
(2000/ 7/ 8)
梅雨の合間の曇天の土曜日 かねてから一度訪れたかった「近江八幡」へ向かった。昼食を食べた後、家を出て、2時半には「近江八幡」の水郷めぐりの船着き場に到着。司馬遼太郎の「街道を往く」で読んで以来、一度乗ってみたかった手こぎ船による水郷めぐりは、わずか7人がゆったりと足を伸ばす小さな船で、葦の繁る水面に迷路のように開かれた水路を、船頭さんが約1時間かけて櫓を動かし、棹を差してゆっくりと進む。葦の脇には真菰(まこも)や菅(すげ)が繁り、川柳が被う。カイツブリが潜り、ヨシキリが唄い、アオサギが大きな身体を舞い上がらせる。水路の脇には川魚の仕掛けがいくつも仕掛けられている。かつては、このあたりの農家は、1軒の1艘の和船をもち、葦の刈り取りや田作業に通っていたそうだ。ちょうど畑仕事のおじいさんが大きな柄杓で水を汲み上げ、ナスに撒く。船頭さんと言葉を交わす様が心地よい。しばらく進むと広い水面に出る。その先には風情ある和橋が。空と山と葦原と水面だけの、電柱も建物もないこの橋の上では、映画の撮影などもよく行われるとか。時々川面を吹きすぎる風と鳥の声を聞いていると、時間を忘れ、ずっとこのままの時が続けばと感じてしまう。葦は水とともに旅人の心も浄化してくれるようだ。
豊臣秀次が開町し近江商人発祥の地でもある近江八幡は、八幡堀を中心に、伝統的建築物群保存地区に指定され、古い建物がいくつか残っている。と同時に、通りも整備され、いくつかの民家には修景の補助も出ているのか、きれいに改修されている。まずは新町通りから、街の中を歩いてみる。新町通りは旧伴庄右衛門邸、旧西川利右衛門邸と古い商家が残り、白壁塀の向こうには立派な見越しの松が顔をのぞかせる。郷土資料館や歴史民俗資料館なども見せてもらいつつ、のんびりと歩く。通り沿いの診療所がきれいに改修されている。しばらく行くと「麩の吉井」さんに着く。若い女性を相手に愛想良く応対するおばさんの声に引き入れられ、生麩とちょうじ麩のからしあえを買う。さらに歩くと八幡堀。堀の曲がり際が階段状に整備され、和船が繋がれている。堀を見通すと、橋と緑の木々。アジサイの花がきれいに咲き誇る。静かな夕方。家族で水辺を歩く。と今度は「川魚のかわとく」。鮒寿司とモロコ他の佃煮を買う。先の「吉井」さんといい、お店の方が親切で椅子の腰掛け、お茶に試食とついつい長居をしてしまう。かつての小学校である白雲館を見つつ、また堀に戻り、かわらミュージアムへ。瓦と白壁が組み合わされた造形的に楽しい建物。既に閉館していたけれど、中庭に入って鬼瓦とドームを中心に両翼に拡がる建物と庭を楽しむ。どこからかアヒルの声。夕闇が迫る。
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旧伴庄右衛門邸 | 新町通り筋 | 新町通り筋の修景された診療所 |
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| 白雲館 | かわらミュージアム・入り口 |
かわらミュージアム・中庭から/ドーム下鬼瓦 | |

八幡小学校 |
近江八幡といえば、メンソレータムの近江兄弟社創設者にして建築家のウイリアム・メレル・ヴォーリズ。八幡堀からしばらく歩いた仲屋通り沿いに「旧八幡郵便局」。しばらくは商家として利用されていた時期もあったようだが、現在は「一粒の会」というNPOが組織され、一部改修も施しつつ管理されている模様だが、まだまだ改修途上という印象。私達が行ったときには道路に張り出した小部屋で若者が数人集まり会合をしていたが、こうした建物が地域づくりの核として存在し活動を育てているかと思うと嬉しい気がする。その後、旧YMCA会館、ヴォーリズ記念館、池田町洋風住宅街と見て回る。いずれも派手さはないものの、煙突や窓に使われるアーチと、レンガや塗り込めたスタッコ調の外壁、また白壁にハーフティンバーの梁・小屋組み表現など、様々な建築表現が自然に簡素に使われ、近江八幡のゆったりとした風土と実にマッチしているように感じる。
ヴォーリズを、近江商人を生み育てた街・近江八幡。そのルーツはゆったり流れる水郷の時間の中から生まれてくるのかもしれない。