
シエナ−夢見るゴシック都市
 | 【書 名】 | シエナ |
| 【副 題】 | 夢見るゴシック都市 |
| 【筆 者】 | 池上俊一 |
| 【出 版 社】 | 中公新書 |
| 【ページ数】 | 256P |
| 【出 版 日】 | 2001年11月25日 |
| 【価 格】 | 860円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-12-101614-9 C1222 \860E |
著者の池上くんは高校の同級生である。当時から仙人と渾名されていたが、今では西洋中世史を専門とする東京大学助教授として活躍している。その彼の著書をふと書店で発見し、思わず購入してしまった。中世史の観点から書かれた本だが、都市計画的にも非常に興味深い。12世紀・13世紀という時代が全く指呼の間にあり、手に触れられる存在として現にある。そんな都市の姿は日本からはとても考えられない。わかりやすく愛情にあふれた良い本であると思う。
- トスカーナの農村風景は、どうにも比較を絶した傑作である。・・・それは、目に映る美しさというより、からだに染み透る美しさである(P7)
から始まるトスカーナ地方、そしてシエナの描写は、その描写自体が美しい。池上くんはこんな文章を書ける人だったんだろうか。シエナの美しさが筆をどんどん進ませているように感じる。
- 農村や山地から養分をえて育つ植物的な成長物としての町(P13)
- 都市の住み心地や美しさや気品というのは、建物だけがもたらすのではない。たしかに都市構造は重要なのだが、それに魂を吹きこむのは、人間たちのやむことのない社会的な儀式や彼ら相互の、また外部の者への心尽くしなのである。また人間に狙いをさだめたとき、都市のかたちとは、住民たちの精神のかたちの隠喩でもある。(P15)−この都市論には全くもってそのとおりと感服する。
- 都市に仕えるコンタードとその住民。ところがまったく反対に、コンタードが都市を「支配」している。都市はコンタードという海に浮かんだたよりない浮島にすぎない(P29)−富山和子氏の環境論に通じる都市と田園の関係
- カンポ広場とそのまわりにたちならぶ古雅な館や蒼穹にそびえる塔との絶妙の調和。そこには骨の髄まで染み入るようなかそけき神秘主義と、明快で合理的な商業精神とがともに流れこんでいる(P56)
- 1309〜10年の「都市条例」にある、次の言葉・・・「都市を統治する者が関心を向けるべき物事のなかでは、その美がもっとも重要である。心地よい都市の大切なもろもろの美のうちのひとつには、市民と外国人の喜びと嬉しさのために設けるべき広場がある。(P57)
- 勝手な意匠で都市全体の審美的な調和をみだすことは許されなかったのだ。建築ラッシュと建築規制は、手を携えて進行した。(P141)
これらのシエナの都市造りに関わる言葉にも中世から続く都市ならではの高い市民意識が伺われる。羨ましくもあるが長い伝統の結果であることを理解する必要がある。実に1309年の条例である。
- シエナは、いつ訪れても修復作業が行われていないときはない。・・・それでも中世の見掛けをたもっていることは、不断に摂食と排泄を繰り返し、死滅した細胞が誕生した細胞と入れ代わりながら、「同一性」をたもつ人体ににている。シエナはたえず変化しながら、その本質を維持し続けているのだ。(P234)
犬も歩けば赤岡町
 | 【書 名】 | 犬も歩けば赤岡町 |
| 【副 題】 | 赤岡探偵手帳 |
| 【発 行 所】 | 赤岡町まちのホメ殺し隊 |
| 【企画・編集】 | 若竹まちづくり研究所/梅原 真 |
| 【発 売 所】 | 風土社 |
| 【ページ数】 | 170P |
| 【出 版 日】 | 2001年11月15日 |
| 【価 格】 | 1200円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-938894-48-3 C0036 \1200E |
林 丈二、藤森照信、梅原 真、南 伸坊、赤瀬川源平の各氏を団長に、町民が参加して行われた建築探偵の記録を収録した「赤岡不思議幻灯会」と、その後の町民や子供たちが行った探偵団や写真展、座談会等が収録された「幻灯会の放課後」の2部で構成されている。
前半は、水切り瓦や塀の忍び返しといった建築意匠を始めとして、旭湯の看板や古い自働無販売機(?)などの不思議で懐かしい物、樋の先に置かれた石や階段の隙間を蟻の道に見なすなど何気なくも大いなる発見など、楽しい写真と短いコメントにあふれている。
後半はこのイベントの感動と衝撃が持ち寄られた土佐弁丸出しの座談会などが面白い。例えば次の下り、
