昭和の息吹/三河の小京都 西 


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(97/03/23) 愛知県西尾市ってご存じですか
 (97/11/29) 愛知建築士会住宅都市委員会




(97/03/23)
 愛知県西尾市ってご存じですか。愛知県の中央部、西三河地方の南部に位置する人口10万人強の都市で、JR、名鉄本線からは少しはずれるものの、近年は企業誘致の効果あってか、着実に発展してきている街です。しかしこうした近代都市としての姿と同時に、明和元年(1764年)大給(おきゅう)松平氏入城以来、6万石の城下として発展してきた城下町でもあります。明治以降廃城となり、建物も全てなくなっていたのですが、昨年、城跡の一郭に「本丸丑寅櫓」と「鍮石門」が復元され、平成7年に移築復元された「旧近衛邸」、またしばらく前に建設された資料館と併せて、西尾市歴史公園として整備されてきています。また市中には、旧城下町にふさわしい町並みが残されているという話も聞いていたので、前から一度行ってみたいと思っていたのですが、このたびその思いを実現することができました(単に仕事で西尾市役所に来たついでに寄ってみただけのことですが)。
 さて、まずは平成8年度の「愛知まちなみ建築賞」を受賞した西尾城へ向かいました。お城といっても今回復元されたのは、隅櫓と表門で、本丸自体はかつてあった所には市の体育館がでんとあって、これを解体し本丸復元という構想もあるようですが、実現はまだ先のようです。
まず「鍮石門」をくぐると正面にこぎれいな和風建築があります。これは「旧近衛邸」といって、京都の近衛邸内にあった書院と茶室を移築したものです。現市長により10年ほども前に解体保管してあったものだそうで、江戸末期の建物ということですが、公家らしく6畳の広々とした茶室に躙り口も大きな作りでした。また書院も数寄屋風でのびのびとしており、庭園を見ながらお茶をいただくのは明るくすがすがしい思いがします。ちなみに西尾市は抹茶の原料であるてん茶生産では日本一の産地でもあります。なお茶道自体は尾張部の方が盛んだったようで、尾西市などの民家には今でもかなり茶室が残っているということです。
 さて今回復元した「丑寅櫓」は、古図などを参考に当時の工法のまま建築したもので、高さ約10m、三層構造で1階部分の面積が6m四方という小さなものですが、それでも胴回り1mは越える大きな梁組が露わな室内は、檜の香りもすがすがしく、また何の飾り気もない姿は好感が持てます。左の画像はこの櫓の東に建つ資料館と一緒に撮ったものですが、公園内のふれあい歩道や南隣する幼稚園も白壁に瓦屋根とするなど、この櫓を中心に歴史的地区として整備しようという意思がよくわかります。
 続いて一転、城下町の古いまちなみが残る町の方に向かいます。まずは市内で随一城下町のたたずまいが残るといわれる順海町通りへ。順海とはここにある浄土真宗のお寺唯法寺を開いた住職の名前ですが、市街地の中に大きな構えのお寺さんです。路地に面する塀を小屋根にしっくい、腰が下見板の板塀で整備されており、また南隣の崇覚寺や各戸の蔵などもあって、確かに雰囲気のある一画となっています。
 この路地を西に抜けると肴町通り。ここは城下町の中では日用品を扱う商店街だったところで、なんでも昭和初期に道路拡幅がされたということですが、それでも通りの東側に面して古い2階建ての建物がいくつか続きます。中には屋根神様などが祭ってある家などもあり、いい感じではありますが、長い距離は続かず、今ではかなりの家が新しいプレハブやRC造の店舗などに建て替わったり、駐車場になったりしています。これらの建物や駐車場の間からかなりの家が裏に蔵を持っていることがわかりますが、これを活用したまちづくりなどが提案できないでしょうか。
 肴町通りから中央通りに出て西進し大手門跡から中町通りを北上しました。その交差点西に今は看板を満艦飾に張り付けた画廊がありましたが、これなどもかなりいい雰囲気で残っている様子。中町通りにも点々と古い建物が残っていますが、現在この通りは拡幅予定があるそうで、いくつかの建物は予定道路線まで下がって建替えが進んでいます。
