
白壁・撞木町界隈 ウォッチング
大同特殊鋼二葉荘(旧福沢桃介邸)
(95/07/17)
95/7/15に愛知建築士会のトリエンナーレ特別委員会が主催する「白壁町界隈のタウンウォッチング」に参加してきました。
名古屋市白壁・主税(ちから)・撞木(しゅもく)町は市役所・県庁の東側に広がる旧武家屋敷街で、名古屋高速の足下、高層マンションや事務所ビルが居並ぶ中に、いくつかの由緒ある建築物が点在しており、名古屋市の町並み保存条例に基づく保存地区に指定されています。
当日は曇天の中、旧名古屋高等裁判所である市政資料館の喫茶室に集合し、この界隈の建物のいくつかを見学しました。メンバーには名古屋市の職員の方、特に教育委員会で働いている方などが見え、また数軒は家の中まで案内していただき、とても良い時間を過ごさせていただきました。
● 愛知県議員会館(旧大喜多虎之助邸)
まず名古屋市市政資料館を南に向かって、愛知県議員会館に行きました。ここは大正年間に名古屋市長も務めた旧大喜多虎之助邸であり。西向き入った正面に木造の洋館、その奥には和風の住宅が連なっています。現在も議員会館として使われているため、クーラーの設置や必要な修理等もなされ、良い状態で保存されています。南北側の小路から、外観がよく見えます。なお北側の小路の周辺は低層木造住宅が密集した地区になっており、下町的雰囲気が味わえます。
● 主税町カトリック教会 礼拝堂・司祭館 (名古屋市都市景観重要建築物)
議員会館から東に向かい名古屋高速道路の下をくぐると、主税町カトリック教会があります。
ここは明治22年頃に建築された教会で、この地域では最も古い部類の建築物です。ただし現在も使用されているので、その後かなり改修等がされており、礼拝堂は正面に尖塔とステンドグラス窓が付け加わっていますし、外壁も改修されています。
中に入ると畳敷きの礼拝堂で、柱の柱頭部にアーチ状の梁がかかり、柔らかい雰囲気です。しかしよく見ると梁が波打ち下がるなど、明治以来の年代が刻まれています。
司祭館の方は外観だけですがイオニア式の柱頭飾りなど、それなりにきれいな建物です。外壁の塗り替え等、それなりの手入れもされているようです。
● 伊藤家住宅、大森家住宅
カトリック教会の南の筋を東にはいると、伊藤家住宅と大森家住宅があります。どちらも路地状の空間と道路に面した立派な塀が特徴です。残念ながら中は見れませんでしたが、こんな都心の真ん中にと思わず見とれてしまう住宅です。
● 江口太郎邸
これらの東側に、江口太郎邸があります。今回、江口さんのご厚意により、中を拝見させていただきました。
伊藤家等と同様に右側の路地状になったところを奥に進むと、左側に煉瓦が張られ妻面上部に木組の見える瀟洒な平屋建ての洋館があります。中は暖炉のある応接間一室に周囲に広縁がめぐる間取りとなっており、この応接間でお話を伺いました。
洋館は広縁のサッシュをアルミに替えられたり、外壁も真壁の木組が見えるものだったものに煉瓦タイルを貼るなどの手を入れていますが、広縁部分の天井の葡萄飾りなど、室内側は当時の面影が残り、上品な雰囲気です。
敷地規模は約600坪。洋館の奥に和風のかなり大きい建物があります。
この屋敷は、江口さんの先代が終戦直後、財閥解体時に三井物産から買い受けたものだそうですが、その後暫くは進駐軍に接収されていたそうです。進駐軍は、よく言われるようにここでもかなり無茶な使い方をしたようで、床柱にニスを塗ったり、床の間を便所にした例もあったそうです。
この屋敷の床柱もそうした跡がありましたが、茣蓙を敷き、前後が庭に囲まれた室内は、風がよく通り、大変涼しく過ごし易そうでした。
● 井元啓太邸
江口邸の東側にマンションを挟んで井元邸があります。
玄関を入り右側に聳える蔵に沿って進むと正面に2階建ての洋館があり、玄関があります。そこで井本家の若奥さんが我々を迎えてくれました。ただし、1年ほど前からここには住んでいないそうで、多分掃除等はしていただいていたようですが、階段室のガラスが割れるなど、かなり荒れた状態になっていました。
1階は入って左側が応接間となっており、さらに1間、洋室があります。玄関右側の階段を上がって2階は、寝室が2間に居間が1間、それに広いバスルームがついています。寝室の間に物入れがありましたが、多分後から廊下を潰して改修したものだとおもいます。室内は漆喰の天井が見事ですが、ペンキが剥がれ落ちている状況でもありました。
洋館の奥は和風の建物が続きます。南北の縁側(北側は廊下?)に挟まれて2間づづきの和室が東西に2間とさらに西に16畳ほどの和室が2間。かなり大きい建物です。その北側には土蔵が建ち、中庭になっています。中庭に面した壁は土壁に杉皮を張った風情のあるものでした。また洋館から直接続く板の間は台所及び風呂等の水回りにつながっています。台所に大きなGMの冷蔵庫があり、1年前まで現役で動いていたそうですが、流線型の時代を感じさせるもので、開運鑑定団へ持っていったら幾らの値が付くんだろうと雑談を交わしました。(^_^;)
さらに中庭には茶室がありました。4畳程度の主室に下屋のついた本格的なもので、挟み敷居のにじり口、貴人口等があります。また主室は真ん中に板の間がありその左右に畳が敷かれるという変わった形をしていました。又天窓があったのも珍しいんじゃないでしょうか。
