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犬山北のまちづくり




 1993年から1995年にかけて、愛知県犬山市で進められていた「住民主体のまちづくり活動」に私も参加し、観察する機会がありました。それを同時進行的にまとめたものが以下に紹介する「犬山北のまちづくり(その1)から(その10)まで」のレポートです。何らかの参考になれば幸いです。

D.M市での試み(はじめに) (94/02/11)
 D.M市というまちがあります。(はじめは実名で書こうと思っていたのですが、以下にありますように、非常に微妙な時期ですので、このように表記させていただきます。)
 このまちでは、景観条例の制定、条例に基づく基本計画の策定、景観重点地区の指定と着々と景観施策を実施していますが、その一方で、こうした市の動きに対し、古いまちなみが比較的残る地区の住民から、外からの押し付けの規制ではないか、保存一方では生活が成り立っていかない、といった反発の声があり、今年から国のまちなみデザイン推進事業補助を入れて、地元の組織が主体となり自主的にどうしたまちづくりを進めていったらよいかを検討することとなりました。
 市では、この地区内の約5つの町内毎に、月に1回程度住民が自主的に(行政は原則として一切手を出さず)勉強会を行いつつ、今後のまちづくりについて考えていくこととし、現在鋭意地元での根回しに奔走していますが、地元の大方の合意は得てきています。
 実は、私は、地元の建築士会の住宅・都市委員会の委員をやらせていただいており、この委員会ではここ数年来、連合会や会長の意向を受けて、こうしたまちづくりに建築士がどう携わっていけるか、いろいろ勉強を重ねてきていました(今年はある町で実際に行われているまちづくりのための住民集会《ワークショップ》にオブザーバーとして見学をしました)が、そろそろ実際に活動を経験をする時期だと思い、今年から始まるこのD.M市での活動の初期からオブザーバーとして、また求められればできる範囲で答えるという形で参加をさせてもらい、そうした中で建築士がまちづくりの現場で何が果たせるか、何を求められているかを経験的に探していったらどうか、という案を委員会の中で提案をしてきました。
 市への内々の打診、委員会の了承を経て、先日、委員長ともどもD.M市におじゃましたところ、地元の方も是非という意見でした、ということで、この4月から、先のような形で、建築士によるまちづくりへの参加を試みることとなりました。
 5つの町内会毎、月に1回づつですから、ほとんど毎週行く必要があります。それぞれ仕事を持ち、また無報酬の作業ですから、組毎に担当を決め、それぞれ月に1度程度すりあわせを行う、という形になるかと思いますが、私のプランをほとんどそのまま形にしていただいており、大変興味(と責任)を感じています。うまく行くのかどうかわかりませんが、この顛末をこの場でも、同時進行ドキュメンタリー風に(というか単に日記風に)紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。



D.M市での試み(その2)(94/02/28)
 建築士が参加する、ということだけ決まって、どう参加し何をするのか、そもそも市は住民活動をどのようにコントロールしようとしているのか、どういう方向へ持っていこうとしているのか、さっぱりわからない状況で、建築士の方からもそういった疑問が殺到し、建築士会のエライ方にもかなりの波紋を巻き起こしてしまいまして、もう大変でした。
 市はとにかく無手勝流でいくんだ、の一点張りでした。建築士といったってまちづくりには素人だし、でも行けば頼られるだろうから、作戦参謀がいなくてはだめだ、だいたいまちづくりの手法としてタウン・ウォッチングだとかコグニティ・マップづくりだとかそうした作戦をもたなければ絶対ダメだ、といった議論をしたあげく、やっとわかってきたのは、まだまだ住民は行政に「おんぶにだっこ」状態でしかも田舎ゆえに「お上」のことには異論を唱えないダンナ衆ばかり。市としては自分たちのまちのことは自分で考えなければならないんだ、という意識をこの1年かけて植え付けられればいい、タウン・ウォッチングはそれからのこと、しかも住民自身にそれを言わせたい、ということ。
 それならそれで、建築士は何をするんだ、観察するだけとしても、その状況を報告し評価してもらえる人がいないと不安でやってられない、と色々議論したあげく、結局、事務局の私的研究会を設置する、ということで落着きました。この研究会は表立っては何もやらないけど、自主的な住民活動の方向の評価と住民集会の場に立合う市と建築士に対してアドバイスを送り、間接的にコントロールをする。建築士は住民活動の現場では受動的には対応するが基本的にはリードするようなことはしない、そしてその状況を観察して研究会に報告をする。そして活動状況に応じ、研究会の助言の元に、活動の進捗を補佐する。という役割を果たすことになりました。
 また研究会のメンバーはこれから検討するけれど、基本的には呼び掛け人の呼び掛けに応えた人達による自由参加というファジーなグループにしようということになりました。まだ呼び掛け人は決まってないんですけど。
 ということで、ようやく形が決まってきました。こんなんで大丈夫なんだろうか。ま、なんとかなるでしょ。



