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「明日の田園都市」への誘い (2002/12/28)
 | 【書 名】 | 「明日の田園都市」への誘い |
| 【副 題】 | ハワードの構想に発したその歴史と未来 |
| 【著 者】 | 東 秀紀、風見 正三、橘 裕子、村上 暁信 |
| 【出 版 社】 | 彰国社 |
| 【ページ数】 | 247P |
| 【出 版 日】 | 2001年10月30日 |
| 【価 格】 | 2500円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-395-00594-2 C3052 \2500E |
今年、イギリスへ旅行し、レッチワースを訪ねてきた。ハワードが構想した世界最初の田園都市だ。本書は全7章で構成されている。第1章が「田園都市の背景」。第2章が「エベネザー・ハワードの生涯」。
一介の速記者にすぎないハワードが、生まれ育ったロンドンの荒廃、進歩的思想家や著作との出会いの中で、社会改革に関心を深めていく。そしてアメリカの社会主義者エドワード・ベラミーの書いた『顧みれば』(1888)という小説に巡り会い、田園都市への着想を得る。それは社会改革のための現実的提案であった。そこに何人もの人が集まり、ハワードの構想は実現化への道を歩み出す。
- イギリスの都市計画史家ゴードン・チェリーは、「ネビルは戦略家、ハワードはあくなき情熱的伝道者、アダムスは機略にたけた攻撃的オルガナイザー」(英国都市計画のパイオニア)であったと述べている。(P58)
ハワードの構想を、レッチワースにおいて、新時代へのデザイン提案でもって実現させたのが、レイモンド・アンウィンだ。
- 『明日の田園都市』で提案されている直線的道路や、鉄とガラスで出来た「水晶宮」を無視している・・・だが、協力的社会という理想において、アンウィンとハワードは共鳴し合っている。いわばアンウィンのデザインは、『明日の田園都市』の見事な「意訳」であり、しかも単なる直訳と違って、建築家自身のコンセプトが入っていた。そうすることによって、彼は田園都市に、中世がもっていたような秩序と、生き生きとした躍動感を与えることに成功したのである。(P65)
本書の核となるのが、第3章「明日の田園都市」。ここで、ハワードが執筆した「明日の田園都市」の各章を概説している。全部で13章。
著者による序文
第1章 都市−田園部磁石
第2章 田園都市の歳入−田園部
第3章 田園都市の歳入−都市部
第4章 田園都市の歳入・歳出の概要
第5章 田園都市の歳出詳細
第6章 行政管理
第7章 準公共組織
第8章 支援団体
第9章 検討すべき課題
- 田園都市がめざすのは、エゴイズムを超越した自立する個人たちが協力し合ったまちづくりなのである。(P101)
第10章 各種提案のユニークの組み合わせ
第11章 後に続く道
第12章 社会都市
第13章 ロンドンの将来
そして「田園都市論」とは何か、その特徴が3つにまとめられる。
- 新都市建設を可能にする経済システム
- 協同的社会の実現
- 循環系を内包したハイテク都市としての都市−田園融合 (P115)
すなわち、1が『明日の田園都市』がただの理想郷ではなく、経済的に実現可能な構想を示したということ。そして、2、3こそが、現代において、さらに注目を浴びる、ハワードの先見性を示している。このことは、第7章「田園都市の未来」で改めて筆が取られている。第4章から第6章までは、イギリス都市計画、諸外国、そして日本への波及と影響が述べられている。
レッチワースは、100年に及ぶその歴史の中で、非営利な民間株式会社組織で維持管理していくという理想が、何度も座礁しかかり、その度に住民の粘り強い意志の力で持ちこたえてきた。そして1995年。「レッチワース田園都市財団法」が成立した。
- それはレッチワースを民間の運営に復し、財団を設立して、これからのまちづくりを再び住民たちの手に戻そうというものであった。建設開始から90年余りを経て、ようやくレッチワースは市場圧力や営利主義的な私企業から、そして官僚の力からも解き放たれて、ハワードがもともと提案していたような協同的精神による、安定した運営システムを手に入れたのである。(P145)
私たちが見たレッチワースはこうして現在につながる姿だったのだ。改めて感慨を感じる。
日本人の住まい (2002/11/17)
 | 【書 名】 | 日本人の住まい |
| 【著 者】 | E.S.モース |
| 【訳 者】 | 斉藤正二、藤本周一 |
| 【出 版 社】 | 八坂書房 |
| 【ページ数】 | 401P |
| 【出 版 日】 | 2000年 2月10日[新装版] |
| 【価 格】 | 2800円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-89694-448-8 C0039 \2800E |
モースと言えば大森貝塚の発見者、日本の考古学の開明者として、小中学生の教科書にもでてくる。しかし本来は頭足類を専門とする動物学者であり、日本にも最初は頭足類の採集を目的にやってきた。そして日本の動物学の基礎を築き、進化論思想を普及せしめた。ところで巻末の解説で、訳者の一人、斉藤氏は、この本を民俗学の第一級史料として読むことを勧める。日本の「都市・村落の外見」から始まって、家屋の構造、職人の道具、家屋の形態、畳や襖などの家屋内部の部品、台所や便所、押入といった小部屋の機能と形態、さらには道具、庭園、そして古代家屋、アイヌ・琉球等の家屋と、朝鮮・中国家屋との比較まで、微に入り細に入り描かれている。その多くはモース自身による図版が入れられ非常にわかりやすいし、アメリカや欧米との比較も全く公正で、見たままありのままが描き出されている。もちろんこうした姿勢自体が民俗学的なのだろうが、現代の建築を学んできた私達にとっても、改めて日本の住宅の見方について目が開かれるし、過ぎ去った過去の技術がここまで収録され、かつ賞賛されているのを読むと感慨深く、また考えさせられるものがある。
- 以上、日本家屋の天井構造を概説するにあたって明確を期したつもりである。なぜなら、日本人のあいだでも、天井の懸架法を精細に理解しているものはほとんどないからである。(P49)
- 棟自体は平らになっていて、そこにかなりの数の百合が生えている。(P78)/褐色のくすんだ色調の村のたたずまいのなかで、家屋の棟に、菖蒲の類が鮮やかに咲き乱れた様子はほんとうに印象的である。(P110)・・・花の咲いた屋根については、藤森照信も「タンポポ・ハウスのできるまで」の中で何度も書いていた。
