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半田のまちなみ見学

半田運河


(97/01/18)
 愛知県半田市は、名古屋の南に伸びる知多半島の中程に位置する人口10万8千人の、この地方では中心的な都市です。1月18日に愛知建築士会住宅都市委員会主催で、半田支部の協力を得て、まちづくり研修会が開かれたので、参加してきました。
 当日は、支部の役員の方々の他、半田市からも3名の方が出席され、研修会に先立って、今半田市で進められている、「半田市ふるさと景観条例及び景観賞」、市内各地に点在する「蔵の現況調査」、先年様々な議論の末に市が買収し現在その活用を検討している「旧カブトビール赤煉瓦工場」及び「地区半田駅前整備事業」についての説明がありました。
 半田市の「ふるさと景観条例」は平成7年4月1日に施行されており、景観審議会の設置、地区景観整備地区の指定、大規模建築物等の指導、景観重要建築物の指定、景観づくり協議会の認定及び表彰・援助等を内容としています。大規模建築物等については、景観アドバイザーを設置し指導にしており、また景観審議会も設置されていますが、景観整備地区や重要建築物等の指定はまだされていない状況にあるということで、半田運河地区の指定に努めるとともに、半田の景観の特長である蔵の現況調査を、市内に立地する日本福祉大学及び建築士会支部の協力の下、進めているところです。また「ふるさと景観賞」については、平成4年に半田支部の事業として実施された「都市景観賞」に続くものとして平成7年度に今度は条例に基づく市の事業として実施されたもので、10の建築物及び景観を表彰しています。今回は、表彰を受けた建築物等を中心にいくつかの建築物等を見学しました。
■ 三八市の立つ通り(半田市ふるさと景観賞)
 半田は古くから醸造の町、海運の町として栄えてきたこともあり、市内各所に黒塀の続く町並みが残っています。こうした通りの一つ、味噌蔵に挟まれた幅員5〜6m程度の通り沿いに、毎月3のつく日と8のつく日に三八市が開催されます。当日は幸い18日ということでその賑やかな様子を楽しむことができました。通りの入り口にあるみたらしだんご屋から始まって、野菜を売る店、鮮魚、干物、雑貨から焼き鳥、木の実など、実に様々な店々が並んでいます。団子の串を頬張りながら冷やかし冷やかし歩いたのですが、干し大根やらどじょうの串焼きやら木の実を売る店やら、声を掛けられ味見をしつつ、目と耳と口とを十分楽しませてもらいました。
■ 加登屋(半田市ふるさと景観賞)
 本町通りは古い木造住宅が並ぶ昔ながらの通りです。その1角、角に面して立地する加登屋は木造3階建ての雑貨屋です。角地に3階建てということでかなり目立つ外観には2階・3階に高欄が巡り、屋根は方形に近い寄せ棟で風格を漂わせています。景観賞作品集によれば、かつて旅籠だったとのことも「どおりで」と思わせます。
■ 加藤邸(半田市ふるさと景観賞)
 同じ本町筋の加登屋に近いところにあるのが加藤邸。といっても「ふるさと景観賞」の中で唯二の現代建築、しかも住宅。多分、蔵の町・半田の特徴を生かした二連の外観が評価されたのでしょう。一見地味な建物ですが、現代建築にしてはすっぽりと街並みに中に溶け込み、そしてセンスのある建物と思いました。

■ 酒の文化館(蔵の現況調査関連)
 酒の文化館とは、清酒「国盛」の酒元「中埜酒造」の酒蔵。残念ながら外は改装工事中でしたが、屋内は立派な骨組みを見せてくれています。大きな木製の滑車が目を引きました。しかし、それ以上に試飲の方に気が行ってしまったことを白状します。
■ 小栗家本家(萬三商店)(半田市都市景観賞)
 このあたりの通りは狭いながらも黒い塀が続き、風情のある景観を漂わせています。かつては山車も通ったということでしたが、その通りに面してあるのが小栗家本家(萬三商店)。通りに面した景観も見事ですが、南側の空き地・道路を通して全体を見渡すと、お庭の植木などがこんもりとして、さらに素晴らしさを感じさせます。