D.M.市でのまちづくり(その3)(94/05/22)
 D.M. 市でのまちづくりですが、その後あまり動きが私の所へ伝わってこなかったのですが、地元市では色々準備に動いていたようで、先日その紹介を受けましたのでここで報告させていただきます。
 2月以降、地元に入って住民にまちづくりを考える会を作ってもらうよう、鈴をつけにまわると言っていたのですが、順調に理解していただき、今のところ5つくらいの町内で「○○町まちづくりの会」の発足の準備ができたようです。また、これらを統合し、互いに調整する組織として「D.M. 北のまちづくり推進協議会」という組織をつくること。また、その支援組織として研究会を設置する、という大体の組織の骨格が決まり、研究会のメンバーも、市内の私立大学の法学部の教授を筆頭に概ね、決まりつつあります。
 市の方に言わせれば「いつでも発足できる」というので、「すぐにもやろうよ」といったら、「国の補助金をもらうことにしているが、国会があの状況でまだ内示もない」というので、「組織の発足位、金がかかるわけじゃなし」と再度言ったら、「いやホテルで報道陣も来るような規模でやりたいのだ」とおっしゃっていました。2度と後にはひけない状況をつくりたい、ということのようです。
 そこまで地元が動き、みんながやる気になっているんだったら「やっぱり早くやろうよ」と3度言ったら、「じゃ研究会だけでもやろうか」ということでしたので、やっとまともに報告ができるようになるかもしれない。
 ところで今回の活動では、古いまちなみを生かしつつ地域の振興につなげていくにはどうしたらいいかを住民中心に考えよう、ということで動いていまして、まちなみ保存の動きとは一線おいているのですが、保存運動バリバリの「街並みを守る会」の方が来月の12日に総会を開き、その場で講演をお願いしたい、というので私の職場の方に話がありました。始めは部長とか言っていたんですが、結局実務レベルで私の直上の上司が話し私が付添で行くことになりましたので、その様子もまた報告したいと思います。



D.M.市でのまちづくり(その4) (94/06/13)
 最近、ちょっと困っています、そして腹を立てています。
 というのも、先日、市の方が来ていうには、6月始めに、対象地区の一部で、住民に同意書を回した上で、景観重点地区に指定したよ、というんです。私は、この1年の活動の成果として、景観基準の策定、景観重点地区の指定、という結果があるのか、と思っていたのですが。重点地区に指定されると、届出が義務付けられます。市は何でもって審査するのか、と聞いたら、都市景観審議会の先生に作ってもらった景観基準がある、また、審議会の先生に頼めばいい、というんです。
 しかも住民は既に同意をしているという。一体、今年1年は何をすればいいのか、と問うと、景観基準をつくったコンサルに委託をして、住民の集会での会話を取りまとめ、より詳細な地区毎の整備図を描く(それも公共施設中心?)、というんですが、それでは単に住民要望をまとめるだけじゃないですか。
 最後は声も出なかったのですが・・・建築士会のメンバーも唖然という感じ。
 で、色々考えたんですが、やっぱり目標は、こうした官製の基準でなく、自分たちの基準を作ること、審査というか届出の判断も自らが行うような体制に持っていくこと、を目標に、とりあえず、住民に「こんな規制を甘んじて受けて、どんなメリットがあるのか、どういうまちを思い描いているのか」と問い直すところから始めようか、と思っています。
 しかし、結局、自分が中心になって動けず、市の掌の中に囲まれていたのが間違いでしたね。結局本音を聞かせてもらえてなかった、ということです。
 それで、昨日、町並み保存の住民団体である「町並みを考える会」の設立10周年の総会がありましたので、上司ともどもでかけてきました。
 この組織、会員100人以上を抱え、大変大きな組織ですが、昨日は40名程が参加。ただ、みんな高齢で65以上が大半でしょうか。ちょっと老人会的な雰囲気もあり、和気藹藹という感じで、市から聞いていた印象に較べると好感を持ちました。ただ、保存、を第1に掲げているため、市(教育委員会)が受け止めてくれないと活動が行き詰ってしまう、という感じを受けました。とりあえずは次回の町並みゼミを引受けるかどうかでもめていましたが。
 総会の後、豊橋技術科学大学の瀬口先生(現・名古屋市立大学教授)と私の上司の講演がありました。瀬口先生は、愛知県下の9つの城下町(ちなみに西尾、刈谷、岡崎、吉田、名古屋、田原、犬山、豊田(七州)、新城の9つです)の成り立ち、保存活動の状況、といった話があり、うちからは、建築協定やまちづくり協定などを例に、住民自ら自分たちのまちのルールを決めていくことが必要、といった話をしました。
 参加者みんな熱心でしたし、多分保存に偏りすぎて、地域全体の活動や合意につながりにくい面もあったんでしょうが、こうした方たちの意識をベースにうまく全体のまちづくり意識へつなげていければいいのではないか。行政にもやらせなければいけない、自分たちもやらなければいけない、という方向へ持っていければいいんじゃないのかな。といったことを感じました。
 いよいよ、始まりつつあります。