- (板葺)職人は、・・・親指と人差指とによってこれをはさみ持ち、こけら板に押し込む。すると釘は半分ほど打ち込まれたかたちになる。これに金槌の部分で斜めに一撃を加える。これによって竹釘の半分は折れ曲がり、こけら板を押さえるようなかたちになる。(P98)
- 草葺き屋根の形としてはこれまで述べたきた以外にも多々ある(P120)
- 日本家屋が与えてくれる新鮮な空気とふんだんに注ぎ込む光を享受していると、ほたくしは、自国で住み慣れていたあの窒息しそうな部屋々々を、快い気分で思い起こすことは到底できない。(P133)
- 障子の組子の歪みを直しているところ(P148)
- 張出縁の角に鉄製の小さな雨戸回し金具が取り付けられている。この金具に当てて雨戸を少しはみ出すように押し出し、その位置でくるっと回して他の溝へ嵌め込む。(P262)
- 部屋の壁面の中央に位置する柱は、柱幅いっぱいの細長い薄い杉板で飾っている。この板にも何かの絵が描かれている。・・・これが柱隠しと呼ばれるものである。(P324)
私も知らないことがたくさん書かれている・・・。
コモンズとしての地域空間 (2002/ 9/30)
 | 【書 名】 | コモンズとしての地域空間 |
| 【副 題】 | 共用の住まいづくりをめざして |
| 【著 者】 | 平竹 耕三 |
| 【出 版 社】 | コモンズ |
| 【ページ数】 | 222P |
| 【出 版 日】 | 2002年 4月10日 |
| 【価 格】 | 2500円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-906640-51-6 C3036 \2500E |
豊かさが実感できない日本社会の土地問題を解決する糸口として、共用空間「コモンズ」を提案する。
第1章は「日本社会のゆがみと土地問題」と題して、土地問題をいくつか指摘した後、土地の所有から利用への転換と脱市場化を提案する。基本的に理解はできるものの、現実的には容易ではないだろう。
- 日本の土地に偏った資産構造そのものは、21世紀を迎えた今日でも変わらないであろう。・・・所得・資産の分配の不平等度をジニ係数で比較すると、・・・所得格差は0.319、金融資産格差は0.483、土地資産格差は0.576と、土地の不平等度がもっとも高い。(P18〜19)
- 土地や建物という実質資産は、相続・贈与によって、世代間で移転していることがわかる。住み続けるという観点からすると望ましいことには違いないものの、資産格差という問題からすると、どうしても割り切れない部分が残ってしまう。(P21)
土地相続に伴い建物が壊されたり細分化する傾向を否定的に捉える視点もある。「望ましい」と「資産格差」との相克。西欧ではどうなのだろうか。もっとも筆者の論点は、だから法人所有・地域共有という方向に向かうのだが・・・。
- 私も、土地を脱市場化して、地域住民が人間の生活を回復するためには、地方自治体や住宅公社、さらにはもっと小さな町内会・協同組合・NPO(非営利法人)などの多様な地域主体が土地を所有して、それらの土地あるいは空間を中心にコモンズを形成し、地域のなかに、そして都市のなかに、コモンズを広げていくことが大切であると考えている。(P39)
確かにコモンズは、土地の脱市場化への方向性を持っていると考えるが、それだけで脱市場化が図られると考えるのはあまりに楽天的過ぎる。というかありえない。地域通貨と並ぶ小さな運動として捉えるべきか。
さてこの後、各章で、各地の共有土地における実態の紹介と分析が行われる。第2章では「武家屋敷長屋の地域所有」と題して三重県松阪市の御城番長屋が、第3章では「都心部における土地の地域所有」と題して京都市祇園の事例が、第4章では「現代の長屋づくり」として、京都市洛西のコーポラティブ住宅「ユーコート」が取り上げられる。
松阪の御城番長屋は、私も先日行ってきたばかりで興味深く読ませてもらった。松阪では御城番長屋に起居する士族が明治維新に伴い、資産の払下げを受け、「苗秀社」を結成し、自らの住まいと土地を協同所有する。1882年の結成で、実に120年間、今もその形態が続いている。もちろん紆余曲折はあった。
- 激動の時代を経て、1902年、苗秀社は設立時の趣旨に反し、万代不易の親密な交際はすでに過去のものとなりつつあるという認識にたち、・・・各家の統制をゆるめ、相互扶助的な団体と(する)。(P69)
わずか結成20年後の出来事である。しかし土地に対する協同所有の形態はその後も現在まで存続するのである。
- この財産が会社の所有ではなく各人の私有であったとすれば、この土地のみで一人約9000万円の財産となるわけであるから、現在まで維持されることはなかったであろう。・・・また、この9000万円に課税される相続税を現金で支払える人がそう多くいないであろうことも、想像にかたくない。(P86)
まさにここにこそ地域(法人)所有の意義が伺われる。
- 御城番屋敷という地域空間は、苗秀社の方針によって居住する社員が集まって決定するという、利用者の手による管理が行われている。これはまさしく、「地域住民の『共』的管理(自治)による地域空間とその利用関係(社会関係)にほかならない。(P91)
これには多分に偶然の結果という部分もあるが、・・・かつての入会地を住宅地に適用するというのがコモンズの思想と理解していいのだろうか。だとすると、封建的運営・保守的管理に陥る危険性も無視できない。現代にマッチしたスマートな所有・運営形態が考えられてしかるべきかもしれない。
続く、京都市祇園町南側の地区には、同じく明治の初め1872年に、地域の区長や戸長など18名により、芸妓や舞妓の教育を目的に、「婦女職工引立会社」が設立され、2年後に女紅場と改称される。そしてこの「財団法人京都八坂女紅場」が、専修学校と病院の経営をするとともに、地域一体の土地を所有し賃貸をしている。財団法人であり、地域の御茶屋経営者等で構成される理事・評議員がこの所有地の管理をしているが、低家賃である他、祇園という地の町並みと雰囲気を守るため、「町並保存に関する趣意書」をまとめ、増改築時や借地権譲渡時の地主(財団法人)の承諾を義務付けている。その結果、京都市による「町並み景観の整備に関する調査」の結果を引いて、以下のように評価している。
- 町なみの保存=>住民の高い評価=>住民の住み続けようという意欲と努力=>町なみの保存というように、好循環を生んでいる。そして、先に述べた居住面での安定した生活を保障してきたこととあいまって、京都の都心部にあって伝統的な様式を守りながら多くの住民が生活し続けるという、他にあまり例のない地域社会をつくりあげているといえよう。(P145)
ところで、P146〜147で提案されている「歌舞練場を日本舞踊だけでなく(世界の)伝統芸能のメッカにして・・・」というのはあまりに陳腐すぎると言わざるを得ない。