- 新しいモノの中にも見方によって面白いモノがあったり、やっぱり古いモノは古いモノで良かったり。・・・それまでまちづくりのなかで、なんか古いモノ、古いモノって探しよった部分があるやんか。でも、探偵団のなかで、マンホールとか赤岡のマチのなかにあるもののなかにもこんな見方があるというのを教えてもろうた。(P146)
最後に建築探偵をリードした4人の団長からの便りが載せられている。これがまた含蓄がある。
- 「みんな」の前に、先ず「個人」。個人が見えない町は、面白くありません。(梅原 真/P166)
- わざとらしくなるのは、住民の参加意識が少ないからじゃないでしょうか。街並みを考えるというのは、一軒一軒のお宅が外側に向かってつながること(南 伸坊/P167)
最後に、「この本が売れれば、町内にある一軒の風呂屋(旭湯)が残る」そうです。1,200円という価格にしてはあっという間に読み終わってしまう本ですが(でも全編カラーなのでしょうがないとも思いますが)、みなさん是非協力してあげてください。
天下無双の建築学入門
 | 【書 名】 | 天下無双の建築学入門 |
| 【著 者】 | 藤森 照信 |
| 【出 版 社】 | ちくま新書 |
| 【ページ数】 | 237P |
| 【出 版 日】 | 2001年 9月20日 |
| 【価 格】 | 720円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-480-05912-1 C0252 \720E |
「雑合としての建築学」(P236)。あとがきに書かれた言葉である。実に博識な藤森教授が、縄文の建築技術「磨製石器」や「しばる技術」から始まって、基礎・土台、柱、板、屋根と上り、また建材、戸、床、天井、照明、窓、はたまた廊下、台所、階段、便所、風呂、塀、庭、そしてついには風水、家相と至って、建築そのものまで、絶妙な筆致で書きに書き、述べに述べる。専門家のはずの私も知らない話が満載。あっという間に読める知的で面白い建築入門書。いや入門者にこんなことまで教えて欲しくない。実はディープな話がいっぱいです。
- "ナワでしばる"は、原始社会にあっては魔法的先端技術(P015)
- 法隆寺のエンタシス説と正倉院の校倉造りの湿度調節説は、奈良の古建築についての二大俗説(P052)
- 銘木陣営もプリント陣営も中間勢力(本物の楢や栗のフローリング材)も、均質化、ツルピカ化という点では同じで、建築界、木材界ぐるみ病んでいる。(P056)
- 草葺き屋根よりもう一歩踏み込んで草生え屋根こそ、日本列島の住まいの原型だった。(P077)
- シック・ハウスの代わりにシックイ・ハウスを!!(P096)
- 誰がつけたか知らないが、蛍光というネーミングもうまかった。(P132)=(蛍光灯を称して)
- 善も悪も、ようするに人間の内にあるものすべてを引き出して際だたせるのが窓なのである。(P140)
- 二十一世紀の糞尿処理のテーマは糞と尿の分別にある。分別によって初めてリサイクルが可能になる。・・・日本のアサガオ満開の朝は近い!?(P172)
- 庭とは時間を無化する装置なのである。(P198)
- 戦後の高度経済成長期の石油ストーブの導入・・・によって、竪穴式住居の暖房水準を数千年ぶりに回復したのだった。かように、現代日本の暖房の歴史は浅く、・・・右往左往の暖房発展途上国なのである。(P210)
- 懐かしいという感情は、・・・人間ならではの心の働きなのである。(P231)・・・建築は懐かしさの最大の器なのである。(P232)・・・夢の中での建築や町並みの特性について、安定性に加えてもう一つ重要なのは連続性。(P233)・・・人が人らしくありうるのは、自分が自分であることの証しは、脳の中に作られている自分の世界と安定と連続による・・・建築や町並みを見て懐かしいと感じた時、実は、意識の奥で、その確認がなされて(いる)(P234)
「千年住宅」を建てる
 | 【書 名】 | 「千年住宅」を建てる |
| 【著 者】 | 杉本 賢司 |
| 【出 版 社】 | ベスト新書 |
| 【ページ数】 | 203P |
| 【出 版 日】 | 2001年 8月 1日 |
| 【価 格】 | 680円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-584-12013-7 C0252 \680E |
大成建設・技術センター建築技術研究所先端技術開発室長の筆者が、「千年住宅」というテーマで、世界建築史や建築材料、構造技術、保存・メンテナンス技術等を解説する。基本的に一般向けの書なので、知識のオンパレードといった感じで、それなりには楽しめるが、深くはない。高耐久建築としての技術だけに終始せず、アメベロベッロ等の民家やブルーモスク等の世界遺産、また自身の経験に基づく、京都聖アグネス教会や法務省赤煉瓦館の保存の話など幅広く展開されるのは興味深い。技術的には次の箇所に関心を引かれた。
