難しさもある。川口さんからは、「バリアフリーは手法だが、ユニバーサルデザインは思想だ」という発言も聞かれた。
 川口さんは、静岡市に事務所を置き、もっぱら清水市を中心にまちづくりコンサルタントを行ってきた。ユニバーサルデザインと言っても、「もの」の場合は選択に委ねることもできるが、「まち」となると一つしかないだけに事は難しくなる。「全ての人のためのデザインは可能なのか」という問いは当然発せられてしかるべき問いだ。そこから、「少しでも多くの人」のための「住民参加」。「作ったときから不完全を認める勇気」といったコメントが生まれる。不完全を認める=無謬性からの脱却。そして、できたこと、できないことを明らかにし、常に修復・改善しながら使い続けるストック管理型社会を提言する。
 そうは言っても現実には、マニュアルを求めるのは住民であり、住民参加も行政主導、免罪符、声の大きい人だけの参加になりがち。川口さんからは、「やさしさ・親切の否定」という衝撃的な発言も聞かれた。やさしさや親切でカバーしようとしてもしきれない部分がある。ハードでできることとソフトで対応することの区分。行政でできることと市民が対応することの区分。これらを冷静に見極めていくことが、住民参加の先の利害の不一致を調整し、思想としてのユニバーサルデザインを支えることになる、ということだと思う。



 まち育ては愛、愛は突然に・・・ (2002. 3. 8)
 「コーポラティブハウジングと高蔵寺NTのまち育て」というテーマで、愛知県住まい・まちづくりコンサルタント協議会主催の交流会が開かれました。講師はふだん顔を合わし一緒に活動をしている黒野さん。なまじよく会うので、コーポラティブやまち育てについてわざわざ書くこともなかったが、よい機会なので、彼の話をまとめてみました。
 まず、黒野さんが住むコーポラティブハウス「木附の里」から。10軒で構成される長屋建てコーポラティブハウス「木附の里」は、連空間都市設計事務所の田中さんとアトリエプランニングの寺島さんがペアとなって始めた企画だが、当時たまたま寺島さんの事務所にいた黒野さんも一緒になって仲間集めを始めました。高蔵寺NTの中層賃貸住宅を中心に足を棒にしてチラシを配ったが、手応えなし。たまたま田中さんに関わりのあった学童保育の仲間を中心に、芋蔓式で情報を伝えつながった10軒が集まった。このうち8軒は同じ市営住宅に住む家族。コーポラティブハウスの検討会に出るのは片親だけということもあり、家族全員に伝えようとニュースレターを発行し、家族紹介や希望間取り紹介を行った。お互いの間取りを見て批評し合うことで大いに触発されたとのこと。
 スキーツアーやバーベキュー大会をやるだけでなく、元イラストレーターの人が手書きの看板づくりやペインティング、会計士もいれば木工好きもいるとメンバーは役者揃い。芝生の前庭に出されたパラソルとベンチがカフェテリアとなりみんなの集まる場所となるとは、設計者も全く意図していなかった。みんなで家庭菜園を借り、田圃を借りて「コメコメ倶楽部」を結成。これには住人以外も参加しているし、地域の棒の手保存会に顔を出せば、すっかり地域の若衆となる。ここまでの展開は全く見事の一言。こうしてコーポラティブハウスの理想を次々と実現していきました。
 この木附の里の完成を機に、田中さん、寺島さんといった関係者に、木附の里の住人、さらに当時名城大学にいた延藤先生を始めとする地域の専門家も加わり、安住の会が発足します。その後、第2のコーポラティブハウスはなかなか実現しないが、コーポラティブハウスに関心を持つ住まい手による組織「コポラ倶楽部」も発足し、現在は名古屋市緑区大高地区で参加者集めをしているのは周知のとおりです。
 さらにこの活動は「高蔵寺ふれあいパブ」につながっていきます。これは木附の里の黒野さん宅の居間を、月に1度、地域に開放しているもので、高蔵寺NTに居住する様々な方(タウンニュース発行者、不動産経営者(ショッピングセンターに賃貸)、NPO関係者に大学研究者、高蔵寺NTセンター管理会社職員等)が集まり、持ち寄りの酒やつまみを前に活発な議論がされています。
 その議論の中で生まれたのが、センター地区にセンター管理会社が所有する空き店舗を活用したコミュニティスペース。地元のケーブルテレビ局春日井テレビと地元起業のアイリスホームが借りたスペースはウエルカム横丁と名付けられ、地域の子育てグループ「アット・ワン」が一画を借りてコミュニティ活動展開のつなぎ役となっています。まだ始まって半年余りで、必ずしも円滑に機能しているとは言えませんが、プラザ会をつくろうという動きもあり、今後さらに展開していきそうです。
 またこうした動きと平行して、国土交通省からニュータウン調査の依頼があり、研究会が発足。それが縁となって、多摩NTで多様な活動と暮らしを支援するNPO法人「フュージョン長池」とも交流するなど、ますます交流の輪が広がっています。
 これらの話に呼応して、都市公団の小池さんから語られたのが、500の会の活動。これは16年前に、高蔵寺NT内に500席のホールが完成したことを契機に、NT内のクラシック好きのメンバーが中心となって、会員制で組織した500人限定のコンサートの会。年3回のクラシックコンサートには、千住真理子や錦織健といった著名な音楽家も招待して、会費が8,000円。実はこれには私も参加しています。
 考えてみれば500の会は、全くのボランティアの任意団体による企画運営だが、500人×8,000円=年間400万円の売り上げを持つビジネスと捉えることもできる。しかしてその原動力は個人の楽しみ。一方、参加する会員は、けっして寄付としてお金を納めているのではなく、8000円という代価に見合うサービスを期待しています。まさにコミュニティビジネスとはこういうことなんだろうなあと実感しました。