続く第4章は、コーポラティブ住宅「ユーコート」の検証である。ユーコートについては延藤先生を始め様々に紹介されているので敢えて重複して説明をしないが、次の記述が興味を引いた。
- 当時もいまも会の運営方針として、「決定事項はすべて全員参加の総会で決める。その際も、原則は反対者なし、あっても保留」と決められている。(P168)
その他の記述はいずれも正当に評価され、特に1戸が不動産業者の手に渡った顛末についても紹介されているのは、情報としてもうれしいが、筆者の主張は次のところに表れる。
- あえてコモンズとしてないものねだりをすれば、やはり所有が協同組合に一元化され、各居住者が各住戸を利用するという本来の意味でのコーポラティブ住宅方式がもっとも望ましい。(P189)
日本においては、コーポラティブ住宅は自由設計方式の共同住宅として根付いているが、本来、組合所有であるはず、という視点を固持している点は高く評価できる。まさにそれでこそ、コモンズといえる。そしてコモンズが日本の土地問題を解決する、とまで言うのは言い過ぎにしても、より良い地域管理の仕組みとして、高い評価が与えられるべきことは疑い得ない。かつ、松阪や京都の事例が示すように、うまく仕組みとしてスタートしてやれば、継続しうるということも覚えていていいだろう。
美しい都市をつくる権利 (2002/8/ 3)
 | 【書 名】 | 美しい都市をつくる権利 |
| 【著 者】 | 五十嵐 敬喜 |
| 【出 版 社】 | 学芸出版社 |
| 【ページ数】 | 239P |
| 【出 版 日】 | 2002年 3月15日 |
| 【価 格】 | 2000円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7615-2281-X C0052 \2000E |
「美しい都市をつくる権利」というタイトルを見たとき、真鶴の「美の条例」に関わった筆者が「美しい都市」というキーワードで、近年のまちづくりの潮流を、法学的な立場から論ずる本かと思っていた。しかしのっけからこの予測は裏切られる。筆者は、憲法改正論として「日本国民は誰でも美しい都市に住む権利を持つ」と憲法に明記されるべきだと訴える。それもかなり本気で・・・。
- この提案に対してさまざまな意見が寄せられた。支持もあったが、予想していた以上に拒否反応も大きかった。(P15)
当たり前だろう。私もそう思った。そして、論はアレグザンダーの「名付け得ぬ質」の解説から入る。「美」を定義しようというのだ。
- アレグザンダーは、「質」は単一な言葉では、定義できない、名付け得ないとしたのである。そのうえで、この「無名の質」を支えるのは「deep feeling(深い感情)」であるとした。・・・本書ではこれを象徴するものとして、「美」という言葉で表した。(P26)
そして、長い長い第2章では、「コナ」「鞆の浦」「コロンバス」「新治村」「エディンバラ」「国立市」を「美」の視点から検証していく。
- ここでは・・・すべてが開放されている。それが「信頼」という、囲むよりもはるかに強い安心感を作り出している。・・・私達が何となく懐かしいと感じる町には、必ず、「統一感」「連続する時間」「安心感」「自由」といったものがある。(P50)・・・「コナ・最後の楽園」
- 景観学や環境学は、行政や事業者の非を指摘するだけでなく、住民の「飯が食えるか」という問いに対して、「食えないがしかたがない」、あるいは「食える」ということを論証しない限り、生き延びていくことができない(P87)・・・「広島県鞆の浦・迎賓都市の虚構」
- 美しい都市は、クリストファー・アレグザンダーによれば、これまで見てきたように、すべての人がパタンを共有し、それにもとづいて何百、何千のプロジェクトが自然に動き出したときに生まれる。・・・この理論によれば、強制なしに、まったく意識することもなしに、みんなが動き出すというのが前提であり、人々の本当の「心の動き」(ディープ・フィーリング)を制御する、経済、法律など人工的なものはかえって邪魔だとして排除される。(P93)・・・「コロンバス・美の競演」
そうして最後に「東京都国立市・合法性と正当性の対立」で、法律が美しい都市づくりに果たしてきた、若しくは果たせないでいる現状が検証される。五十嵐曰く、
- いい社会とは正当なことがきちんと合法となっている社会である。・・・しかし往々にしてこれが分離する場合がある。・・・私達にはこの「正当性の秩序」を作るための新しい論理が必要となるのではあるまいか。(P211)
という問い掛けがされ、第3章であり本論である「美しい都市をつくる権利」論が展開される。まずは法に関わる私見が披露される。
- 住民投票は原発、ダムといった施設だけでなく、主権者である市民の意見を最大限尊重するという意味で都市計画にも導入されるべきである。(P216)
- 建築確認は国のルールであり、条例は地方のルールである。国のルールは全国的に守られるべき最低限の安全や衛生基準にとどめられ、地域のルールは条例で定められる。つまり、法律と条例の関係は上下ではなく、棲み分けになるのである。(P221)
- 試みに、憲法教科書を見てみると、あらゆる通説・判例が、国はもちろん自治体までを「統治機構」と定義し、市民を統治の対象と説明していることに驚かされるであろう。(P220)
- 「政府」は、本来国民の上に存在するものではなく、そもそも「国民のもの」なのである。これは市民の外にあり、市民を統治の対象とする「統治機構」とは、まったく反対の「市民の政府」と名づけられる。(P221)
法律論が次第に権利論へと移っていく。それにしても確かに指摘されて改めて日本憲法を読むと、日本人にとって基本的人権は、憲法により「保障される」ものであることがわかる。すなわちお上から与えられているのである。そして筆者はそれを創造型の権利に転換すべきだと訴える。
- 「○○をしてはならない」といういわば禁止型のルールから、「○○を創ろう」という創造型(先の禁止型を規制法とすれば、こちらは創造法と呼びたい)のルールに切り替えていく必要があるのではないか、ということである。(P224)
さらに世界の憲法における基本的人権と義務に関する記述が紹介される。
- 基本的人権を定義する仕方として、「財産権はこれを保障する」というように単に権利の保障を確認するだけでなく、促進、尊重、解釈、育成、繰り広げる、条件を作り出す、支援する、努力する等々、という創造言語がつけ加えられている。(P226)
- 以下のような視点において憲法を改正しなければならないと考えるのである。すなわち二九条の「財産権」には「義務を伴う」という条項が加えられるべきであり、その「義務」の内容として「美しい都市を創る」ということが投入されなければならないのである。(P227)