D.M.市でのまちづくり(その5) (94/06/25)
 前の発言のとおり、その後もいよいよ活発になってきたD.M. 市のまちづくりですが、ついにこの7月5日に、住民組織である「犬山北のまちづくり協議会」の発足会があります。
 この組織は、地元の各町内で組織されている「○町まちづくり委員会」の上部組織として設置されるもので、町内間の調整等を専らおこなうこととなりますが、それに付随して専門委員会が設けられ、私たちもそこに参画することとなります。
 町内毎のまちづくり委員会ですが、既に5町内で結成され、住民全員同意のまちづくり協定も締結されています。その内容としては高さの制限を始め意匠形態に関する取り決めがなされ、市もこれらの地区については景観整備のための補助制度の適用を予定しています。
 ちなみに会費は戸当り月100円から200円程度で、各町内から協議会への参加負担金が月1000円、そうそう今度の視察には参加者から参加費2000円余りを徴収するということでした。
 先日、専門委員会の委員長になっていただこうと、市内の大学の法学部の先生のところへお願いに行ったのですが、快く引受けていただきました。しかし、けっこう硬直的な組織として捉えられたようで、もっと委員が自由にざっくばらんに発言できる片肱の張らない組織を目指していた私としては、ちょっと不安でもあります。
 また、地元のまちづくり委員会ですが、そこで何をやるのかが、実はあまり見えてこないんですよね。掛川ほどのところまで持っていくのか(多分違うと思うけど)、市のやることを中心にするのか、住民の建設活動を中心にするのか、だれがどういうテーマで引っ張っていくのか、全く見えない。まあ、だから面白いとも言える訳で、専門委員会なんて固い席におさまっていずに、それぞれのまちづくり委員会の中に極力入っていきたいなあと思っています。
 まずは、7月5日、スタートします。
PS.
 ということで、D.M. 市とは、Dog =犬 Mounten= 山 >犬山市のことでした。以降は、D.M.なんて打つのはめんどくさいので、犬山市と明記します。
 そう、国宝犬山城、明治村、リトルワールド、鵜飼等で有名な人口5万人の観光都市、犬山市です。