- ハイテクレーザーでコンクリート表面をセラミックス化(P133)
- 斜めに貼られたタイルで劣化を防ぐ(P180)
イタリア 都市と建築を読む
 | 【書 名】 | イタリア 都市と建築を読む |
| 【著 者】 | 陣内 秀信 |
| 【出 版 社】 | 講談社+α文庫 |
| 【ページ数】 | 308P |
| 【出 版 日】 | 2001年 9月20日 |
| 【価 格】 | 740円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-06-256548-X C0152 \740E (0) |
法政大学の陣内先生のイタリア物。といっても実は中公新書「都市のルネサンス−イタリア建築の現在」の復刊版。ヴェネチア、ボローニャ、チステルニーノの各都市編については当時(1978年刊)のまま収録してある。今まで陣内さんの業績や著作については関心はあったものの、一度も目を通したことがなかった。基本的にはイタリアの都市と建築の調査報告であり、ある意味思っていたとおりではあったが、意外に面白く読むことができた。何より、もう20年以上前の報告であるにも関わらず、全く古く感じないことに驚く。いくつか日本の都市の現況を思いつつメモをしていた。
- 内部のカッレは、ぎりぎり最小の幅に切りつめられ、光もほとんど射し込まない。・・・中には道幅1メートルに満たないものもあり、雨の日には、傘をもった人同士のすれ違いも、立ち止まって譲り合わなければならないほどである。・・・本当のヴェネツィアの素顔は、この路地裏に面した庶民の住む狭くてうっとおしい家並みにあると言うべきかも知れない。それだからこそまた逆に、開放的な広場での生活が彼らにとって欠かせないものとなるのだ。(P97)
- このようなヨーロッパの広場にたいして、われわれ日本人は一種の憧憬をもつが、そもそも都市の機能とその中での住まい方そのものが、ヨーロッパと日本とでは大きく違っていたことを見落としてはならない。(P118)
- ヴェネツィアの町を観光のための博物館にしてはならない。歴史的環境を生きた場として保存するには、その主人公である住民にとって、古い町が住みやすく魅力的なものでなければならない。そのためには、古い住宅の修復・再生による居住環境の向上、居住施設の拡充、そして地場産業を中心とした職場の整備が必要である(P170)
- 新しい都市機能は・・・すべて新市街にあり、・・・町のインテリ、若い世代は旧街区を抜け出た。手狭な旧街区は、今日老人や庶民のための住宅と商店及び職人の仕事場として生き延びている。しかし、・・・彼らの精神的中心であることに変わりはない。(P217)
- 歴史的な町とはいえ、どれも今なお生きた存在であり、そこに済む人々がよりよい生活空間を実現するために常に新しい価値を付け加えようとしている(P245)
- 保存は都市の社会的な再占奪であり、したがって保存は革命なのである(P249)
- もはや郊外にではなく、「チェントロ・ストリコ」と呼ばれる城壁の内側の歴史的街区に住むことの方が、恰好がよいという価値の逆転が起こってきた。・・・都市に求心力がよみがえってきたのだ・・・日本の地方都市にとって、学ぶところが多い。(P300)
「まち育て」を育む
 | 【書 名】 | 「まち育て」を育む |
| 【副 題】 | 対話と協働のデザイン |
| 【著 者】 | 延藤 安弘 |
| 【出 版 社】 | 東京大学出版会 |
| 【ページ数】 | 276P |
| 【出 版 日】 | 2001年 4月25日 |
| 【価 格】 | 3200円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-13-061118-6 C3051 \3200E |
前作を読んでからだいぶ間が開いてしまった。延藤さんの著作は独特の表現・味わいがあり、時に読みこなすのにしんどい思いをする。それがなかなかこの本に手が出なかった理由。ただし本書は延藤さんのここ15年ほどに様々な雑誌等で発表された論文を集めたもので、色々な調子の文章がそろっており適度に変化がある。
思うに、延藤さんの文章の特徴として、まず言葉遊びのように感じられる表現。例えば、次のような文章。
- 「事業」といえば、効率・合理・管理の見方が思いうかべられるが、「まち育て」ではそれも視野に入れつつも、「コトを育むワザ」の見方をことさらに重視する。/「コトを育むワザ」とは二重である。第一にそれはコトを構想する「コトワリ(理)」を追求する。・・・いまひとつは、それは人々の心に届く「コトのハ(・・・言葉)」の追求である。・・・時には霊をゆさぶる「コトダマ」(言霊)となる「コトのハ」(言葉)を探求し表現することを心がける。(P89)