 肴町通り、中町通り、それにこれに交差し東西に走る中央通りも含めて、かつては西尾の中心的商店街の一つだったのですが、今では駅東の区画整理や郊外を走るバイパス沿いなどに商域が移ってしまい、中央通りはそれでも歩道の上のアーケードが商店街を主張していますが、肴町通り、中町通りは中にはしっかりとした商売をしている店もありますが全体としては住商混在から住宅地へと移りつつあるようです。どうも市としては、古い建物があるという意識まではあるもののこれをどう生かしていくのか、保存するのか、景観誘導するのか、このあたりの姿勢が定まっていないようで、一方では平成7年度に全国京都会議に加盟し「三河の小京都」と名乗り、また歴史公園の整備に力を入れているのに、小京都の云われたるまちなみには何の施策も講じていないのが現状のようです。けっして生活の不便を忍んでとかいたずらに食えもしない観光地化をめざせ、というつもりはありませんが、生活する、住まうということの意味、特に精神的に豊かに暮らすことを基底に、このまちをどうしていくのか、を一度生活者自身、住民自身で考えていってもらいたい、と節に思いました。建築士会の活動等も含め、今後なんらかの活動の手助けができないか、ちょっと考えていきたいと思っています。
 さて、まちなみ見学はこれで一服して一旦駅前まで戻ってきたのですが、案内していただいた市の方と別れ、改めて夕暮れのまちを西に歩きました。駅の西側はかつては商業の中心地だったのですが今では東側が発展し、西側の大きなロータリーに挟まれ駅と隔離された感じになっているのも災いしてか、かなり寂れた感じになっています。その象徴のように西尾劇場という映画館が、しかしこれはまだ現役で東映マンガまつりなどをやっていましたが、周辺はスナックや飲み屋が数軒、そして再開発組合のプレハブ小屋だけがこぎれいです。さらに西にはみどり川という桜並木が続く川があり、また四九市が定期的に開かれ、時期にはそれなりに混み合うようです。また川に面してロータリーがあり、その中心に「耕地整理」の碑が高々とあるのがかつてのにぎわいを彷彿とさせます。
 さらに中央通り沿いに西に向かいます。この通り沿いにもいくつか古い建物が連なる一画などもありますが、歩道部分のアーケードに隠れている。そしてその先にRC造4階建て位の近代建築と高い塔屋がそびえています。これが旧井桁屋。かつては呉服中心の百貨店だったようですが今では全く使われておらず倉庫となっているようです。しばらく前には壁モルタルの崩壊などの事故があって市議会等でも問題になったそうですが、なんとか撤去されることなく(撤去して建て替えるほどの商業的メリットもないということですが)簡単な外壁補修がされています。棟飾りなども簡素で媚びるところのない建物ですが、それでも基底部分や窓下の石張り、開口上部のまぐさなど、日本の近代建築の生き証人としての雰囲気がありますし、なにより西尾の近代の歴史を伝えています。当時はその高い塔屋がかなり目立ったことでしょう。またその南隣には大黒屋という、これもRC造の商店があるようですが、こちらは看板などをまとって全貌がよく見えない。しかし一転茶色の外壁はちょっと興味を引かれました。その後、味噌蔵のある路地を抜けて駅まで戻ってきましたが、このあたりの雰囲気もなかなかいいものがあります。
 その後にはさらに市の方の車に乗せていただいて、中町通りのさらに西側の下級武士が住んでいた通りなども見せていただきましたが、このあたりは今はほとんど残っていない感じでした。再度になりますが、今回見せていただいたまちなみ資源を、市民としてどう意識し、生かしていくのか、または壊されればいいのか。これはやっぱり外の人間の感傷ではなく、市民自身として考え、決めていってもらいたいと、そしてもちろん私としてはできれば精神的な豊かさを求める中で、自分たちのものとして生かし活用していく方向で考えてもらいたいと思ってやみません。またそのための何らかの動機付け、一助について、今後色々な活動の中で自分自身考えていきたいと思っています。