犬山市でのまちづくり(その6) (94/07/07)
 7月5日に犬山北のまちづくり推進協議会の発足会が開かれました。
 まず、今までの経過報告が住民代表からなされ、市が昨年策定した景観条例を高く評価し、行政が金と仕組みは用意してくれた、実行は我々地域の住民に委ねられている、と宣言されました。その熱意ゆえか声がふるえていたように感じました。
 続いて、会長に選出された住民代表の方から、歴史を構成に伝えるだけでなく活気のあるまちづくりを目指したい、というあいさつがあり、続いて、この間、最も熱心に取組んでおられた住民代表の方が、幹事長としてのあいさつを行われました。内容は、景観は市民の共有財産であり文化である、これを育てていくためには人づくりが肝要だ、他力本願を排して住民全員参加で取組もう、といった趣旨で「犬山」に対する愛情を強く感じました。また、自分の町内を取り上げ、40戸で70歳以上が38人という実態を挙げて、安心して住めるまちをめざし、歩道やポケットパークを住民の出資や協力でつくろうといった検討をしているという話もあり、現状保存にとどまらず、積極的に住環境整備の方向をめざしているという意思が伺えました。また最後に、とりあえずこの「北のまちづくり推進協議会」で対象としている21町内のうち今日までにまちづくり委員会が設立されたのはわずか7町内、そこで今回は発足会としており10月に正式に設立総会を開きたい。その際には残りの14町内も是非参加いただけるよう取組んでほしい、という旨の話がありました。この部分については、後で市の方に聞いたところでは、市の思惑を乗り越えて住民自身で走っていっているということでした。
 こうした住民の方々の熱心なあいさつの後、来賓のあいさつがありましたが、市長の云われた「胸の熱くある思い」という言葉にうなずいた方も多かったのではないでしょうか。
 最後に、基調講演として、昨年1年NHKローカル枠の中で「むらおこし・まちづくり」という特集を担当されたNHK名古屋放送局のチーフカメラマンの間瀬さんから、東海北陸22市町村のまちづくりの現場を見てきた経験からの話がありました。まちづくりはやりだすと深みにはまる、まちのたからものをみつけよう、まちづくりを楽しむためイベントをやろう、子供をとりいれよう、等々といった内容でした。
 出席者は70名ほどで、市長や県議も出席する等、かなり盛大でした。しかし運営一切は住民自身の手で行われ、上に書いたように、お手本のような言葉が住民自身の口から語られたことは大変すばらしかったと思います。
 夜、懇親会があり、専門委員会の委員長をお願いした名古屋経済大学の田中先生と隣の席になったので、フランクに意見が言え、メンバーも固定しないようなファジーな形でやりましょう、と話をしたんですが・・・。また、建築士会の方たちの印象は「あんなに進んでいるとは思わなかった」でした。それにしても、ますます楽しみになってきました。
PS.
 関係のない話ですが、その夜、犬山の建具屋さんとスナックで一緒になって聞いた言葉。「建物の中で唯一動く部分である建具は、命を吹込むようにつくらなければいけない、とよく親父に云われました。」
 感動する言葉に数多く出会った1日でした。



犬山市でのまちづくり(その7) (94/07/30)
 7月の26日に専門委員会が開かれました。出席者は、委員長である名古屋経済大学の田中教授(法学)を始め、青年会議所、商工会議所(まちづくり委員会)、建築士会、県及びコンサルタントの総計20名弱ほどです。
 自己紹介等に続いて、突然、コンサルさんが地区景観計画のフロー等を説明されたので、この専門委員会は住民からの協議に応じる組織で、コンサルが受託した景観整備計画のための委員会ではないはずだ、と私が口火を切りました。
 その後は、委員長も含めて、市やコンサルを追求する会になってしまい、結果、わかったのは、住民から専門委員会は地元の住民で組織したい、という声が出ている、ということでした。
 では、我々はどうなるんだ、とみんな唖然。
 経過を聞くと、協議会の中でも中心的に動いている幹事長が、都市計画道路の53条許可を市(県)は認めるべきではないとか、官民境界から2m後退して空地を提供しようとか、専門委員の件についても自分たちでやりたい、とかかねがね訴えており、そうした中で、7月20日に協議会が地元の建設関係業者等を集めて自分たちの地区の状況について協力を求める旨の説明をした際に、この幹事長が持論をあたかも協議会の総意のようにしゃべったため、一部の住民に動揺がおきるなど、非常に混乱した状況にある、ということでした。そんな中で専門委員会の開催日は先月中に決めてしまったため、中途半端な形で委員会にのぞむ、という結果になったようです。
 とにかく、専門委員会といっても建築のことにしろ、税務や法律等にしろ、そうした内容について聞きたいということであれば、地元にも答えられる人がいるはずで、我々はそうした意味の専門家ではなく、地元の応援団として、住民活動のリードや方向付け、誘導等について、一緒に考え、勉強し、動く、それを目的にしているのだから、とりあえず市は一人で悩まず我々に相談してほしい。ついては、8月18日に次回の専門委員会を開きましょう。それまでに市は、幹事長がいる町内以外の町を対象に、幹事長の意見は一私見であり、住民主体で考えた結果については、それぞれ尊重する旨を説明しタガを締め直す一方、幹事長にも行政でできることできないことをしっかり伝えてもらうこととしました。
 ここにきて、かなり紆余曲折、混乱という状況になってきた犬山のまちづくり。やはり最初の全体フローがない無手勝流といった入り込み方がまずかったかなと反省しないでもないですが、それまでの住民の動きや市の立場等考えると、なかなか難しいなあ、と思わざるを得ません。