好きな人には堪えられない表現なんだろうけど、正確に理解しようとすると何を言わんとしているのか(私には)わからなくなる。
もう一つ特徴的なのは、「第1に・・・。第2に・・・。」と並列する表現である。これが必ずしもわかりやすくない。例えば次のような部分では、あえて(無理に)2つづつ3つにグルーピングしている印象を受ける。
- このワークショップが、まち育て想像力をきたえる絶好のチャンスをもたらしているのは、想像力の次の3つの局面と、それに内実を与える住民主体のまち育ての6つの活動原理が過不足なく作用していたからだと思う。/A 全体像を思いうかべる (1)自由発想 (2)相互触発/B 造形表現を与える (1)多様表現 (2)習熟経験/C 未来展望をわかちあう (1)楽遊伝達 (2)全体構造 (P229)
分類分けの必然性が不明確で、言葉遊びにつきあわされている感じを抱く。
ところで本書では、国内でのまちづくり事例の他、オランダやデンマークのコレクティブ・ハウジングの事例をとりあげた「高齢社会における住まい方の創造」(P115〜)や、ロンドンのコベン・ガーデンとおダム・プロジェクトの再開発事例を紹介する「家としての[まち]、町としての[いえ]」(P179〜)が納められている。特に後者は自然にその事例が紹介されており非常に読みやすくわかりやすい。
しかし何より延藤さんのわかりやすさ、親しみやすさは、様々なまちづくり体験の中から抽出された理念を表現するときに発揮される。これは言葉遊びに近く思うかもしれないが、対比的に、またメタファ等を駆使して、明確に定義づけられる。例えば次のような部分には大いに同感するし、心を動かされる。
- 「対象」としての環境をつくり直す「まちづくり」を越えて、人間も環境も時とともにお互いに育みあう「関係」としての「まち育て」(P12)
- 子どもが環境によって感性に磨きをかけられるような環境言語を、子どもたちの生活空間の中にどのようにしつらえられるかということがこれからの環境デザインの課題である。・・・「彼らを押し包むコンクリートの箱もアスファルトの地平も、すべて『彼らなりの自然』であるかもしれない・・・。」(P68)・・・ただし残念ながら「 」の部分は、本田和子「『子どもたち』の『年』」からの引用である。
- <わくわく&リーズナブル>な「まち育て」行動は、<感覚><感情><想像><思考>のすべてをまきこんだ、ささやかな精神運動である。(P93)
- 高齢者の安心居住とは、まわりの人々との精神的居住世界の中で生きる場を得ることである。(P115)
- 土地を単なる利潤追求の対象から解き放し、地主・住み手・公共団体がパートナーになった、居住者・生活者本位の住まいづくりを、・・・「もちつもたれつ型」コミュニティ・ハウジングとよび(P167)
- 専門知と生活知の統合/創発的方法は、専門知が導く「構造」と、生活知がもたらす「プラチック」のカップリングをもたらす。(P220〜221)
なんだかんだ言っても延藤さんの言動には共鳴する部分が多い。しかし理想的・理念的な表現と現実社会との乖離に対しては注意深くあらねばならないと思ってもいる。いずれにせよ、これからも目が離せない。
何をめざして生きるんや
 | 【書 名】 | 何をめざして生きるんや |
| 【副 題】 | 人が変わればまちが変わる |
| 【著 者】 | 延藤 安弘 |
| 【出 版 社】 | プレジデント社 |
| 【ページ数】 | 269P |
| 【出 版 日】 | 2001年 5月30日 |
| 【価 格】 | 1500円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-8334-9070-6 C0036 \1500E |
あとがきに「NPO(千葉まちづくりサポートセンター)の経営・存続危機を脱出する一環として」(P268)として出版したとある。プレジデント社という出版社やタイトルを見てもわかるとおり、まちづくりの理論的書というよりまちづくりに関心を寄せる人を増やし、参加する人を育てることを目的とした本だ。延藤氏の幻灯会といえばその語りで有名だが、その語りを綴ってできたという。親しみやすいとも言えるが、関西弁がここまで使われるとややうっとおしい感もしないではない。というか、私自身、少し延藤節に飽きたというか、辟易とした感じを抱き始めているかもしれない。すなわち全編、延藤節である。
もちろんさすがというか心に残るフレーズが数多く紡ぎ出されている。