そして実に、インドの憲法にはこう書き込まれているのである。
- 次に掲げる事項は、すべてのインド公民の義務である。/6 多面的要素を含んだインド文化の豊かな伝統を尊重し、維持すること。/7 森林、湖、河川および野生動物を含む自然環境を、保護、改善し、生物をいとおしむこと。(P232)
最後は次の一文で締めくくられる。
- ローマや長安といった古代都市だけでなく、それと連続した現代の美しい都市をつくろうという呼びかけは、単に都市が美しくなるということだけでなく、国民主権と平和のための具体的で最強の手段となるのである。(P229)
人にやさしい住宅読本 (2002/7/19)
 | 【書 名】 | 人にやさしい住宅読本 |
| 【副 題】 |
人にやさしい建築ディテール集 Vol.2
みんなで支える生き生きライフ
困ったときの快適住まいのアイデア玉手箱 |
| 【著 者】 | (社)日本建築家協会東海支部愛知地域会 人にやさしい建築ディテール集 Vol.2 編集特別委員会 + 五十嵐 真澄 |
| 【出 版】 | (社)日本建築家協会東海支部愛知地域会 |
| 【発刊販売協力】 | 名古屋CDフォーラム事務局 |
| 【ページ数】 | 158P |
| 【出 版 日】 | 2002年 3月31日 |
| 【価 格】 | 1300円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-931454-37-2 C0077 \1300E |
副題がたくさんあって却って本の内容がわかりにくいかもしれません。それはこの本の誕生までの経緯の複雑さや関わった者の多様さ、そして内容の豊富さを示しています。そして私も編集委員の一人として内容検討に関わらせてもらいました。
そもそも「人にやさしい建築ディテール集 Vol.2」とあるように、その前には「Vol.1」があります。これは建築家向けにバリアフリーデザインの建築ディテールを解説した本でした。今回はその第2集としてスタートしながら、内容は大きく変わり、読者対象もケアマネジャーや高齢者を抱える家族、また高齢者自身など、建築の専門家以外の方にわかりやすく読みやすいものにしようと、内容の検討や表現を工夫しました。
本の内容のベースは、(社)日本建築家協会東海支部愛知地域会の人にやさしいまちづくり研究会のメンバーが関わり開設されている、なごや福祉用具プラザでの住宅改修相談での事例や経験です。多くの事例を通じて感じた高齢者の住宅改修に関する様々な問題点や経験を、なんとか相談に来られず一人で悩んでいる高齢者やその家族の方にわかりやすく伝えたい、という気持ちから、多くの事例や経験を振り返り、それを自らホームホルパーでもあるライターの五十嵐さんに伝え、11のドキュメントになりました。このメンバーに、なごや福祉用具プラザと愛知県住宅企画課の担当者、愛知工業大学の先生と学生が関わり、多方面から内容の検討と充実を図りました。
最終的に、ドキュメントに加え、「住宅『困りごと』なんでもランキング」や「YES NO フローチャートで問題解決」といった楽しい特集や、「浴室は危険がいっぱい」「上手なケアマネジャーの選び方」といったトピックス、、「『棟梁とベティばあちゃん』の快適リフォーム6つのポイント(ドキュメントから)」、「建築家によるわかりやすい場所・部分別イラストつき解説」、そして住まいの相談窓口や福祉機器等を紹介する「情報ひろば」まで、実に情報満載の内容になりました。それを、森さつきさんのほのぼのとしたイラストがさらにやさしく見やすく紙面を彩り、手に取って楽しくわかりやすく、そしてドキュメントでは少しほろっとする、そんな本です。
ぜひ読んでいただければナと思います。書店にない場合は、下記までお問い合わせください。
(社)日本建築家協会東海支部愛知地域会
TEL 052-263-4636 FAX 052-251-8495 E-Mail jiaaichi@mb.i-chubu.ne.jp
石の街並みと地域デザイン (2002/7/15)
 | 【書 名】 | 石の街並みと地域デザイン |
| 【副 題】 | 地域資源の再発見 |
| 【著 者】 | 三宅 正弘 |
| 【出 版 社】 | 学芸出版社 |
| 【ページ数】 | 174P |
| 【出 版 日】 | 2001年11月30日 |
| 【価 格】 | 2000円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7615-2274-7 C0052 \2000E |
足助町に通うようになって、石垣が目に付くようになった。山間の町、足助には平地はほとんどなく、田畑を作るにしろ、住宅を造るにしろ、まずは擁壁を造って平場を整えることから始めなければならない。そしてその多くは石積でできている。町に石積擁壁が目立つのと同じほど、石材店も多い。この地域は花崗岩の産地なのだ。隣接する藤岡町の名前の付いた藤岡御影。豊田市の挙母御影。岡崎市の大川御影、花沢御影などの産地があり、岡崎の石工団地はこの地域では有名だ。石の質は名前のとおり花崗岩(御影石)。
この本の著者である三宅氏は、芦屋で生まれ育ち、現在徳島大学の助手を務める。石という素材を地域デザインの観点から考察し本書を著した。
まずは「1章 石の国・日本」で、日本に産する石の産地とその代表的な街並みが語られる。火山岩、御影石(花崗岩)、青石(変成岩)、凝灰岩、砂岩。そしてそれらの地場の石を使って形成されるランドスケープ。
- 上流の町ではまだ角のついた石が積まれ、下流では、川でゆっくりと丸まった石が積まれた。(P17)
5月に木曽三川公園に家族で遊びに行った。道端の民家に積まれた石垣は小さな丸い石でできていた。角張って大きい足助の石垣とのあまりの違いに驚いた。
- 徳島県では、この二つの青石の道は吉野川によって分けられており、その左岸(北岸)には砂岩の、右岸(南岸)には変成岩の風景が広がっている。(P51)
2章は「石の街並みの形成」として、農村集落、ニュータウン、お屋敷街、マンション街が取り上げられる。
- 斜面の農村ではいうまでもなく、集落とともに棚田や段々畑に無数の石が用いられてきた。そうした集落を目にすると、日本の街が、石によって築かれてきたことを実感させられる。そして、家屋が何度建て替えられようとも、いつ積まれたかもわからない古い石積は、時代を越えて継承される。(P61)
- このように多彩な石積によって、集落には石の街並みが形成されてきた。そこでは、いまだに集落内の新築家屋が、木造のいわゆる日本建築様式で建てられるように、昔からの伝統を引き継ぎ、石が積まれていく。石で街並みをつくる慣性力が集落に働いている証である。(P66)
