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八事界隈 ウォッチング

 料理旅館「八勝館」


(96/06/25)
 1996/6/22に、愛知建築士会トリエンナーレ特別委員会主催の「建築資産をまちづくりに活かすシミュレーションタウンウォッチング part4」という催しが名古屋市の八事界隈で開かれましたので参加してきました。以下、見学させていただいた建築物を一つ一つ取り上げながらの感想です。

* 料理旅館「八勝館」
 集合場所は名古屋では名高い料理旅館の「八勝館」でした。建築の関係者には堀口捨巳が学会賞を受賞した作品と言った方が早いでしょうか。ここの、昔、天皇が宿泊されたという「御幸の間」にて、食事をいただくことから今回のウォッチングはスタートしました。前面に色濃い緑と落とし水の音が涼しげな庭が広がり、テラスが突き出す。先程までの地下鉄や道路の喧噪が嘘のような名古屋東山の別天地。しかし解説(作品発表当時の堀口捨巳自身が書いたもの)を読むと、「・・・近頃は周りにも建物がたちはじめて、ようやく街の一部という感じになってきた。それにしても敷地1万坪を越える山の中では多くの野鳥がいて、街の中とは思えない。」とある野鳥の声はさすがに聞こえない。音聞山(何の音を聞いたんだろう)の丘上に位置し、八方に景勝の地ということから名付けられた「八勝館」も今では、周辺を駐車場ビルやマンションに囲まれている。
 しかし、たとえ周りの環境は変わっても、この御幸の間に座って感じる雰囲気は、静けさ、涼やかさ、そのまま。これはやはり旅館の主人の心遣いの賜と思います。室内は3寸ほどの細い柱に2間を優に飛ばして開放感のあるガラス戸で、大変明るく軽やかな空間となっています。床の間も3間を飛ばした杉柾の落懸。しかし床柱には2面柾の板目側を正面に出すなど、妙に萎縮しない自由さと気高さが同居していました。左側には茶室を模した付書院、そして南側にテラス。
 ついで、御幸の間に続く「残月の間」。ここも茶室にしてはとても明るい雰囲気で、雪見障子の白と、それを開け放した緑の鮮やかさがとても印象的です。四方には蚊帳吊りの金具が旅館としての機能を偲ばせます。
 続いて長い廊下、一部RCの本館を渡って、「きくの間」へ。ここも堀口捨巳。床の間、広縁に半間分張り巡らせた畳が伸びやか。照明は障子の中に隠され、余計なものの見えない計算し尽くされた自由さ、伸びやかさ。しかしその先の桐の間は、今はマンション建設のため取り壊され、RC本館の中で再現されている。また大広間も同様、再現されているのですが、この冬の間の暖房等によって、襖絵が割れたりしているのは残念です。細かい襖桟の細工や欄間の意匠等が見事でした。

* 興正寺
 八事山興正寺といえば、今でも祭礼の日には大変賑やかですが、この総門、中門と五重塔が名古屋市都市景観重要建築物に指定されています。建築年はいずれも江戸中期から後期ですが、特に五重塔はこの地域唯一のものとして見応えがあります。斗供、肘木といった専門的なことは他に譲り、僕らは各層の屋根の上に置かれた瓦が何のためのものかと騒いでいましたが(私は雨垂れ受けと主張)、お寺の僧侶は屋根の重石とおっしゃっていました(??)。中門脇の古風な「コーヒー店」や屋根の上で逆立ちをする狛犬など、素人ながらの見所が多かった。

*南山大学
 続いて15分程歩いて、南山大学のまずはライネルス館に向かいました。ライネルスとはこの南山大学(当時は南山中学校)の初代校長を勤めたカトリックの宣教師、ヨゼフ・ライネルスのこと。設計はスイス人の建築家マックス・ヒンデルで昭和7年の竣工。ヒンデルは函館のトラピスチヌ修道院や上智大学を始め、カトリックの施設を多く残している人だそうですが、この南山においても、このライネルス館に続いて教師館、体育館等がヒンデルの設計を基にし造られたようです。
 黄土色の壁と窓がリズミカルに3階まで続き、最上階バラペット部にちょこんと山形の切り込みが入る端正なデザイン。内部は現在でも管理部門、又は教室として使われていますが、白漆喰壁が一部剥がれ落ちたりして、かなり老朽化しています。腰板なども張り替えられていましたが、腰板部の枠材やパテ止めの木製サッシュ、丸い磨りガラスの入った間仕切り壁など、当時のものもかなり残っていました。
 続いて、隣接する講堂(1階部分は礼拝堂)を見ました。これは昭和26年の竣工。設計は清水建設だそうですが、外観はライネルス館に合わせるとともに、内部も飾り気のない、しかし気品のあるデザインにまとめられています。特に玄関・階段ホールの緊張感のある構成と講堂の天井部の流れるようなデザインは出色だと思います。
 最後にピオ11世館を見ました。これは創立当初建てられたものが焼失した後、日建設計の設計で昭和28年に建てられたもの。これも外観はライネルス館に似せてあるが、玄関・階段ホールにステンドグラスを用いるなど、象徴的な姿となっている。ピオ11世とは、昭和初期のカトリック法王の名で、この寄贈により建設されたため今もその名を残しているそうですが、現在も当時と同様、教師館として利用され、また一部は間仕切りも抜いて小教室として、また最上階は礼拝室として使われています。各部屋の堅牢で瀟洒な作りと老化天井部のアールの梁の白漆喰がとてもきれいでした。