- 今の時代に求められているのは、豊かでやわらかい人と人のコミュニケーション、人間関係です。・・・状況を変える出発点は、理屈よりもフィーリングです。(P26)
- 本来、まちづくりというのは、そういう自分たちのまちを自分たちでつくる過程に与えられた言葉でした。(P30)
- ファジーで不協和な世界の中から調和を導き出すには”しなやかな発想”が不可欠です。”しなやかな発想”により状況に応じて本人が変わっていき、状況も変える。(P45)
- 人間は感受性の生き物です。おばあちゃんとの会話とか、風や緑、水に心地よさをナマナマしく感じ取ることができるのです。(P57)
- 小売業の人たちは「モノが売れない」とぼやく。・・・かといって、あまり「こうすれば売れる」とか「どすれば買ってくれるか」と「因果論」で考えすぎると妙案が浮かばない。それよりはちょっと下がって「縁起論」の視点で、人と人の出会いがあるような状況を生み出すことに知恵を絞った方がいいかもしれません。(P68)
- ベッドタウンはフィールドタウンなんや・・・そこには山も川も野原もあるし、緑の深い環境が残されているんです。(P127)
- 「風の人」が、地域で起きている種々のことがらの中身を意味づける存在であったとき、「土の人」はその意味づけられた内容に励まされ、元気づけられる。(P201)
- 商店街というのは基本的に「人が集まる場所」なんです(P223)
- 住み心地のいい住まいとは、人と人の関係を含めてあらゆる面で他と自分との関わり合いが気持ちのいい状況にあること、住み手がそういう関係性の中に身を置くことやないかと考えています。(P228)
- 参加のデザインというのは、住み手をはじめとする諸々の人々が寄り集まって積み上げていく物語建築や文学的建築をめざす方法なんです(P240)
おや、思った以上にたくさんあった。さすが。次は少し「ウン?」と感じた部分。
- 住民参加のまち育てというのは、そういう地域での人間同士の接点を積み重ねることによって、一人ひとりが周囲にゆるやかな目を配る感性をふくらませることでもあるのです。こればかりは役所がいくら旗を振っても手の届かないものですよ。・・・これは基本的にNPOの役割であると、私は考えています。(P53) >>なぜそこでNPOなの?素直に考えれば、住民自身だと思うんですが、なぜそれが組織体でなければならないのか?
- 言ってみれば、行政サービスの担い手をNPOに任せるということです。(P54) >>ここでも突然NPO。しかし誰が任せるんだろう。行政?。それならラクチンだね。もちろん責任もNPOで取ってよね。住民?。それならハッピーだ。でもなぜNPOなの?住民組織じゃいけないの?
- アイロニーとしてのユーモアとか、パラドックスやメタファーとしてのユーモアと言った場合、肝心なのは言葉の選び方なのだと思う。(P92) >>必要なのはセンスだね。センスの「ない人は・・・?
- 「創造的参加のまち育てビンゴ」(P107) >>ま、いいけどね。まじめに考えていると腹が立ってくることもある。
- 寅さんは「風の人」ではあっても”意味づけ者”というよりは愛すべき”お騒がせ屋”といったところでしょうな。(P220) >>つまり、「風の人」になるには資質と能力を必要とするということ?それって煎じ詰めると自分自身を肯定しているだけになってしまいませんか。
斜めに見すぎでしょうか。次は同時に出されたもう一つの本の方を読んでみようと思います。
生きられた家
 | 【書 名】 | 生きられた家 |
| 【副 題】 | 経験と象徴 |
| 【著 者】 | 多木 浩二 |
| 【出 版 社】 | 岩波現代文庫 |
| 【ページ数】 | 264P |
| 【出 版 日】 | 2001年02月16日 |
| 【価 格】 | 1000円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-00-600045-6 C0110 \1000E |
「家」はいかにして「家」であるか。それは人間が住み生きることによって、家は家となる。建築家は物体としての家をつくるが、それは人が住むことによって初めて生きた家となる。
ある意味当たり前のことではあるが、このことを存在論・現象学・記号論を動員して、また様々な経験と言説を通じて明らかにしていく。
- そこに住む人間の行為が空間の質のちがいをつくりだしてしまう(P8)
- 住むことが「存在」の基本的な性格であり、住むことと建てることについて考えようとすることは、建てることが住むことに従属することを明らかにするこということである。(P11)
さらに、近代技術による住宅と伝統的な住まいの作り方についても言う。