固定資産税もかなりかかるということで、どう活用・処分したらいいか検討している所だと言っていました。江口邸から3軒続く豪邸も、真ん中はマンションに変わり、井元邸も今は不在ということで、今後これらの住宅の変遷とどう活かしていったらいいのかが非常に気になるところです。
井元邸を出て東に向かい、最初の交差点を北に向かうと、通りの左側に木造の長屋建て店舗が並んでいます。黒い下見板の低い2階建てで、1階の屋根には祠の載った屋根神様が鎮座しています。中程に木戸があってくぐると裏側に大家さんが・・・ここは中庭になっていましたが、典型的な長屋借家ですね。
● アイシン精機主税町荘
さらに北に向かうと、現在一部取り壊し中の建物に行き当たります。これがアイシン精機主税町荘・旧豊田佐助邸です。
豊田佐助はあの豊田佐吉の弟で、豊田紡績の社長等を務めた人物です。
まず入って正面に白い洋館があり、それに続いて2階建ての和風建物。そして中庭を挟んで和洋折衷の建物、さらに西奥に蔵があります。
なんでも専門家の評価では、順番にA,B,D,Cの評価だったそうで、現在残念ながらDを取り壊し中。後の3棟についてはここの所有者であるアイシン精機から名古屋市が1年の期限で税免除の上無償借地し、なんとか来年度の予算で保存の方向に持っていくべく、知恵を出し合っている、ということでした。
その取り壊されつつある和洋折衷の建物ですが、4棟の中では最も評価が低かったとはいうものの、実はこれが一番古いもので、昔は洋館と並んでいたものが引き家され現在の位置にあるという事でした。煉瓦積みの基礎の上に土台が載せられていましたが、材には全く痛んだ後がなく、当時の使用された木材の質の良さが伺えます。室内には漆喰仕上げの天井の飾りや手すりの装飾などが目を引きました。
洋館は白いタイルが貼られた陸屋根の木造です。1階に応接間が3部屋、2階は座敷が2間あります。ここで目を引くのは、漆喰天井の4隅に設けられた鶴にトヨタのマーク入り換気口です。その他照明器具なども立派なものでした。
室内は続いて和風建築の方につながっていますが、これはもう数えられないほど多くの座敷が入り組み並んでいます。この1階2階に数多くの(多分6〜8位)トイレがありました。多分昔から客を宿泊させる目的で使っていたのではと思います。2階廊下の引き戸を開けると屋上への登り口がありました。軋む階段を上ると陸屋根にちょこんと突き出た木造のペントハウス。屋上はシート防水がしてあり、なんども改修をしているようです。立ち上がりの所をよく見ると、瓦が載った上に、石が張られ、さらに銅板でまいてありました。元々は石まででしょうか。それにしても瓦が張ってあるところが面白い。
なんとか保存できるといいですね。「街角資料館」なんてのはダメかな。取りあえずは市政資料館分室として蔵の中に資料を何点か保管しているそうです。
● 春田文化集合住宅
豊田佐助邸の左隣が春田邸。数軒おいて春田文化集合住宅があります。こんなお屋敷町に集合住宅といっても、マンションではありません。昭和3〜7年に竣工した12軒の木造タウンハウスです。設計は武田五一。施工は志水組と大林組。U字型の道路と広場を囲んで12軒の洋風住宅が並び、入り口にも1軒が建って完全に中を私有空間にしています。広場は現在は駐車場と化していますが、我々が行ったときにはほとんど止められていず(ひょっとしたら車所有者は少ないかもしれない)、周囲を彩る木立に囲まれ、別天地に来たようでした。かつてはソニーの盛田氏の子息や名大医学部の教授連、またアメリカ大使館副領事等も居住し、語らいの場、交流の場として広場も多く使われたそうですが、今でもほとんどの住宅は住まられており、こんな所へ住めたらと思わずにはいられませんでした。とっても素敵な小空間です。ちなみに賃貸のようですが、家賃等は不明です。
春田文化住宅を西へ出て、一旦名古屋高速道路を上に仰ぎ見ながら北へ一筋上って、また東に入ります。これは白壁町筋。
● 料亭「樟」 (重)
白壁町筋に入ってすぐの南側にある「料亭 樟」は、黒く塗られた和風の門と板塀が目を見張ります。ただし当日はここで雨が降りだし、もちろん中に入れる訳もなし。あまり記憶にないのが正直な感想です。
● 白壁町ハウス(旧豊田家門・塀) (重・景)
その北側に面しているのが旧豊田家の門と塀。邸内は既にマンションになってしまって、今は門と塀しか残っていない。しかしこれも黒く塗られた重厚な門・塀で、こんな塀に囲まれたマンション生活というのも悪くないですね。現在もマンションの入り口として門も健在です。門からは生け垣を隔ててマンションのタイルが見えますが、まあ気を使っていると言っていいでしょう。もう少し距離があっても、とも思いましたが。
白壁町通りをそのまま東に進むと、交差点の南西角に「加茂免旅館」があります。ここは旧中井洋紙店主の邸宅だそうで、外からは木造2階建ての洋館だけが望まれます。さて、この交差点を北に折れ、出来町通りを渡ると、中産連ビルです。このビルは南側に増築していますが、北側は60年代風のモダニズム建築。設計は坂倉さんだったかな?