しかし実際には、間知石ブロックなどのコンクリート製品に置き換わられつつあるのが実態だ。さびしいことに。3章では「石が織りなす都市文化」と題して、阪神間六甲山麓、京都、東京のそれぞれの石の景観が記述されている。特に阪神間については、筆者が育ち研究対象としてきた地域であり、地場石材の使用状況調査など詳しい。
- 近年の開発が、地場石材を使わない傾向にあることもわかった。・・・このまま推移すれば、長年にわたり地域固有の景観として形成されたこの地域の石垣景観も大きく変容することは避けられない。
最後に、「4章 石の地域デザインの可能性」として、「石垣バンク」が提唱されている。
- 不要になり処分されていく石材や、また土木工事などで出土する石をストックして、それを適宜有効に使っていく方法である。(P152)
筆者自身が芦屋でアドバイスを行いつくられた公園の事例が記述されている。確かに足助でも工事現場に多くの石が出てくる。これを活用すること。簡単なようで意外に難しいテーマでもある。なにより、施工者に、地域に、石が実は貴重な地域資源であるという認識がないのが痛い。
大型店とドイツのまちづくり (2002/6/29)
 | 【書 名】 | 大型店とドイツのまちづくり |
| 【副 題】 | 中心市街地活性化と広域調整 |
| 【著 者】 | 阿部 成治 |
| 【出 版 社】 | 学芸出版社 |
| 【ページ数】 | 255P |
| 【出 版 日】 | 2001年12月10日 |
| 【価 格】 | 2700円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7615-2275-5 C0052 \2700E |
ドイツのまちづくりというと、Fプラン、Bプランを代名詞に都市計画の優等生のように思われているが、長年ドイツの都市計画を研究してきた阿部先生によれば、けっして全ての地域でBプランが策定されているわけではなく、郊外への大型商業店舗の進出など、日本と同様の問題が起きていると言う。本書は、ドイツ中部の大都市圏ルール地方と南部の地方都市ウルムにおける大型商業店舗進出に伴う地域の自治体、議会、州政府、商業者団体、政党等々の丁々発止の商業調整の様子を詳細に描いている。研究的な筆致ながら、そこに描かれている内容は、まるでドキュメンタリーのようで大変興味深く、ドイツの生きたまちづくりを実感させてくれる。
6章に渡って(1章はFプラン、Bプランから始まって、建築利用令や州管区政府による広域調整、ドイツの自治体議会など、ドイツにおける大型商業店舗を中心とした規制の枠組みが説明されている)各地域でのドラマが描かれた後、最後に数ページ添えられた「あとがき」でこれらの動きを総括して次のようにまとめている。
(計画技術的な側面から)
- 第一に、ドイツでは最近「統合型立地か孤立型立地か」が大型店立地で最も重要な論点となっている(P220)
- 第二に、・・・ドイツでは、大型店の孤立型立地を防ぐことが、市街地活性化の大前提だと考えられている(P221)
- 第三に、都心や近隣商店街と郊外店で役割を分担し、共に繁栄するため、ドイツでは販売する商品の制限が重要にポイントとされている(P222)
(まちづくりの観点から)
- 一つは、自治体の意志決定において、議会と議員が果たしている役割の大きさ(P222)
- もう一つの点は、制度を改善するのも大切だが、制度以上に「運用」が重要だという点(P222)
以上で言い尽くされた感があるが、読み進める中で興味を引いた記述は次のような部分である。
- Bプラン策定時の自治体間調整について、次の3段階のチェックを提案している。/@まず、都市計画に関係しない影響を除外する。・・・/A都市計画的な影響があると判明した場合は、プラン策定の際の検討に含める。とくに問題となるのが、車をもたない人々の日常の買い物が脅かされることと、都心が衰えて都市的機能を果たせなくなることである。(P30)
- ツェントロが高級品に特化した結果、近隣性商店街として適切な構成を有し、手ごわい競争相手もないシュテルクラーデの価値はかえって高まった。商店街の最大のサービスは「販売する商品」であり、基本的な性格が重要である(P63)
- 華やかに見える最新のショッピングセンターにも、いつかは寿命が来る。商店街と大型店の問題は、このような視点で見ることが必要である。(P79)
- 多くの機能が集積している都心の長所が、駐車問題のアキレス腱である・・・商店のみでなく様々な機能が集積している都心では、駐車料金が安くなったり無料になると、買い物客以外の長時間駐車が増加し、かえって駐車しにくくなる。その一方で、・・・高い料金を徴収すると、客は無料で駐車できる郊外店に流出する。郊外に出店した大型店の場合、単機能性が「駐車客=買い物客」という構図を生み、駐車を無料にしても駐車場の回転が悪化しない。(P90)
- 自治体が小規模だったドイツでは、1970年代に合併が進められた。・・・ノルトライン・ヴェストファーレン州で、2300前後あった自治体を約400に統合し、人口が5000人に満たない自治体はほとんどなくなった。同時に、合併で行政と住民と距離が遠くなるのを避けるため、自治体を区に分割し、一定の権限を与えることが考えられた。(P168)
- よく「日本はどの町に行っても○○銀座ばかりだが、外国の町には個性がある」と言われる。建物はそうだろうが、店の中に一歩入ると、ドイツの商店街は個性のない金太郎あめである。「知らない町を訪問しても、商店街を見回したら、自分の町にある店ばかり」、新聞にこういう記事が載ったこともある。(P188)
そして最後は以下の記述で締めくくられている。
- 残された問題があるものの、ドイツのまちづくりは、やはり日本より成熟している。・・・単なる大型店対策でなく、「都市計画を成熟させる」という観点から活性化に取り組むことが必要である。(P223)
日本型都市計画とはなにか (2002/6/18)
 | 【書 名】 | 日本型都市計画とはなにか |
| 【著 者】 | 西山 康雄 |
| 【出 版 社】 | 学芸出版社 |
| 【ページ数】 | 223P |
| 【出 版 日】 | 2002年 3月15日 |
| 【価 格】 | 2300円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7615-2282-8 C0052 \2300E |