犬山のまちづくり(その8) (94/12/14)
 前の報告では7/20の協議会以降、混乱が続いていること。そんな中で開かれた7/26 の専門委員会も委員会自体の位置付けをめぐり混乱したこと、等を報告しました。
 その後の状況ですが、住民の方は結局7/12 の発足会の時に参加した7町内以外は協議会に参加することのないまま、10/22 に正式に設立総会が開かれました。
 市の方では、10月議会で補正予算を計上し、正式に景観条例に基づく修景補助制度を創設しました。(これについてはけっこう引合があるそうです。)
 設立総会以降、また以前からも、幹事長を始め役員連中は、奈良まちづくりセンターを始め、県内・県外の色々なまちづくり実態の勉強をしており、11/29 〜12/1 には小樽・札幌へ視察に行っています。また、県内の住民参加のまちづくりに実績のあるコンサルタント等も訪問しており、方法を模索している模様です。
 一方、市のこうした動きを知って、教育委員会から文化庁の調査をしないか、とか、県土木部から「歴史の道づくり事業?」を実施しないか、などの申出があり、市の職員はこれらの対応にも奔走されています。
 愛知建築士会の住宅・都市委員会は、犬山に3人のメンバーを持つことができ、彼らを中心にまちづくりに参加させてもらっています。というより、当初は犬山在住でない我々もオブザーバーとして参加する、という約束でスタートしたのですが、結局犬山在住の者のみの参加に制限された、という格好です。彼らは11月の視察に参加したり、10月には協議会代表の1人として県主催の洋上セミナー(県内のまちづくりに関わっている人々を対象に洋上2泊3日で実施されたセミナー)にも参加するなどの活動をしています。
 イベントとしては、県でこの犬山を課題地区として「あなたのまちの景観アイデア募集」を実施。市では11月に「私の家の収蔵品展」を開催し、景観アイデアの入賞作品も併せて展示しました。
 こうした中、従来から町並み保存の活動を実施している「町並みを考える会」が計画していた「全国町並みゼミ」の開催を市が協力を断り、結局誘致を断念したという事件もありました。(その後、様々な経緯の末、96年9月になって犬山で実施。)
 こうした状況はマスコミにも取上げられ、NHKの夕方6時からの地方版で犬山からのオープンスタジオといった特集が組まれた他、新聞にも度々掲載・報告されています(地方版ではありますが)。
 以上が客観的な事実ですが、残念ながら直接私が住民と接していないため、実際の状況が良くわかりません。小樽へ一緒に言った上司の話によると、次はどうしたらいいのか模索しているのではないか、ついているコンサルタントにはいろいろな手法やアイデアを提供して、住民に対しヒントを出せ、と言ったそうですが、わたしはちょっと反対。今彼らに必要なのは、結果を描けるコンサルタントではなく、道筋を一緒に歩めるコーディネーターなのではないか。アイデアは住民から出させるようすべきだと思っています。
 どうも結果を求めすぎているようで、市も条例はある、補助制度もある、住民組織はある、しかし何をやったらいいかわからない、提案すれば住民に拒否されるといった状態です。
 市の方には、どうまちづくりを進めていったらいいかを提案してもらうプロポーザルコンペでもやったらどうか、と話しましたが、ちょっと無責任かな?
 とにかく、一度住民の集まりに出たいということを市の方に強くアピールしておきました。