 公共(パブリック)に支えられながら、経済活動(ビジネス)の中で日々を送る我々の生活の中で、コミュニティや地域とはどういう存在かということを考えると、たぶん、両者だけでは支えきれない生活があって、その多くは家族や親戚が、それでも補えない部分でコミュニティが果たす役割は必ずある。だからといって、通常はその必要に応じて、地域の町内会活動に参加したり、PTAや主婦のネットワークと関わっていく。その関係はビジネスのサービスと代価の関係と同じではないか。
 それ以上のコミュニティへの主体的な関わり、例えば黒野さんの活動のようなものは、みんなが取り組まなければならないものではなく、活動したい人が自らの楽しみで関わっていく種類のもの。もちろんPTAのように必要に迫られ、誰かが犠牲となるということもあるけれど、基本は自らの発意によるのでしょう。そしてそれは誰でも"やりたい"と思うものではない。
 ではどうして黒野さんはそうした活動にこんなにも積極的に関わっていったのか。そんなことを考えていたら(本当は夜の懇親会で黒野さんと飲み交わしていたら)、突然ひらめいたのが、「まちづくりは愛。愛は突然に・・・」のフレーズ。
 そう、黒野さんは「高蔵寺を愛してしまったのです」。都会で育ち様々な街を渡り歩いてたどりついた高蔵寺で巡り会った「あたたかい人のつながり」。黒野さんはそこで人々の愛に遭遇し、恋に落ちてしまったのではないか。そう考えると、都市公団の人たちが語る高蔵寺NTへの想いは、育てた我が子に対する愛になぞらえることができるかもしれない。私の場合は、・・・生まれ育った蒲郡の地に、母への愛を感じているのかもしれない。まち歩きを楽しんでいるのは、ただに浮気者。
 とすれば、「まちを愛そう」なんてスローガンは大きなお世話。愛は強制されて芽生えることなどけっしてない。まちへの愛は、恋愛のように突然に訪れるものだから。



