
まず「鍮石門」をくぐると正面にこぎれいな和風建築があります。これは「旧近衛邸」といって、京都の近衛邸内にあった書院と茶室を移築したものです。現市長により10年ほども前に解体保管してあったものだそうで、江戸末期の建物ということですが、公家らしく6畳の広々とした茶室に躙り口も大きな作りでした。また書院も数寄屋風でのびのびとしており、庭園を見ながらお茶をいただくのは明るくすがすがしい思いがします。ちなみに西尾市は抹茶の原料であるてん茶生産では日本一の産地でもあります。なお茶道自体は尾張部の方が盛んだったようで、尾西市などの民家には今でもかなり茶室が残っているということです。
さて今回復元した「丑寅櫓」は、古図などを参考に当時の工法のまま建築したもので、高さ約10m、三層構造で1階部分の面積が6m四方という小さなものですが、それでも胴回り1mは越える大きな梁組が露わな室内は、檜の香りもすがすがしく、また何の飾り気もない姿は好感が持てます。左の画像はこの櫓の東に建つ資料館と一緒に撮ったものですが、公園内のふれあい歩道や南隣する幼稚園も白壁に瓦屋根とするなど、この櫓を中心に歴史的地区として整備しようという意思がよくわかります。
この路地を西に抜けると肴町通り。ここは城下町の中では日用品を扱う商店街だったところで、なんでも昭和初期に道路拡幅がされたということですが、それでも通りの東側に面して古い2階建ての建物がいくつか続きます。中には屋根神様などが祭ってある家などもあり、いい感じではありますが、長い距離は続かず、今ではかなりの家が新しいプレハブやRC造の店舗などに建て替わったり、駐車場になったりしています。これらの建物や駐車場の間からかなりの家が裏に蔵を持っていることがわかりますが、これを活用したまちづくりなどが提案できないでしょうか。
さらに中央通り沿いに西に向かいます。この通り沿いにもいくつか古い建物が連なる一画などもありますが、歩道部分のアーケードに隠れている。そしてその先にRC造4階建て位の近代建築と高い塔屋がそびえています。これが旧井桁屋。かつては呉服中心の百貨店だったようですが今では全く使われておらず倉庫となっているようです。しばらく前には壁モルタルの崩壊などの事故があって市議会等でも問題になったそうですが、なんとか撤去されることなく(撤去して建て替えるほどの商業的メリットもないということですが)簡単な外壁補修がされています。棟飾りなども簡素で媚びるところのない建物ですが、それでも基底部分や窓下の石張り、開口上部のまぐさなど、日本の近代建築の生き証人としての雰囲気がありますし、なにより西尾の近代の歴史を伝えています。当時はその高い塔屋がかなり目立ったことでしょう。またその南隣には大黒屋という、これもRC造の商店があるようですが、こちらは看板などをまとって全貌がよく見えない。しかし一転茶色の外壁はちょっと興味を引かれました。その後、味噌蔵のある路地を抜けて駅まで戻ってきましたが、このあたりの雰囲気もなかなかいいものがあります。
(97/11/29)![]() | ![]() | ![]() |
![]() 本町筋の古い民家の数々 |
尚古荘はその昔、大黒屋の当主であった岩崎氏が青少年の交流の場として建設したものだそうで、立派な庭と和風の外観が見事です。ただし、室内はかつてダンスホールだったとか。ここで、西尾市教育委員会文化振興課文化財係長の松井さんから「西尾城下町の形成とそれからの西尾」と題して、西尾の町の成り立ちについてお話を伺いました。縄文・弥生から始まって、実際に今の町の基礎となっている15世紀後半頃からの城を巡る歴史と次第に町が形成される様(6万石大給松平氏の移封や参勤交代廃止に伴う江戸詰め武士の帰郷による堀外への新開地の形成)。さらには明治後の城の解体秘話や駅開通と耕地整理、昭和の火事と道路拡幅。現在の町の形成。「三河の小京都」と言われる西尾ですが、そのほとんどは昭和初期のもので「昭和の息吹を感じさせる町ですね」と映画監督の篠田正浩氏も言われたそうです。西尾劇場のことと思い合わせ、今後のまちづくりを考えるに興味深い指摘です。
大変興味深く、かつ判りやすいお話の後、場所を変えて昼食。そして再度午後の部の町巡りに出ます。再度本町筋をまっすぐ北に進んだ旧井桁屋のある中央通りとの交差点は三叉路となり突き当たりに常夜灯がそびえていたそうですが、今は北側にあるお寺の敷地内に移されています。このお寺は民家や学校を移築した建物を社務所等に使ってありました。この他にも市内に点在するお寺はいずれも大変立派なものでした。本町筋と中央通りにはアーケードがあり、屋根部分のオレンジ色の帯はかなり目障りですが、こんな雨の日にはけっこう便利で、商店街からは取り壊しといった声も上がっているようですが、アーケードの下は現代的な店舗、帯の上には昔からの連枝格子という景観もまた一興で、通りの景観にあった便利なアーケードの存続というのも面白いと個人的には思いました。またかなり古いものが取り壊される中には、第一生命のビルのような主張を抑えつつ思い切り現代的なセンスのいいものも見られ、これと古い民家が並んでいる様子はけっこう様になっていると思いました。
肴町通りはアーケードもないので古い外観がよく見えます。ここに残る平井家は江戸時代から残る建物で、2階部分の階高が低く、屋根には箱神が乗り、また入り口の右側には貴賓向けの屋敷もつながっています。またこの左側から入っていく小径は板塀が続き、雰囲気のあるものです。残念ながらこの頃から雨が嵐のように降り始めたので、町並み見学を中止して、足早に復元された西尾城公園の方に急ぎました。途中、元銀行の建物などもあって、前回見たときに感じた以上に意外に古いものが残っていると感じました。
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