(97/11/29)
 愛知建築士会住宅都市委員会主催(西尾支部協力に全面的おんぶ。大いに感謝)による街並み見学会に参加してきました。
 10:00に西尾駅に集合し、班ごとに渡されたインスタントカメラを片手に、町並みを歩きつつ、尚古荘に向かいます。まずは駅前に今も残る西尾劇場へ。ちょうど改修工事中ということで劇場内にも入れてもらいましたが、屋内は観劇などもできるよう奥行きの深い舞台を有し、地元の方から「小学生の時以来だ」といった懐かしの声が上がっていました。改札窓口の前には、昭和の映画スターの似顔絵や旗本退屈男といった懐かしいポスターなどが張られ、20円30円といった駄菓子が並べられ、新横浜のラーメン博物館にも似た懐かしい雰囲気にあふれていました。
 劇場正面をしばらく西に進むと小さなお宮があり、「花の木耕地整理」の記念碑が高々と設置されています。昭和初期、西尾駅の開通と同時に耕地整理により整備されたこの付近も、今は「西駅再開発」の構想が掲げられ、劇場も含めて今後の行く末が大いに案じられます。その碑の脇を流れる川に沿って、四九ばり市が開催されていましたが、あいにく雨で、残念ながら2・3店舗しか開いていませんでした。市の川を隔てた反対側は市により遊歩道として整備され、彫刻があちこち置かれていましたが、これに対する参加者の評価はまちまちでした。それより橋の上に設置されたピンク映画の看板の方が好評だった、かな。

本町筋の古い民家の数々

 さらに西進。中央通り沿いは商店街でかつてOZモールを見学にいったとかで、なぜか通りの東端には山形の屋根の新しい建物が数多く並んでいましたが、特段市として景観コントロールはしていないということで、この景観をどうみるかも評価が分かれるところでしょう。中央通り筋は店を閉めた店舗も数多く並ぶ、どちらかといえば寂しい通りになってしまった。途中で脇道に入り、元お堀を埋め立てた道路を渡り、本町通りに出ます。この通りと中央通りの角に「旧井桁屋」がその塔をそびえさせているのは前に紹介したとおりですが、その他にも元米穀店の大黒屋さんが経営するパン屋やその分家、丸才屋という屋号の八百屋、その他数多くの古い民家が点在しています。前には気づきませんでしたが、その数が意外に多いことにびっくりしました。また「まめ屋」という名のギャラリーができていて、そこの女性の方が熱心にまちづくりに取り組まれているということでした。
尚古荘はその昔、大黒屋の当主であった岩崎氏が青少年の交流の場として建設したものだそうで、立派な庭と和風の外観が見事です。ただし、室内はかつてダンスホールだったとか。ここで、西尾市教育委員会文化振興課文化財係長の松井さんから「西尾城下町の形成とそれからの西尾」と題して、西尾の町の成り立ちについてお話を伺いました。縄文・弥生から始まって、実際に今の町の基礎となっている15世紀後半頃からの城を巡る歴史と次第に町が形成される様(6万石大給松平氏の移封や参勤交代廃止に伴う江戸詰め武士の帰郷による堀外への新開地の形成)。さらには明治後の城の解体秘話や駅開通と耕地整理、昭和の火事と道路拡幅。現在の町の形成。「三河の小京都」と言われる西尾ですが、そのほとんどは昭和初期のもので「昭和の息吹を感じさせる町ですね」と映画監督の篠田正浩氏も言われたそうです。西尾劇場のことと思い合わせ、今後のまちづくりを考えるに興味深い指摘です。
 大変興味深く、かつ判りやすいお話の後、場所を変えて昼食。そして再度午後の部の町巡りに出ます。再度本町筋をまっすぐ北に進んだ旧井桁屋のある中央通りとの交差点は三叉路となり突き当たりに常夜灯がそびえていたそうですが、今は北側にあるお寺の敷地内に移されています。このお寺は民家や学校を移築した建物を社務所等に使ってありました。この他にも市内に点在するお寺はいずれも大変立派なものでした。本町筋と中央通りにはアーケードがあり、屋根部分のオレンジ色の帯はかなり目障りですが、こんな雨の日にはけっこう便利で、商店街からは取り壊しといった声も上がっているようですが、アーケードの下は現代的な店舗、帯の上には昔からの連枝格子という景観もまた一興で、通りの景観にあった便利なアーケードの存続というのも面白いと個人的には思いました。またかなり古いものが取り壊される中には、第一生命のビルのような主張を抑えつつ思い切り現代的なセンスのいいものも見られ、これと古い民家が並んでいる様子はけっこう様になっていると思いました。
 肴町通りはアーケードもないので古い外観がよく見えます。ここに残る平井家は江戸時代から残る建物で、2階部分の階高が低く、屋根には箱神が乗り、また入り口の右側には貴賓向けの屋敷もつながっています。またこの左側から入っていく小径は板塀が続き、雰囲気のあるものです。残念ながらこの頃から雨が嵐のように降り始めたので、町並み見学を中止して、足早に復元された西尾城公園の方に急ぎました。途中、元銀行の建物などもあって、前回見たときに感じた以上に意外に古いものが残っていると感じました。