- 古い家は、むしろ、自然的環境のなかでそれなりの合理性に徹してきた・・・人間は家を自然に適合させるというより、家によって自然に適合する方法を学んできたのである。(P14〜15)
- 最近30年間の日本の住宅を変えてきた最大の潜在的なファクターは、建築家の意匠以上に、人間の関係の変質、商品化のひろがりなど、社会性からの衝撃である。(P27)
また「2章 空間の織り目」では、「方丈記」の引用から、家の由来、発生を考える。
- 人びとがこの世のなかを浮きつ沈みつしながら流れるにつれて、家も変化する。(P35)
さらに日本と西洋の住宅を比較しつつ、器である家と家具との関係を考察する。
- 空間と物の結びつきは全く一時的な現象であり、いつでも消去できる性格をもっていることを示しているのである。(P42)
- 床によってつくりだされているのは、・・・「空間」ではなく、出来事のための「場所」にほかならないのである。(P50)
- 私が日本の住宅のなかで床の意味の大きさを指摘するのは、建造物のなかでそこだけがテクネーやそれにもとづいた意匠できまるのでなく身体的慣習できまるものだからであり、それ故に生きのこっているからである。(P90)
3章以降、内容は次第に哲学的になってきて、わかりにくくなる。
- 建築の象徴性を大まかにはふたつの隠喩のタイプにわけることができるように思う。つまり迷宮と仮面である。(P74)
- たしかに住み手は自分の家をすみずみまで使いこなし装飾するにもかかわらず、自分の家に含まれている意味について、性格に語ることができない。・・・家を読むことは、家人を読むことになるが、その像は家人自身にとっても未知の肖像といってよい。(P100〜101)
- ガーベッジ・ハウスをつくって生きつづけている人びとを、単純に自然回帰とか生命的なものへの復帰とかいってしまうことはできない。それはまさに人間がつくりだした文化に属した、しかもきわめて逆説的な現象である。(P139)
最後の6章は「時間と記憶」である。
- 家は時間のかたちである。(P199)
- 計画なりデザインなりという視点から考えるなら、未来は開かれたままに残しておくようにしなければならない。(P202)
- 建造物が独立の性格をもってしまう以前に、家やその集合も本来は人間の活動性のなかに織りこまれて生じていたことを思いださせる。(P230)
確かに難しいけれど、またこの本を都市・建築関係と言っていいのか多少疑問もあるけれど、建築や住宅の成り立ち、本来的な人間にとっての意味を考える上で、非常に参考になる書であると思う。
まちづくりブック伊勢
 | 【書 名】 | まちづくりブック伊勢 |
| 【編 著 著】 | まちづくりブック制作委員会 |
| 【出 版 社】 | 学芸出版社 |
| 【ページ数】 | 95P |
| 【出 版 日】 | 2000年 2月10日 |
| 【価 格】 | 1700円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7615-1164-8 C0052 \1700E |
市民参加のまちづくりの実現に向けて、中高校生も含めた一般向けのガイドブックが相次いで出版された。まずは伊勢市の都市計画マスタープランづくりを契機に取り組み発行された「まちづくりブック伊勢」から。
第1章 まちのみかた
第2章 まちのしくみ
第3章 まちのなりたち
第4章 まちづくり物語
第5章 これからのまちを描く
の5章からなり、歴史と伝統のある伊勢のまちを具体に取り上げ、わかりやすい構成になっている。
特に第1章の、「1.注連縄にみるまちの文化」や「3.まちの縁側『世古』」は、伊勢独特の文化やまちの形状を取り上げており興味深い。また第3章で取り上げられる「6.遷宮とまちづくり」や「7.市民と遷宮」も、20年毎の遷宮がまちの形成に果たしてきた役割や思想を描き、伊勢ならではの状況が興味深く伺える。
第4章では、内宮おはらい町の景観によるまちづくりを進めてきた藤波さん、伊勢河崎のまちづくりをリードしてきた西山さん、市長も務め戦前戦後にかけて数度の博覧会を開催した北岡善之助氏の3氏が取り上げられ、それぞれインタビューと紹介がされている。
非常にわかりやすく興味深くつくられており、一般の方にも是非読んでいただきたい好著である。
まちづくりがわかる本
 | 【書 名】 | まちづくりがわかる本 |
| 【副 題】 | 浦安のまちを読む |
| 【編 著 著】 | 浦安まちブックをつくる会 |
| 【出 版 社】 | 彰国社 |
| 【ページ数】 | 126P |
| 【出 版 日】 | 1999年11月10日 |
| 【価 格】 | 1905円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-395-00602-7 C0052 \1905E |