犬山のまちづくり(その9) (95/03/16)
 3/14、15と「犬山北のまちづくり推進協議会」の方たちと静岡県伊東市に先進地視察に行ってきました。
 伊東市では観光トイレと松川沿いのふれあい遊歩道を見学しました。その内容は行政ががんばっている、という以上でも以下でもなかったので割愛しますが、説明の席上、住民側から住民参加等について厳しい質問が飛び、犬山の住民側の意識、また伊東市の側も都市計画の担当者には住民参加についての強い意識がある事がわかりました。
 さて、この連載している「犬山のまちづくり」報告は、そもそもは建築士の住民と一体となったまちづくりの現実に対する問い掛けに応える形で、たまたま建築士会という立場、また行政という立場で関わりを持ち事になった犬山のまちづくりの状況を、同時進行的にレポートする事により何か見えてこないかと始めたものですが、なかなかまちづくりが当初思い描いていたような形で動いていかない。これは一つには地域性、特にリーダーの資質の問題等があって、建築士としての職能も信用されない、外者に対して非常に否定的である、といった状況の中で呻吟しているという苦悩と失敗の報告のようになっています。
 私としてはとりあえず直接住民の方と話をして、その考えを伺い、どこに問題があるのか、解決の糸口を少しでも見出したい、とかねがね思っていたので、この視察に同行という誘いは願ったりかなったりでした。
 同中、懇親会の席上や車中での会話、また市やコンサルタントの方の話を聞いた現状は次のとおりです。
 1つは、住民自立のまちづくりとならず、行政とおんぶにだっこのまちづくりになっているということ。コンサルタントの担当の方にどう思いますかと聞いたら、「住民エゴのレベルから抜け出ていない」と一言云われました。自分たちが何をやりたいか、ではなくて、行政が何を求めその「枠内」で何ができるかを考える、という形になっています。
 その結果、2点目ですが、目的が「行政を動かす事」になってしまっている。「住民が動けば行政が動く」という所に喜びと会の活動の目的を見出してしまった事。
 3点目ですが、そのための方法として、住民が全員参加する事を善としながら、その前に役員でなんらかのレールを敷こう、と役員レベルでの話し合いに時間をかけ、そこから抜け出れないでいる。役員が気負って、手段・結論まで提示しようとし、いまだに住民全員が参加できる・したくなるような試みがされていない。「まず役員の考えを固めてから」という言い訳。その結果、役員会自体が行政のコピーとなっていて、(これはいみじくも住民自身が云った言葉ですが)住民主体ではなくて役員会主体となっている。
 最後に、結果を急ぎすぎ。特にハードものの整備が結果と勘違いしている。
で今後の対策ですが、とりあえず今入っているコンサルタントの方にがんばってもらうようお願いしてきました。その方向についてはおおむね話をし、方向は間違ってないと思うのですが、私が感じた以下の点についても、プリントアウトして渡しました。
 
           今後の犬山のまちづくり活動の方向について
 50年100年続くまちづくりを考える
1 自分たちができることをまず考える。そして、やる。
  当面の目先のことに捕らわれすぎていないか。今考えているハード物が整備された後の50年100年後のまちづくりの活動について考えてみよう。地域がどんな状況にあっても有効なまちづくり活動の方法。それは、今・現時点をきちんとみつめ、改善すべき点、問題点を把握し、まず自分たちができることを考える事。その上で行政やその他へお願いする事を考える。
  そうするとハード整備というのはまちづくり活動の中の一部分にすぎないことが見えてくるはず。
2 全員が参加できる取組み方法を考える=自分たちは中心ではなく、枠組みだ、ということ。
  まちづくりというのは、政治や宗教等の個人的な事柄を超え、同じ地域に住む、という1点で共通項を持つ者の活動であり、その共通項を持つ者は、全員同じ参加権を持つ。だからとにかく積極的に全員参加のための試みを行ってみよう。
  小学生との懇談を行ったというのは、大変評価できる事である。さらに中堅層(30〜40代)を取組んだ活動、女性を中心とした活動等、年齢を広げた取組みとなるよう努力する事。そのためには、自分たちは中心ではなくて、自分たちは外側の枠組みだという意識が必要。
  具体的には新聞の発行、イベント(まち探し、アイデア集め、じっくり懇談等)の実施等。
3 手段と目的はわけて考える事
  区画整理や道路整備が目的ではない。これらはあくまで手段であって、目的を達成するもっとよい方法があればそれを検討する度量の広さを持つ事。特にまず行政に頼らず自分たちでできることを探す事。
4 来る人は拒まず、しかし智恵は置いていってもらうこと
  外者を嫌うというのは、自分たちに自信がない証拠。もう組織は出来ているのだから、こわがる必要はないし、組織を超えて中をかき回そうとまでする人はそう多くないので、積極的に取り入れよう。しかし少しはいるから、自主性だけは失わないこと。>足助では視察に行くと必ず意見を求められます。我々はこれだけ説明した、だから何か意見を置いていけ、とはっきり言われます。