■ 中埜酢店及び半田運河(半田市都市景観賞)
 「ミツカン酢」で有名な中埜酢店の本社工場です。工場西側の狭い通りは両側を黒壁の蔵に挟まれ非常に雰囲気があります。そこを南に抜けると運河に面する小公園があり、その北側に中埜酢店の工場と博物館「酢の里」があります。またT字型の運河の周りには黒壁の倉庫・工場群が取り囲んでおり、これらの倉庫群はかつては必ずしも全てが中埜酢店のものではなかったようですが、現在はそのほとんどが買収され、黒地に白い「ミツカン酢」のマークが染め出され、半田市で最も有名な景観となっています。伊勢湾台風以降に築造された堤防がありましたが、現在、衣浦湾港務所により堤防を自然石張りにし堤防沿いに散策路を設ける工事が進められており、また支部の方の話によると、中埜酢店に対し現在使われていない倉庫を地域に開放してくれるよう、話をしているということでした。さらなる充実が期待されます。
■ 望洲楼
 建築士会の見学会では、これまで必ず趣向を凝らした昼食会を実施していましたが、今回の昼食の場として選ばれたのが「望洲楼」です。ここまでは半田市の中でも海沿いの中心部を歩きましたが、一転バスに乗り込み、市の北部に位置する亀崎の町に移ります。亀崎はかつて漁港として賑わった町で、山車が氏子に背負われ海に飛び込む祭りは、その勇壮さと山車の見事さからこの地域では有名です。この亀崎の港をのぞむ丘の中腹から頂きにかけて、その斜面に小部屋が連なるように配置された料理旅館が「望洲楼」です。その面する通りも古い建物が数多く残っていますが、山車蔵の横の奥まったところにある入口から仰ぎ見る景観は、思わずうならせるものがあります。さらに各部屋からは衣浦湾・亀崎の港が・・・かつてはとてもきれいだったのでしょうが、いまはいくつかの家並みそして港には鉄骨の荷捌き施設と、かつての面影も無惨な景観とはなってしまっています。が、食事をさせていただいた部屋の欄間に月の満ち欠けが表現されていたように、各部屋から月を眺めることがかつては一番の風流と言われたとの言葉どおり、空は今もきれいに望まれます。建築は安政年間ということですからもう100年以上。かつて見た中村遊郭程の贅ということはありませんが、小綺麗な各部屋はそれぞれ趣向が凝らしてありました。また各部屋にサービスするため、小型の古いロープウェイ・リフトが今も活躍しているのはおもしろいものがあります。
  亀崎は漁港であるとともに、面する丘には別荘が多く残っており、これらの滞在者が専らこの旅館を使ったのではないかということでした。また、かつて亀崎には春の祭りだけでなく、夏・秋と3回の祭りがあり、それぞれ違う山車を各組が有しており、夏の祭りの際には山車の上で芸者が踊ったということですから、花街的な所もあったのでしょうか。しかし、これだけの財力をどんな形で有することができたのかは、大いに興味のあるところです。
■ 海潮院(半田市ふるさと景観賞)
 亀崎の氏神である神前神社の北に隣接するのが、「海潮院」です。元和年間(1615〜1624年)再興と伝えられ、今は知多新四国54番の札所として賑わっています。中世中頃建築と言われる茅葺きの本堂が正面にあり、目を引きます。また左手には瓦屋根の拝殿がありましたが、これも軒瓦の狛犬など、なかなか面白い建物でした。




■ 旧カブトビール工場(半田市ふるさと景観賞)
 今回のメインディッシュの一つがこの旧カブトビール赤煉瓦工場。かつて、横浜の恵比寿ビール、東京のキリンビール、大阪のアサヒビールと並んで名古屋と言えばカブトビールという名のあるビールの工場で、妻木頼黄設計、清水組(現清水建設)施工、1898年(明治31年)建築、今年で築100年という由緒ある建物です。建築面積3,480m2(現存2,828m2)、延床面積6,983m2(現存5,456m2)、高さ約18m、5階建ての大きな規模で、構造は煉瓦造、床はI型鋼に煉瓦をアーチ式に渡した床版、柱は柱頭が美しく造形された鋳鉄柱が数多く使われています。屋根は木造トラスに天然スレート葺。なお下屋の一部は木骨構造のハーフティンバーが壁面を美しく飾っています。