市民向けまちづくりブックの第2段はこれ「まちづくりがわかる本」。副題にあるとおり、こちらも千葉県浦安市をベースに、「まちの成り立ち」から始まり、「まちの計画」、「まちの仕組み・要素」、「まちと人とのかかわり」、まちの災害への備え」といった構成になっている。浦安も漁師町として発展した過去を持ちつつ、東京近郊の荒廃地としての役割に応えるべく、埋め立ての推進によるベッドタウン化、工業団地造成、そしてディズニーランドとホテル地区と様々な地区が混在し、街づくりの素材とするにふさわしいまちの成り立ちと機能を有している。伊勢に比べ、埋め立ての推進など、より計画的なまちづくりが進められたことが特徴か。これに呼応した形で、計画的なまちづくりや積極的に市民が関わっていくことなどが強調されている。伊勢と比較して読み比べるとなかなか面白い。内容的には中高校生向けで、やや難しい感もあるが、こうした本が一般の人の目に触れて欲しいと切に願いたい。
共に住むかたち
| 【シリーズ】 | 土曜建築学校 4 |
【書 名】 | 共に住むかたち |
| 【著 者】 | 小谷部育子・岩村和夫・卯月盛夫・延藤安弘・中林由行 |
| 【出 版 社】 | 建築資料研究社 |
| 【ページ数】 | 240P |
| 【出 版 日】 | 1997年11月25日 |
| 【価 格】 | 2600円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-87460-527-3 C3052 \2600E |
OM研究所が開催した土曜建築学校の講義録をまとめたもの。「共に住むかたち」というテーマで気鋭の筆者が講義をしており、大変わかりやすく読むことができる。しかしけっして浅くない。むしろこの本で初めて勉強させてもらったこともいくつか書かれており、なかなかすごい内容である。
第1講 コーポラティブハウジングとは何か---------------------------中林 由行
- 日本では自助的で非営利的な住宅供給組織の発生が歴史的に見られず、それは日本の社会性・民族性に起因するものと思われる。(P48)
第2講 環境共生とエコハウジング----------------------------------岩村 和夫
- エコロジーという概念では「循環と多様性」という言葉が重要なキーワードになります・・・(P86)
第3講 都市居住のオルタナティブを求めて−コレクティブハウジング-----小谷部 育子
第4講 スマートな個人主義と豊かな共同性−ユーコートとMポート-------延藤 安弘
- ハピネス・イズ・シェアリング(P165)
- 環境ウオッチングの旅・・・関西コーポラティブハウス・ツアー(P184)
第5講 都市のデザインと市民参加---------------------------------卯月 盛夫
- 住民の意見の対立があっても、より創造的なデザインによってうまく解決する。それが専門家の役割だと思います。(P231)
スーパーおやじの痛快まちづくり
| 【書 名】 | スーパーおやじの痛快まちづくり |
| 【著 者】 | 安井 潤一郎 |
| 【出 版 社】 | 講談社 |
| 【ページ数】 | 2290P |
| 【出 版 日】 | 1999年 8月26日 |
| 【価 格】 | 1600円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-06-209808-3 C0095 \1600E (0) |
早稲田商店街の安井会長には、1999年の12月にそのユニークなまちづくりの様子をヒアリングに行きました。その際に伺った話がほとんどこの本には書かれています。商店街の夏枯れ対策から始まったという早稲田エコサマー・フェスティバルに始まる環境、福祉、防災等々の活動。そこには面白おかしく書かれているけれど、その実行力というのはやはり並ではない。あっという間に行政、大学、障害者グループ、マスコミ、日本各地の商店街、政治家につながっていくネットワークづくりの見事さ、そして乙武洋匡との出会い。第4章の「『スーパーおやじ』の波瀾万丈人生」では、精肉店・稲毛屋に生まれ、父親との相克と教えの中で培われた安井氏の行動と情熱の源と思われるエピソードが語られている。楽しく儲かること、それがまちづくりだ、という安井氏の言葉は、本当の意味で真実を突いていると思う。
- エコサマーは、"行政の市民参加"ではなく、"まち場への行政参加"だったんです。・・・"まち場だから、できた"のです。(P44)
- われわれの商売は「引き売り」といって、リヤカーに商品を積んで売りにいく形態がルーツなのだから、町に密着した商売をしなくてはいけない。(P120)