 お城廻りは前回報告したとおりですので省きます。旧近衛邸でお茶を頂いた後、再度まちを歩き、尚古荘へ戻って、インスタントカメラの現像を待って、市外から来た者、市内の方、それぞれの感想と意見交換を行いました。
 その中では、地元の方が、「保存」ということを、意外に重要視し、かつ重荷に思っていることが印象的でした。私は必ずしも「保存」ばかりにこだわらない方がいい、「保存」をしたい人は保存を、新しく建て替えたい人は建て替えればいい、というように思っています。保存も建替も、どちらも将来の西尾のまちを新しく「つくる」行為である、というのは意見交換の際にも話したのですが、そのどちらも西尾の将来に対し重要な意味を持っているということは認識する必要があると考えます。つまり、住民が自分たちの町に関心を持ち、保存するにせよ、建て替えるにせよ、その行為の町の将来に対する重要性を認識しつつ、精力を傾けてほしいと思っています。
 さて、そのための「行政の役割」「専門家の役割」ということを、他地区の事例を混ぜて(というのが発言にあたっての要求でした)、意見交換の後段で話させていただきました。
 まずは足助の事例。足助町では「足助の街づくりに関する要綱」により歴史的地区内で建築行為を行う場合に届け出を義務づけ、それを住民により組織された「足助まちづくりの会」が審査・助言を行う仕組みをつくり、最後は住民がYES/NOを決めるようにしていますが、審査とか助言とかは別にしても、住民が、自分たちの町でどんな建築・まちづくり行為が行われようとしているかを常に知り得るというのは、関心を持つ第1歩であると思います。これに限ることはないですが、住民が自らの町に関心を持つことに対し、行政として支えていく役割を期待したいと思います。
 また谷中学校の事例。「谷中学校」については「東京漫歩」のページで紹介したとおり、建築・都市計画の専門家という職能を生かして、住民主体のまちづくりに向けた技術的な支援活動をしています。西尾でこれからどんなまちづくりが展開されるのかわかりませんが、建築士という職能を持った専門家が果たすべき役割は大きなものがあるだろうと思っています。


 今回の見学会を契機に、行政、建築士(会西尾支部)、そして何より住民レベルで、将来に向けたよりよいまちづくりが動き出すことを願ってやみません。この場合の「よりよい」とは、誰かが我慢するのでない、経済的にも精神的にも豊かで、未来に資産として残しうる「まちづくり」をいうと思っています。それに向けて、住民も含めたワークショップの開催等の機会があれば、是非参加したいなあ等と、今後の進展を期待しつつ、また雨の中の町並み見学も楽しかったかなと思い出しています。支部の皆様、どうもありがとうございました。

 西尾市のホームページが開設されています。どんな街か知りたい方はどうぞ。  西尾市




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