著者の「アンウィンの住宅地計画を読む」は、レッチワースを始めとした現存する田園都市をよく研究するとともに、啓蒙家ハワードのみならず、その思想を現実のものとした都市計画家アンウィンを始めとする人々をも詳細に描き、イギリスの田園都市についてよく理解ができる好著だった。この「日本型都市計画とはなにか」は、こうしたイギリス田園都市の研究をベースに、日本における田園都市のとらえ方やこの発展系としての日本のニュータウンの研究、また日本の区画整理を東南アジア諸国へ技術移転するという仕事に関わった中で形成された、比較都市計画の理論について考察する。
単に田園都市を、欧米都市計画を美化し追いかけるのではなく、その時々、その国々の社会的・文化的・経済的状況に応じて、都市計画という技術は使い分けられなければならないし、その技術間に優劣はない、ということが強く訴えられている。そして今、日本において、イギリスで田園都市が構想された成熟社会を迎えようとしている。今こそこの時代に適合した、日本の社会や文化・経済に適合した、新たな田園都市論が求められていると言えよう。
- 「生活空間学としての都市計画」を構成する「生活」とは一体、なにか。・・・ここでは単純に、「社会・政治・経済・文化という四つの生活要素」と、「生活総体としての生活様式」という二つの側面からとらえたい。(P21)
- イギリス近代都市計画を唯一のモデルとみなす立場への批判がある。イギリス近代都市計画を相対化する必要である。(P29)
- (イギリス田園都市の理念の一つ「協同のまちづくり」の変化を評して)個人利益の追求が優先し、協同の理念が消え失せてしまったという面もあるだろう。しかし、戦間期以降の積極的な公営住宅政策の展開が、この協同組合型実験住宅建設の考え方に取って代わったという側面も忘れてはならないだろう。(P39)
- 「協同のまちづくり」は、あるときは「公の都市計画」が成長するまでの間の中継ぎとして、またあるときは「公の都市計画」を補完し、より高い水準の空間形成に寄与しつつ、さまざまな時代と社会に生き続けてきたわけである。(P41)
- 「田園での生活は、立身出世の並木道のかなたにある到達点である」(P78)
- アメニティ豊かな住宅地は「人身を安寧化した」。イギリス人は、「よき住宅と住宅地が社会的インフラである」ことをよく知る。(P107)
特に後ろ2つのパラグラフは、足助で定住促進に関わっている者からすると、非常に興味深い。日本においてもイギリスの同様な価値観は果たして形成されるのだろうか。
そして、P111からの「第8章 日本型ニュー・タウン像を求めて」で調査対象となっている高蔵寺ニュータウンに住む者として、内容についてはよくわかると同時に、書中に挿入された写真の撮影場所まで分かってしまうのは、やや面映ゆい想いがしないでもない。
コンパクトシティ (2002/5/30)
 | 【書 名】 | コンパクトシティ |
| 【副 題】 | 持続可能な社会の都市像を求めて |
| 【著 者】 | 海道 清信 |
| 【出 版 社】 | 学芸出版社 |
| 【ページ数】 | 287P |
| 【出 版 日】 | 2001年 8月30日 |
| 【価 格】 | 3200円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7615-3095-2 C0052 \3200E |
この本の著者である海道先生は、岐阜県可児市にある名城大学都市情報学部にみえることもあり、たびたびお会いし、また先日はこの本をベースに「コンパクトシティ」に関する話を伺った。それまでコンパクトシティを単純に公共投資の効率化をめざす高密度な都市と理解し、都市計画制度が脆弱で都市が拡散的に構成されていく日本においては、理想論に過ぎないという認識でいた。しかし、サステイナブルな都市像という視点で捉えれば、一転、魅力と現実性を持った都市像に転換する。本書では、序章で、都市像としてのコンパクトシティの意味を確認した上で、EU圏におけるその理念と政策をレビューし、続いてイギリスの政府の政策、自治体の政策、ドイツ・オランダの政策、アメリカの状況、さらにはコンパクトシティに関する様々な議論と視点が紹介され、最後に日本型コンパクトシティに向けた10の原則と3つのモデルが示される。全体的には今までの論文や現状の政策等の紹介が中心で、著者独自の提案には乏しいと言わざるを得ない。ただし、これは海道先生自身も講演をされたときに話されていたことであり、この4月からイギリスへ留学し、さらに研究を重ねられているはずなので、今後の成果を期待したい。しかし都市像といったテーマは現実の政策と離れては議論できないし、かといって現実は理論どおりに進まないのが普通であって、特に日本において政策転換を安易に期待するのは難しいのが現実である。魅力ある都市づくりと現実の政策の狭間、そして欧米との違いを感じずにはいられなくなる著作でもある。
- コンパクトシティを中心として、「より望ましい都市あるいは都市形態とは何か」について、読者のみなさんとともに考えたい。(P23)
- コンパクトシティは、サスティナブルな都市の空間形態として提起されたEU諸国で推進されている都市政策モデルであり、都市空間の概念である。(P24)
- 1980年代の英国における人口変動の地域的特徴を見てみると、・・・非大都市圏では、(1)人口の転出傾向は強いが自然増加が上回っている都市部や工業都市、(2)自然増加は見られないが他の地域からの人口転入傾向が強く、人口増加傾向となっているリゾート地、遠隔地、純農村地域、(3)自然増、社会増によって人口が増加しているニュータウンや都市近郊の農村地域、という三つの特徴のある地域が見られ、わが国とはかなり異なっている。(P46)
- サスティナブル・コミュニティの狙いを、持続可能な質の高い生活をもたらすことにおいている。具体的には、都市中心部に多くの住宅を建設し、居住者のコミュニティをもっと感じられるようにすること、働く場、健康管理、商店、コミュニティ、レジャー、教育などの施設を整備すること、歩行者のための環境を改善し公共交通とオープンスペースを結ぶことである。(P82)
- 19世紀後半から20世紀初めにかけての先進国の都市計画の中心的テーマは、生理的なレベルでの健康を確保することであったが、20世紀後半の先進国におけるテーマは自動車への対応であったともいえる。(P136)
- スーチャーはアーバンビレッジを、都市と農村の対立した性格、たとえば、孤独対親しみやすさ、複雑対単純、自由対因習、人口対自然といったものではなく、都市と農村の両方の良いところを備えたところと考えた。(P161)
- コンパクトシティの・・・欧米で考えられている基本的な特性を整理すると、次の9点があげられる。その中心的な命題は、密度の高さ、多様さ、ヒューマンスケール、独自性である。
○コンパクトシティの空間的形態
(1) 高い居住と就業などの密度 (2) 複合的な土地利用の生活圏 (3) 自動車だけに依存しない交通
○コンパクトシティの空間特性