- なぜ、役所が主役のまちづくりは難航するのか?それは、行政の原則は「平等と公平」であり、役人には、みんなで一緒にやりましょうという意識が強すぎるからだ。・・・役所はやる気のある町、自ら"場"を提供する意思のある町とだけ連携していくべきなのだ。役所にはぜひ"やる気のない町"を積み残す勇気を持ってもらいたい。(P147)
マンションは大丈夫か
| 【書 名】 | マンションは大丈夫か |
【副 題】 | 住居として資産として |
| 【著 者】 | 小菊 豊久 |
| 【出 版 社】 | 文春新書 |
| 【ページ数】 | 230P |
| 【出 版 日】 | 2000年 8月 |
| 【価 格】 | 690円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-16-660119-9 C0236 \690E |
大正時代からのマンションの歴史を振り返り、戦後の6次に渡るブームを分析しつつ、マンションの質・内容の変化について概観する。そしてマンションの物理的な寿命、経済的、社会的な寿命について、消費者の立場に立った分かりやすく丁寧な解説があり、さらに管理費や修繕計画、また区分所有法にまで考察が及ぶ。これからマンションを購入しよう、又は既に入居し管理上の問題を抱えている人など、一般向けの非常に丁寧な入門書である。いや、マンションの歴史の部分については、分譲マンションを不動産として研究対象としてきた筆者ならではの記述もあり、私も勉強になった部分が少なくない。
- バブルが発生する前の80年代前半は、日本のマンション史のなかで最も輝いていた時期の一つだった。(P21)・・・これは、住宅不況の絶頂期に、多くの企画型マンションが提案されたことを示す。確かにこの頃、今あるマンションの工夫はほとんど出し尽くされた感がある。
- 《人々は住宅がないため正常な家庭生活をいとなむことが出来ず、あるいは遠距離通勤に悩み、あるいは住宅難にまつわる紛争に苦しめられている。住宅難はいま、大きな社会問題となっている。ところが、この『社会的』な苦しみを押しつけられていながら、大抵の人々は自分の住まいのこととなると何か自分だけの個人的な災厄と感じ、個人的に解決しようとする》(P33)・・・西山卯三の「日本の住宅問題」からの一節を筆者は、「これは半世紀も前の日本の住宅事情を描いたものである」と重ねて記述する。西山卯三の「日本の住宅問題」、やはり一度は目を通さなければ。
- マンション発祥の源流とされる大正期・・・の改革運動には大きくふたつの流れがあった。ひとつは、・・・「下からのデモクラシー運動」といえる社会主義である。もうひとつは、・・・「上からのデモクラシー運動」といえる共用主義、人道主義、文化主義である。(P37)・・・筆者は続いて「新建築」1977.6臨時増刊号を取り上げ、・・・《都市・住宅に対する建築界の動きもおのずからこのふたつの方向において捉えることができる。・・・ひとつはお茶の水の「文化アパート」と「同潤会」による共同住宅建設であり、他は下宿屋「高等下宿」を源流とする日本的木造アパートであった》・・・そして・・両者の要素を採り入れながらこんにちのマンション・スタイルに落ち着いてきたといえるのである(P38)
- 民間分譲マンション第1号・・・四谷コーポラスはJR四ッ谷駅から5分ほど歩いたところにいまも現存している。(P59)・・・そして昭和31年竣工のこのマンションにはなんと、「メゾネット方式」「オーダーメイド方式」で計画され「ダストシュート」「ディスポーザー」「電話機」「共同アンテナ」が付けられ「月賦支払い」方式が導入され「セカンドハウスとして」も利用されたという。一度是非見てみたい。
- 長寿命が可能なマンションの条件として、物理的命数では躯体構造の「耐久性」、経済的命数では・・・「互換性」、そして社会的命数では・・・「遮音性」「安全性」「断熱性」・・・なかでも単純かつ必要不可欠のものとして「広さ」がある。(P165)・・・そして後段では「高さ」についても述べられ、SI住宅に移っていく。
- 小林秀樹は『新・集合住宅の時代』のなかで、「スケルトン住宅というからには、最低、次のことが必要である」と述べ、3点を挙げている。@共用設備は共用の場所にあること Aコンクリートにインフィル(電気配線や取付器具など)を埋め込まないこと B大きな空間を確保できること(P172)
- そもそもマンションという住居形式には、所有するという発想自体がなじまないのではないのか。マンションを一つの株式会社と見立て、そのマンションが発行する株を購入した者が、一定の空間を専有する権利が与えられるというふうにするとすっきりする。(P234)