● 大同特殊鋼二葉荘(旧福沢桃介邸)
さてその北側の交差点を西に折れ、北側から外観をながめ、そしてふと北に目を転じると、大同特殊鋼二葉荘(旧福沢桃介邸)がありました。ちょうどそこで那古野の台地が終わるそのはずれに建てられたこの屋敷は、南側から見ると、空をバックに伸びやかな洋瓦が美しい。特に階段室の所で急勾配で垂れる屋根瓦が目を引きつけます。珠玉という言葉がふさわしい、名古屋にもこんな洋館があったのかと思う美しい建物です。
● モーニングパーク主税町 (景)
さて、最後に向かったのが「モーニングパーク主税町」。今回のウォッチングの中で、これだけが最近できた現代建築で、白壁町ハウスと並んで、名古屋市の都市景観賞を受賞した高齢者マンションです。設計はKAJIMA DESIGN 。
今まで遠めで見たことが1回と、後は写真で見ただけでしたが、その印象は真っ白くて、デザイン的にも面白いとは思うけど無機質な感じがこの界隈には合わないのでは、と思っていました。
でも実際行ってみると、小さく分節化したデザインがかえってこの地域のスケール感に合っている感じ。玄関回りの自然と中に導いていく壁面のカーブや屋内側も中庭と一体となって明るい雰囲気で、とても気に入りました。
真っ白な外観は、現在西隣にマンションが建設中でしたが、それができると通りからはほとんど隠れるので、気にならなくなるかもしれない。遠目よりも近くに立ってよさがわかる建物でした。
(96/03/21)
上の感想文で、「井元邸」として紹介をしている建物は、その後、設計事務所やデザイナーなど複数の方が店子として借りられ、撞木館として再スタートしています。
一昨日は建築士会の委員会で、食事をし、話をしてきたのですが、食事は尾張家徳川宗春の時代の弁当を再現した宗春弁当を食べつつ(これがまたおいしい上に見栄えもいい。食べたい方は徳川美術館で事前に予約すると食べさせていただけるそうです。)、市内の古い建物のスライドやビデオを見つつ、これらの建築資産をまちづくりに生かしていこうという趣旨で、様々な議論や話をしました。
撞木館では、「住まい・暮らしのギャラリー 自由空間」というスペースがあり、あさだはるみさんという方が喫茶と住まいやまちに関する本や暮らしの道具などを置いたり、展示をしたりしている所があります。のんびりした時間を過ごすことができますので、是非どうぞ。
また、名城大学(元熊本大学)の延藤先生を呼んで、「絵本まちづくり探検」という催事をやられたり、設計事務所をやられている住工房さんでは、第一土曜建築学校と称して、毎月1回建築に関わる職人さんを呼んで「ものづくり」を見直そうというイベントを開催しています。
そちらの方もよろしければ参加されると面白いかと思います。
注意:これらの建物は、愛知建築士会のメンバー及び建物所有者の好意により見学させてもらったもので、通常は見学が許されないものもあります。勝手に敷地内や建物内に入ることは違法行為になりますのでご留意願います。
(97/01/27)
97年1月22日付けの中日新聞26面に「桃介、貞奴の愛の巣ピンチ」という記事が大きく掲載されました。このホームページの冒頭に写真を使い、また後ろから2番目で報告をしている大同特殊鋼二葉荘(旧福沢桃介邸)が、老朽化が進んでいること、維持管理費に年数百万円かかっていること等から、所有者である大同特殊鋼が取り壊しの方針を名古屋市に伝えた、という内容です。市ではかねてより「文化財の指定条件は十分残している」として保存を要望していたが、同社の買取要請に対し、土地代も含め数億円もかかり、また具体的な利用方法もないため買い取りは不可能としています。横に、名古屋市立大学教授の瀬口先生のコメントが載っていますが、全く同感であり、利用法は後日市民全体で考えることにしての取りあえずの買い取り確保という方法も含め、この遺産がなんとか消滅しないようにしてほしいと思います。