 
 とりあえず思いつくのはこのくらいでしょうか。
  これを読んでいただいている皆さんの中には、当たり前の事、これくらいもできてなかったのかと思われる方も多いかと思いますが、実際に入ってみて、60近い方たちが中心でまちづくり活動をしていると、政治との関係(今まさに統一地方選の渦中です)や行政との関係の区別がつかないことが多い。それを理解させるだけでもかなり大変だということがわかります。特にここでは十分理解していない人が一番声が大きい(しかも役員会の要職を占めている)ということもあり、それゆえいまだにこんなところにいる、という訳でもあります。



犬山のまちづくり(その10) (95/06/02)
 4月に開かれたまちづくりの会の役員会に出席しましたが、その模様にかなりあきれてしまいました。
 その会は、市役所の部課長歴々を並べ、まちづくりの会の人間が、市政に対し質問をぶつける、という形で行われたのです。当初は行政の考え方や施策を勉強するということかと思っていたのですが、そのうち下水道整備の負担金のアップをめぐって、「住民に説明もせずにいきなり議会にかけるとはどういうことだ」「議員からも全く我々に説明もない。ちゃんと説明に来るようにさせろ」「これからは極力住民説明を行うようにしろ」などとまるで疑似議会のようになってしまったのです。その他にもいろいろ行政に要求をする形の発言が複数有り、たまりかねて私からは、「勉強をする姿勢は評価できる。しかし次はそこから1歩進んで、提案できる会に育ってほしい」と発言したのですが・・・
 こうした事態に絶望気味の気分になった私に突然1つのメイルが飛込んできました。地域に住む方からの励ましのメイルでした。
 そこで、会の軌道修正を迫るべく、幹事長が信頼を寄せていると思われる坂尾さんという某大学名誉教授の方(専門は金属工学)の自宅へ伺い、なんとかまちづくりの会がうまく運営されるよう、活動方法についてアドバイスをしてもらうよう頼みに行きました。
 こうした成果があったのか、その後に開かれた5月の役員会には市の方の話もあり私は出席しませんでしたが、軌道修正の話も出たそうで、もう少し様子を見ようか、という気分になりました。
 ちなみに4月の市長選で新旧交替劇があり、その渦中にほうりこまれて、大変な時期でもあったのですが。
 市からは、とにかく今年こそはまちづくりニュースの発行等をやるから、しばらく様子を見ていてくれ、といわれ、とりあえず待つことにはしたのですが・・・
 それから、各まち毎の委員会には、空家・空き地の調査と今後の所有者の意向調査等の仕事を課した、ということで、こうした作業をこなすことが、なにかのきっかけになれば、とも思っています。



(96/12/13)
 突然ですが、以上で、犬山のまちづくりの報告は終わります。
 というのも、これらの文章は、同時進行レポートということでNIFTYのFARCD及びFCITYに連載していたものですが、ここまで書いたところで、かなり辛口の批判が市の人の知れるところとなり、職場を通じて私に注意があったことと、それを契機に犬山のまちづくりへ表立って関わることを遠慮することとしたため、報告ができなくなったからです。
 その後、既に1年半が経過しました。その間、この4月に北のまちづくりの会が発足後2年が経過したことを機に、会の役員の顔ぶれを変え、また文中にも出てくる「全国町並み保存連盟主催の町並みゼミ犬山大会」を他の諸団体とも協力の上、無事成功させました。また、町並みの中に2軒のギャラリーがオープンし、また歴史を研究する会を始めとする住民団体もできてくるなど、次第に成果が上がっているように見えます。
 しかし文中のコンサルタントへの手紙にも書いたとおり、まちづくり活動は2年3年で成果が現れるものではなく、50年100年の綿々とした活動の中でこそその真価が現れるものだと思っています。それでも、わずかな間でしたが、少しでもその活動を側で見れたことは私にとって大変勉強になりました。今後とも、犬山のまちづくりの動向は意識して見続けていきたいと思っています。


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