(4) 多様な居住者と多様な空間 (5) 独自な地域空間 (6) 明確な境界
○コンパクトシティの機能
(7) 社会的な公平さ (8) 日常生活上の自足性 (9) 地域運営の自律性 (P165〜166)
コウハウジング (2002/5/10)
 | 【書 名】 | コウハウジング |
| 【副 題】 | 欲しかったこんな暮らし!子育て、安心、支え合う仲間たち・・・アメリカの新しい住まいづくり |
| 【著 者】 | コウハウジング研究会、チャールズ・デュレ、キャサリン・マッカマン |
| 【出 版 社】 | 風土社 |
| 【ページ数】 | 195P |
| 【出 版 日】 | 2000年 9月25日 |
| 【価 格】 | 1800円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-938894-38-6 C3052 \1800E |
コウハウジングとは、いわゆるコレクティブハウジングの北米版の住まいづくりのこと。デンマークのコレクティブハウジングを研究しアメリカに持ち帰ってコウハウジング社を設立、実践しているチャールズ・デュレ、キャサリン・マッカマンによる同名の著書の翻訳と、これに触発され、北米コウハウジング会議に参加し研究を重ねてきた成果が綴られています。建築や住まい方の専門家にして主婦業をこなしてきた、コウハウジング研究会のメンバーである露木洋子さん、山本典子さん、堀田佐都子さんの3人の、コウハウジングの実物に触れてきた感動と日本でも普及させたいという熱意が行間に滲み出て、説得力のある1冊となっています。
第1章は「コウハウジングへようこそ」と題して、デンマークの事例を通じてコウハウジングの紹介。第2章でアメリカの事例の紹介。第3章、第4章では、それぞれ参加とプランニングのノウハウと、デザイン面での配慮事項の説明。第5章で具体的に日本でつくる場合を想定した散文的なケーススタディが綴られ、最後に座談会で3人の熱意が語られます。
- 『コウハウジング』とは子育て中の核家族、一人暮らし、高齢者など様々な人たちが、物質的な豊かさよりも気を許せる人間関係や安全性、そして助け合いによる暮らしの豊かさを求めて始まった共生の住まい方の一つです。(P8)
- コウハウジングコミュニティが成功するかどうかの鍵は、基本設計にどれだけ多くの入居予定者が参加できたか、そしてどれだけみんなで納得がいくまで考えたか、にかかっています。(P43)
- 子どものいる人ばかりではなく、シングル女性は「一人暮らしで週末などさみしいなと思ったこともあったんですが、ここはプライバシーとコミュニティの両方のバランスの取れた暮らし方ができます」などと非常に満足している様子が窺えます。(P44)
- 97年の北米コウハウジング会議に参加した時点で完成されていたアメリカ国内のコウハウジングの数は24ヶ所あり、建設中のものを合わせると50ヶ所に及んでいました。(P99)
- コウハウジングを広めるためのビデオ「近所付き合いのできる暮らし」の中でコウハウジングの特徴として以下の4つが上げられています。
- 居住者のプロジェクトへの参加
- コミュニティ全体を計画する
- 住人の協同の施設を持つ
- 住人が自分たちで協同して管理を行う
また、北欧と異なり、戸建てやテラスハウス方式のものがアメリカでは多く見られます。(P99)
- 個人の住居部分が少なくてすむ=低価格という利点もあります。離婚の多いアメリカで、子どもを地域で助け合った育てることができ、高齢者も孤独でないこの暮らしは、福祉という面でも価値があるといえましょう。(P101)
- 「煩わしくて面白い人間関係」それこそが生きている醍醐味であると思います。(P102)
- ここではもし誰かが・・・道具を貸してくれと言っても、私が望まなければノーと言います。ノーと言うことができるのは親しい間柄の印です。(P146)
アメリカのコウハウジングの事例では、「住人だけでつくったコウハウジング」「倉庫をリニューアル 都会の孤独を和らげる」「住む人も都市型のコウハウジング」「既存の建物を生かした都市型再開発」「自然発生型のコウハウジング」など、様々なタイプが取り上げられています。都市型再開発では
- 14戸の内、新築は4戸で後は曳き家だったり、もとからあった家を増築したりした家です。コモンハウスもあるのはありますが、古いタウンハウスの1階部分で、外階段をあがった2階には別の世帯が住んでいます。(P80)
また自然発生型のコウハウジングでは
- もともとそこは普通の1戸建てが立ち並んでいた場所だったのですが、・・・隣の隣人と話し合ううちに、お互いのフェンスを取り除き裏庭をつなげていくことになったのが1986年のことでした。その後・・・徐々に隣近所に仲間を増やし12世帯にひろがりました。(P88)
日本でも同様のものがつくりたい、という筆者たちの思いは必ず実現はすると思います。ただし、「オンリー・ワン」ではなく、あくまで「ワン・オブ・ゼム」として。本当は地域に根ざして生活すること自体がコウハウジングなんだと思います。
ユニバーサルデザイン解体新書 (2002/4/28)
 | 【書 名】 | ユニバーサルデザイン解体新書 |
| 【著 者】 | 北岡 敏信 |
| 【出 版 社】 | 明石書店 |
| 【ページ数】 | 192P |
| 【出 版 日】 | 2002年 3月20日 |
| 【価 格】 | 1500円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7503-1561-3 C0036 \1500E |
プロローグに書かれたユニバーサルデザインに対する考え方に興味を抱き本書を手にしたが、本編は日本全国のユニバーサルデザインの取り組み紹介が費やされている。それも1事例にさかれる紙数は少なく、表面を走るという感じなので、私としてはやや物足りなさが残った。逆に多くの事例を知りたいという人には良い資料になるのだろうか。しかし秋田県鷹栖町が取り上げられていなかったり、愛知県内も全く取り上げられないなど、多分、最近積極的にユニバーサルデザインに取り組み始めた市町村の事例が多いのだろうが、筆者の取材の範囲内にとどまり、仕方がないとはいえ、その点でもやや不満だ。
- ユニバーサルデザインの提唱者はノースカロライナ州立大学(アメリカ)のロナルド・メイス(故人)である。自身も身体に障害をもつ彼は1980年代、それまでのバリアフリーの概念に代わって、「できるだけ多くの人が利用可能であるように製品、建物、空間をデザインすること」をユニバーサルデザインとして定義した。(P12)
- ロナルド・メイスが唱えたユニバーサルデザインは次の7原則で構成される。
- だれにでも公平に利用できる
- 使う上で柔軟性に富む