* 名古屋市「東山荘」
 南山大学のある「いりなか」から車で5分程、南に下がったところに名古屋市「東山荘」があります。これは大正年間、綿布商を営んだ伊東信一氏が造られた別荘で、昭和11年に市に寄贈され、一時市長公舎として使用されたりした後、昭和43年から一般公開されている施設です。約12,000m2の敷地に建坪160坪の和風家屋と自然回遊式の林泉庭園があります。建物は和室、茶室に洋室と様々な部屋が10以上も並び、1階から2階と庭の景観もとりどりで、楽しくくつろげる空間になっています。10年近くの歳月をかけて造ったということから、和瓦もあれば釉薬をかけた瓦もあり、2方向から上がる階段やら、茶室風の2階の小間ら、なんとも変化に富んだ不思議で楽しい・・・。私たちもすっかり1日の疲れを癒してしまいました。半日で1部屋約1000円ということで、夏の午後、涼みに来るのもいいかも。

* 中村邸
 今回、番外視察となっていたのが中村邸。今年1月の地元紙に「江戸時代の門 取り壊し寸前」というタイトルの記事が出ました。所有者の中村さんのご主人が昨年の1月に急死。同時期に父親(有松の町並み保存で有名だった竹田嘉兵衛さん)も亡くし、双方の相続税が同時にかかってきてやむを得ず、夫の生家の土地にマンションを建設することになったものの、かつての名古屋の豪商・後藤家の別荘地であったこの土地には、江戸時代の門を始め、竹を割ったものを止めた壁に陶器釉薬瓦を乗せた塀、そして和風平家の建物に様々な形の灯籠が並ぶ庭園など、約500坪の敷地内には様々な建築資産が並んでいました。このうち門については名古屋市が引き取ることとなり、すでに解体・保管されていますが、家屋については今まさに解体中とのことで、まだ形のある今、最後の雄姿を見せていただくことになりました。
 さすがに閑静な住宅街の中で、一部解体が始まっているとはいうものの、庭に望む和室に腰を下ろし奥さんのお話を聞いているのはとても快い時間でした。このあたりは風致地区に指定され、建坪率30%、壁面後退の制限のかかり、現況のまま保存するのは困難。特に門だけで10坪近くあるので、建坪率の関係でこれを現地に保存するのは無理だった由。しかし名古屋市の英断で塀は現況活用が認められ、庭も極力残す形でマンション計画がたてられ、また家屋も和室はマンション購入予定者が現況のままマンション内に再現するなど、できる限りの手は打たれているようです。また中村さん自身も自費でビデオ作成や現況の家屋等の図面起こし等の作業もされ、今回やむを得ず取り壊されることとなったものの、所有者の思いというのは痛いほど伝わってきます。
 できれば市で文化財として購入できればいいのでしょうけど、それだけの価値はない。トラスト運動などで市民が買収できるだけの資力もない(ちなみに現況評価で土地だけで5億程度、バブル期にはその3倍以上の価格がつけられ、相続税もちょうどそのころの評価で行われたと聞きます。)。前回行った白壁界隈では既に法人所有になるものはなり、マンションに変わるものは変わってしまっていますが、この八事界隈では開発が遅かったこともあり、今まさに相続による建物解体の波が訪れようとしているようです。中村さんが言われた「この時期を乗り越えた建物が文化財として評価されるのでしょうかね。」という言葉は、とても印象的でした。

  注意:これらの建物は、愛知建築士会のメンバー及び建物所有者の好意により見学させてもらったもので、通常は見学が許されないものもあります。勝手に敷地内や建物内に入ることは違法行為になりますのでご留意願います。




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