 まちなか居住と商業 (2002. 3. 1)
 中心市街地の居住をいかに再生するか、という視点からの講演を2つ聞きました。一つは再開発事業のコンサルタントを数多く手がける(株)アール・アイ・エーの桜井さん。もう一つは、ストア・マネジメント・オフィスの市野さん。桜井さんからは、まちなか居住推進の課題として、「思い出」地価にとらわれない土地評価、所有と利用の分離の徹底やつくば方式と組み合わせたまちづくり会社の設立といったアイデアが飛び出し、再開発事業に軸足をおいた堅い話の中でも、現状の認識を踏まえた現実的な対応が語られました。先日読んだつくば方式に関する本「新・集合住宅の時代」でも、都心部におけるつくば方式の可能性が示唆されていましたが、あまり重たい事業は考えず、容易に取り組め魅力のある事業を考える必要があります。そういう点でもつくば方式は確かに検討に値すると考えられます。
 また市野さんは、地元半田市の鞄屋の跡継ぎであり、西武百貨店に勤めた経験を生かし、中小企業診断士の資格を有する商業コンサルタントです。また地元に設立されたTMO会社「(株)タウンマネージメント半田」の役員であり、知田半田駅前市街地再開発準備組合の理事長も務められている、若干40前後の好男子です。
 駅前>郊外と来て、次は家庭で全てがまかなえる個人の時代になる(キーワードは、創造性・協調感性・個人文化・一人十色)という大胆な予測(愛知県大・小栗さんの受け売りだそうですが)から始まった話は、とても面白く示唆に富んでいました。
 プロダクト(商品)、プライス(価格)、プレイス(販売経路)、プロモーション(販売促進)の4Pで説明されるマーケティング・システム。店舗売上高=客数(通行量×入店率×買上率)×客単価の式で表わされる、商業サイドから見たまちなか居住推進の必要性など、大変わかりやすい。
 住宅供給で標的とする居住者と、商業活性化で取り組む購買層を連動させることで、相乗効果が生まれるという視点から、ターゲット市場を明確化し街のイメージをつくることで、新たな業態の小売業・サービス業の誕生・集積を導き出そうという提言もありました。例えば若者が住みたいと思う街、高齢者にやさしい街、子育ての安心な街。こんなイメージづくりが商業活性化にもつながるという提言は、なかなか連携しにくい商業と都市・住宅施策を結びつけるでしょうか。
 空家・空テナント問題についても、不動産経営が目的だと難しいが、廃業して倉庫代わりになっているような店舗であれば、安心して貸すことのできるテナントを紹介することで、相場より安い家賃で借りることも可能、という話は、西陣町家倶楽部に通じます。
 ところで、最近のショッピングセンターは大型化に伴って1店舗当たりのテナント区画も増大傾向にあり、中小の地元専門店は相手にもされない。少数の専門大店(ユニクロなど)の独壇場という中で、SCの均質化、魅力の低下は避けられないだろう、という予測は地元商店街を心強くさせます。ならばどうするか。所詮大型SCへの出店がかなわないなら、商店街の魅力は逆に小資本・ベンチャー企業をいかに受け入れるかだと氏は提言されます。新規開業、創業といったインキュベート機能が果たせるのは商店街しかない!と。そういった人材を街の新たな活力創造の原動力としようという言葉はこれからの商店街をどれだけ元気づけることでしょう。しかも、「何人集客するか」というこれまでの発想から、これからは「関わる人が何人増えるか」に転換すべきだ、SCが見せかけのまちづくりをめざしてきた中、商店街は地域の歴史・文化・資産を生かした"本物"のまちづくりをめざそう。「消費者」としてしか見ていなかった「地域の人々」を、まちづくりを「共に担っていくパートナー」として捉え、「快適で暮らしやすい街」を共に創造する「市民交流の場」がこれからの商店街に求められる新しい機能だ。そんな発想から取り組む半田の再開発は、核テナントに頼らない、地元の特色を生かした地元でつくる"百貨店"だと言っていました。
 今、核テナントと目される大手SCは、床単価等の条件が整い商業環境も見えてくる建物完成間近にならないと話に乗ってこない。しかし半田の再開発ビルは、地元商店が自らつくる、まさにコーポラティブな商業施設づくりをめざしているようです。



 津山福祉住宅研究会 (2002. 1.11)
 岡山県津山市にある津山福祉住宅研究会に活動状況のヒアリングと交流に行って来ました。この団体は津山市が平成元年に策定したホープ計画を機に、その1部会として発足し、現在に至るまで活動を継続している団体です。
 活動内容は団体名でだいたい想像できるかと思いますが、高齢者向けの住宅リフォームを進めるため、建築士・施工者と福祉・医療の専門家等が集まり、毎月改修事例や相談を持ち寄り、意見交換する事例研究をベースに、年1回の県外研修や会員対象の講座開催等を行っています。最近は、「やさしいすまいづくり賞」も始めています。
 会費は市が設置する市民会議の下部組織という位置づけになっているため、市民会議の会費として年2000円。ただし、まるまる市民会議に上納され、その代わり会合の会場費や連絡通信費は負担してもらえる、という関係です。それ以外の経費は、各種の活動助成を申請しそれで対応しています。ちなみに今回も資料代として1人1500円を徴収されました。あと、県外研修旅費の積立を毎月2000円しています。
 会員対象の講座はボランティアでお願いすることが多いと言ってました。
 10年以上にわたって継続してきた要因として、
(1) 多業種交流の場として、特に福祉・医療関係者には相談のできる場として、各自にメリットがあったこと。
(2) 月1回の例会を定例化し、出勤簿もつけていること。
(3) 毎年、活動方針と月毎の活動計画を作成していること。
(4) 活動助成が受けられたこと。
 をあげていましたが、社会福祉協議会の方が会長となり、継続的に会を支え続けたことと、この方の人柄が大きかったかなとも思います。この間、会員の入れ替わりは結構あり、最近はケアマネジャーの方に参加を呼びかけているとのことでした。
 一緒に行った、人にやさしいまちづくり活動が長い友人は、10年以上継続している割には、そのノウハウがきちんと蓄積されていないのではないかと言ってましたが、手すりを設置した住宅を映したビデオを放映しつつ、ケアマネジャーと施工者が説明を加え、それを参加者が対象者の生活動作を確認しつつ意見を言い合う姿は私には新鮮に映りました。
 会員の入れ替えがあったということは、逆に言えば新入会者が入りやすいということであり、これは、この団体の活動が新参者にとって親しみやすくわかりやすいレベル(習熟者には低レベルかもしれない)で続けられ、専門化・深化の方向でなく、拡大化の方向性を持っていた結果だと言えます。普及啓発という点では大いに意味があったのではないでしょうか。



 Toshi-shi の まち遊び日記 ■


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