 内部は電気もなく薄暗く、また当会の危険性もあるため、ヘルメットに懐中電灯を片手に見学をしました。特にアーチによる床については、本当にこんなので大丈夫なの?と思わず口に出しましたが、濃尾地震を始め、いくつかの地震にもびくともしなかったということです。
 カブトビール(会社名は当初丸三麦酒、その後数度の社名変更)自体は昭和8年に大日本麦酒(現在のアサヒビール・サッポロビール)と合併し、昭和18年にはついにビール製造を中止していますが、その後、日本食品加工(株)の倉庫等として利用されていましたが、平成6年9月にその役割を負えました。その間、戦時中には中島飛行機製作所の資材倉庫として機銃掃射を受け、今も壁面にはその跡が生々しく残っていました。
 昨年度の末に、利用計画の決まっていないのに買収するのかなど、市議会での様々な議論を経て、最終的には用地を市が買収、建物は寄付により市のものとなり、現在、活用検討委員会を設置し、検討を進めているところだそうです。昨年、市民から活用のアイデアを募ったところ、地ビール工場を始めとして、実に百以上の様々な意見が出されたということですが、検討委員会に参加している支部役員の方の話によれば、このカブトビールを民間・市民で支える仕組みづくりをめざしたいということで、今後の市民を巻き込んだ検討の経緯とその結論が非常に楽しみです。
 ■ 新美南吉記念館(半田市ふるさと景観賞)
 平成6年に半田市が、郷土が生んだ全国的に著名な童話作家・新美南吉を記念するため建設したものが、この新美南吉記念館です。愛知建築士会が市から受託して全国レベルの公開コンペを行い、421点の応募の中から、新家良浩建築工房が設計、地元の(株)七番組が施工をしています。建物のほとんどが地下に潜り、うねった屋根の上には芝が敷き詰められ、周辺の起伏のある畑や田圃が連なる景観の中に完全に溶け込み一体となった景観は感動的ですらありますが、施工にあたって自然に屋上に上がれる構造に対し警察からクレームが付いたり、通路をまたぐ階段の手摺や微妙にうねる展示室の床、また雨漏りの問題などで管理者である市からトラブルが起こったりといろいろな経緯があり、一時は地元の新聞紙上でも報道されるなど騒然としたこともあったのですが、今完成し2年余りが経過して改めて見ると、それでもその形態の秀抜さには拍手を送りたいと思います。
 また展示もなかなか見事で、「ごんぎつね」を始め、様々な新美南吉の童話の筋を追っていると、思わず涙が出そうになりました。
■ 旧中埜家住宅(国重要文化財)

 最後に訪れたのが、国の重要文化財にも指定されている洋館「旧中埜家住宅」。この住宅は中埜家第10代、中埜半六が英国留学後、別荘として建築したもので、建築は明治44年。設計は鈴木禎次。建築面積242m2、延床面積321m2の木造2階建てで、外壁の白地にベージュのハーフティンバーが美しい。現在は第11代中埜半六が設立した財団法人桐華学園が所有しています。昭和51年の重要文化財指定に伴い、52年53年と外壁及び屋根のスレート葺き替えを中心に修理を行いました。当日は、その際に担当された水野さん(元愛知建築士会会長)に説明をしていただきました。
 内部は広いホールに面して1階に洋室が4部屋と書生部屋・女中部屋・台所等、2階に洋室1部屋と和室2部屋が並び、ホール及び各洋室にはそれぞれ暖炉とガス灯が、また2階の洋室にはバーカウンターが付けられ、なかなか豪奢な雰囲気です。現在は和裁の学校である学園の教室として、また時々は催し物などに使われているようですが、その維持はかなり大変ということでした。
 敷地は3,500m2とありましたが、その周囲L字型に土地を借地し、そこに一部店舗の入ったビルが建設され、そこに学園が再入居。その借地料から維持費もなんとか捻出しているということですが、今や修理後20年を経過しており、内部も含めた再度の大修理を切望されておられました。

 以上、1日かかって半田の市内を見学し、最後に知多半田駅前整備事務所に戻って意見交換を行いました。
 名鉄知多半田駅前については、駅前広場もない状況で、10万都市としては貧弱な様相であり、土地区画整理事業・再開発事業を中心に、現在事業が進められています。現在は仮換地指定も終わり、店舗の移転などが少しづつ進められているところです。また整備にあたっては、景観等に配慮しまちづくり協定を締結され、今後、まちづくり推進協議会を設立し、市の中心市街地に相応しい地域整備をすすめていく計画だそうです。景観誘導にあたって、事務所内にあった模型等が大変現代的なものでしたので、市の景観条例や景観施策との関連について質問したのですが、先に見学した運河周辺の黒蔵は生産蔵であり、このあたりの商店街に点在する蔵は商家の白蔵で違うものであること、また新たなまちづくりを目指したいといった地元の意向などから、必ずしも蔵の景観にはこだわっていないということでした。しかし事務所の入口付近に建築された交番は蔵をモチーフのデザインとなっており、今後、まちづくり推進協議会やまちづくり協定等が実際の形態としてどういうふうに実を結ぶのか、興味があります。
 そのほか、建築士会支部と市との関係が非常にうまくいっていることを賞賛する声や赤煉瓦工場の利用に際し市民の声をもっと重視すべき、といった意見なども出され、大変有意義で盛りだくさんの研修会でした。
  注意:これらの建物は、愛知建築士会のメンバー及び建物所有者の好意により見学させてもらったもので、通常は見学が許されないものもあります。勝手に敷地内や建物内に入ることは違法行為になりますのでご留意願います。


 旧カブトビール赤煉瓦工場を始めとする半田市のことについて、もっと詳しく知りたい方は、半田市のホームページへどうぞ。  半田市ホームページ−旧カブトビール赤煉瓦工場




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