
新城'山湊'のまちづくり 
新城駅
(1998/ 9/12)
愛知県東部の三河地方の山間部、奥三河の玄関口、新城市。人口わずか3万人のこの街も全国の他の街と同様、中心商店街の衰退が進んできています。曲がりくねって狭い旧道を避けてバイパスが通り、その沿道にユニーを始めとする郊外型店舗が出店し、それに拍車をかけるように隣接川下の豊川市で大型店の出店が間近に控える。冒頭の写真のようなのどかに駅舎には、30分に1本、JR飯田線の汽車が入るものの、通常は自動車で豊橋、浜松へが一般的。
この街に1年ほど前、突然、まちづくり会社「山湊」が設立されました。まちづくり会社が全国的には必ずしもうまくいっているとは限らないという状況の中、一体どんな理念・目標を持ち、どんな活動・成果を残してきているのか、前から興味を持ってきましたが、今回、愛知建築士会住宅都市委員会の活動の一つとして、新城のまちづくりの様子を見学する機会を得ることができました。
新城のまちなかの風景
豊橋からJR飯田線で30分。新城駅に到着すると駅にはもう今日の見学仲間が待合いに。総勢18名。さっそく昼食兼研修会場の料亭「清藤」に向かいます。会場には既に本日の案内と新城のまちづくりの状況などの話をしていただける、新城市役所の小蜥テ課長、古市副課長、(社)奥三河ビジョンフォーラムの城所氏、(株)山湊の福田社長、そして(株)山湊や(社)奥三河ビジョンフォーラムの役員を務め、地元で設計事務所を開設する篠宮氏の5氏が席に着いていました。
あいさつ、自己紹介の後、さっそく昼食を食べながら、まず(社)奥三河ビジョンフォーラムの城所さんから奥三河の現状と新城の状況、課題等について話を伺いました。この(社)奥三河ビジョンフォーラムという団体。奥三河の産・学・官が一体となって地域の維持発展を支えようと、13年前に任意団体として発足したシンクタンクで、今年から公益法人として法人化されたのだそうです。城所さん自身も奥三河・設楽町に住み、3反5畝の田畑を管理しつつこの職に就いているということで、実経験からの現状分析は説得力がありました。もちろん奥三河は過疎の町・村。そこの発展シナリオとして、安易な交通整備期待論やテーマパーク、温泉・観光施設整備とか、山・森づくりという言葉すら、それらが基本的に「都市からの視点」であることに批判的であり、「都市化からの転回」、山村の生活者の視点、生産の現場・土地への思いやり、土地の保全・育成を中心に据えた振興策を進めていく必要があるという独自の考えを披露していただきました。
具体的な実践例の一つとして「山湊」もあるわけですが、その他、作手村にオープンした「サローネ・デルモンテ」というマウンテンバイクのプロショップが、わずか数千人の村に全国から一流ライダーが数多く立ち寄る山のたまり場となっている例や、東栄町(ここは新城からさらに1時間以上も山奥)にできた「東風伝」という国産大豆を使用する豆腐屋が評判となっている例など、確かに生活をベースに奥三河にも新しい動きが始まっているようです。
工房「山の工房」 ギャラリー「富貴屋」 物販部「湊屋」
その中心となるのが「山湊」。この社長を務めつつ地元商店街で化粧品店を経営する福田さんから今までの経緯や今後の構想などについて伺いました。もともとは都市計画道路拡幅という話が市役所から降りてきて、地元でまちづくり研究会を結成し色々と検討をしてきた中で、地元の商店街振興を支援しリードするまちづくり会社「(株)山湊」の創設にいきついたとのことです。資本金2000万円のうち1000万円は市が出資したものの、残りの1000万円は1口10万円で市民株主を募集。見事100人の株主を集め(うち地元地区の株主が約6割)、設立にこぎ着けました。さらにTMO(中心市街地活性化法で事業の推進機関として想定されているタウン・マネージメント機関をめざし、近く50口の増資を行う予定だそうです。業務内容は、現在、地元工芸作家と連携した本藍染めの工房「山の工房」、地元産品等の販売と喫茶サービスをする「湊屋」、そして古い木造旅館を活用したギャラリー「富貴館」を出店していますが、これらは地元の商店とバッティングしないような業態調整はもちろんのこと、在宅老人等生活弱者への買い物代行・給食サービス等の新規事業も模索しているそうです。福田さんの話全体を通して感じるのは、まちづくり会社の視点が、会社としての成功よりも市民自体が如何に元気になれるか、「できるところから」、「楽しいこと・面白いことを」、「いきいきと」と、その言葉の多くは市民に向かい「元気さを表に住民をバックアップ」しようという趣旨が強く感じられ、その点では非常に新鮮で頼もしいものを感じました。まさしくTMOそのものを目指しているという印象です。一方で参加者の多くから、思想は良いものの本当にそれで商店街は活性化するのかという、より具体的な方法論を問う声も聞かれました。
市役所の古市さんからは、豊川市での大規模店舗のオープン、第2東名新城ICが予定されていること、豊橋・浜松への流出等、新城市中心商店街を取り囲む状況の説明と「山湊」への期待が語られ、その後、「山湊」を中心に質疑・意見交換が交わされました。また最後に地元の建築士、篠宮さんから、地方において建築士の職能を生かすこと、例えば職種上常に50年100年先を見ること、また建築文化を担うという特質と、一方地方部においては建築士としてよりも住民として関わることの方が多いということからの前向きな意欲と姿勢について話がありました。
約2時間の意見交換は福田さんの熱の入った対応のお陰もあって大変有意義だったと思います。
さて引き続いて市内の見学会に出発。「新城」の地名の由来は、戦国期に武田軍防衛のために新しく城が築かれたという意味のようですが、その後信州方面への物資輸送の交通の要衝として江戸時代を頂点に大いに栄えたもののようです。市街地を曲がりくねり貫く旧国道151号線を中心に多くの寺院が点在しています。その一つ、浄泉寺を皮切りに宗堅寺、桃牛寺、永住寺とたどりつつ、山からの地下水を生かした地酒づくりを続けている日野屋酒造へと向かいます。途中、「山湊」の3つの店舗も廻ったのですが、私の大失敗で途中みんなとはぐれてしまい、せっかくの説明等を聞き逃してしまいました。
さて日野屋酒造。江戸末期(文久年間)創業の老舗の酒造で、建物はもっと古い。今はちょうどシーズンオフでたくさん並ぶ樽の中は空っぽでしたが、もろみ製造や麹造りの室など、色々と見せていただきました。「自酒造りの会」と称し、会員制の地酒頒布の会なども「山湊」と一緒になって取り組んでいるそうです。
続いて通りを東進し、前沢鍛冶店に向かいました。先の日野屋酒造も含め、新城市内では全部で12の店舗・工房などが「新城まちなか博物館」に指定され、週に2回程度、作業工程などを公開しています。前沢鍛冶店は昔ながらの鞴に鋼をトッテンカッチンと叩き、農具や刃物を作り続けている店です。ご主人はもう70も半ばということですが、とてもそうは見えない若々しい姿で槌をふるっていました。ここでは鍬や鉈などの農具が主で、問屋には卸さず、奥さんが直接各農家を廻って注文を受け製作をしているそうで、白菜掘り用の鎌とか種付け用スコップとか、珍しい農具がいくつか置いてありました。
見学は以上で、帰りはJR飯田線・東新町の駅から帰途につきましたが、この愛知県でも端の小さな町で、市民主体の、市民の視線からのまちづくりが元気よく試みられていることに勇気づけられました。