- 簡単で直感的に利用できる
- 必要な情報が簡単に理解できる
- 単純なミスが危険につながらない
- 身体的な負担が少ない
- 接近して使える寸法や空間になっている(P16)
- 完璧なユニバーサルデザインは存在しないし、存在してはいけないのだろう。ユニバーサルデザインは最終目的地に向かうプロセスそのものだからである。(P19)
- これまで以上にユーザーニーズの集積に力を注がなければならない。・・・この考えをさらに進めると、ユーザーとデザイナーのコラボレーション(協働)によるデザインが考えられる。(P19)
- アメリカにはアメリカのユニバーサルデザインがあるし、日本には日本のユニバーサルデザインがある。・・・グローバルスタンダードとなるのは、ユニバーサルデザインの基本的な考え方の部分である。(P21)
- ユニバーサルデザインの公園とは、永遠に完成しない公園であるともいえる。(P94)
- 開成柏屋店では男性用、女性用、車イス対応と三つのトイレを別々につくるのではなく、性別や障害のあるなしにかかわらず、誰でもが利用できる1.5坪の広いトイレを二つ設置。(P167)・・・福島県の事例
ちなみに、群馬県六合村の事例(村立診療所の医師と村役場担当者が実現した「福祉リゾート構想」=「バーデ六合」)は興味深い。(P142〜)
変わる商店街 (2002/4/ 6)
 | 【書 名】 | 変わる商店街 |
| 【著 者】 | 中沢 孝夫 |
| 【出 版 社】 | 岩波新書 |
| 【ページ数】 | 184P |
| 【出 版 日】 | 2001年 3月19日 |
| 【価 格】 | 700円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-00-430719-8 C0234 \700E |
中心市街地の活性化は、現在の都市問題の主要な課題の一つである。数多くの中小企業や商店街を取材してきた筆者が、今元気な商店街の現状を紹介しつつ、商店街の活性化は"まちづくり"に取り組むことから始まるという持論を展開する。商業サイドからまちづくりが語られるとき、その多くは結局、商売の売り上げ向上をめざすことを指すことが多く、最初はそんな偏見を持ちながら読み始めたが、読み進めるうちに筆者の指摘が的を得ていることに同感の意を強くし、面白く読み進めることとなった。確かに筆者に言われるとおりだと思う。
- 後継者が育たないことは世の中の風潮や責任の問題ではない。純粋に家族のありようの問題に属するものである。(P34)
ここには大きく「NO!」と落書きがしてある。実際、家族のありようは、世の中の風潮や社会経済情勢に影響される部分も多いと思う。しかし家族の自覚を促すという点では意味ある指摘とも言える。
- 私たちが意識的にコミュニティを作ってきたことがあるだろうか。・・・それは自然発生的に形成されたものであり、従って年齢構成が変化すると同時に、自然と消滅するものだった。・・・商店街の活動を含めて、「まち全体のことを考えて行動する人は少なかった」・・・わたしたちは、失うに値するほどのコミュニティをもっていなかったのだ。それゆえいま人々は「まちづくり」を通して新しいコミュニケーションを始めたのではあるまいか。(P45)
- 許認可制のもとで守られることは決してプラス面ばかりではない。人間は矛盾したものである。規制に守られ安息を感ずる一方で自由への意思は必ず生まれる。(P65)
- 小規模小売店の中にも成長して小規模小売店でなくなるものが少なからず存在する・・・「小さい」ということは一律に「弱い」ということではないのだ。・・・業態転換を行った商店の方が、従業員の減少の割合は小さい。(P82)
- 今は”商店街へ行こう”という人はいません。”あの店に行こう”ということで来るのです。つまり行ってみたいと思う”あの店”の数が多ければよい商店街ということになります。(P102)
- もちろん衰退してもよい。継続と発展だけが「善」であるということはないからだ。・・・「自分のところき不要だ」と思うのは仕方ないにしても、ひょっとするとそのような消極性が「街」全体の足を引っ張ることになっているかもしれないと考える必要もあるかもしれない。(P111)
- スーパーと個店の役割は違います。・・・人が安らぐためには地域社会は豊かでなければならないのです。お客と一緒に街をつくりたいですね。(P145)
- 「個店、専門店の時代がやってきている」・・・大型店はあきらかにピークアウトであり、その抜けた穴は個々の個店が埋めるのが理想的である。その個店が郊外店になるのか、中心市街地のお店になるのかが問われている。(P154)
- 製造業は背景に一次産業があってこそ栄える。とくに農業の存在が欠かせない。労働力の供給をはじめとして製造業の前提は農業である。そして商業はその背景に製造業の存在が欠かせないのである。それぞれの産業は連関しあって存在するものなのだ。(P172)
- 楽しい、精神的に豊かな地域社会が育つことによって小売業(商店)もまた成り立つ(P175)
都市再生の法と経済学 (2002/3/26)
 | 【書 名】 | 都市再生の法と経済学 |
| 【著 者】 | 福井 秀夫 |
| 【出 版 社】 | 信山社出版 |
| 【ページ数】 | 230P |
| 【出 版 日】 | 2001年 9月20日 |
| 【価 格】 | 2900円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-7972-1866-5 C3332 \2900E |
著者の福井秀夫氏は、定期借家制度創設にあたり、近畿大の森本氏等の疑義に対抗して、八田氏等の経済学者と連携して、積極的に定期借地権創設論を述べていたことで有名である。私もその直前に氏の講演を聞いたことがあるが、ナタのように切れ味鋭い論法と威圧感に圧倒された記憶がある。あとがきを読むと、本書は京都大学工学博士学位請求論文に加筆修正したものとのこと。三村先生を始め、巽先生、東樋口先生等の建築系の諸先生に対する謝辞が述べられている点が興味深い。
本編は、序章を含めて全7章で構成される。第2章では、第1節で都市住宅問題に対する視座(問題意識)が列記され、第2節で施策検討立案にあたっての7つの評価基準が示される。「社会経済的厚生評価基準」を始めいずれも難解な名前が付けられているがよく読むと意外に当たり前なことが書かれていることに気付く。列記すると以下のとおり。
- (1) 社会経済的厚生評価規準(主規準)
- 個々の者の利得の総和は、・・・できるだけ大きくすることが適当である。(P27)
- (2) 寄与分に応じた分配の公平評価規準(副規準)
- 土地・住宅をめぐる個人及び法人(関係者)は、その者の寄与分(努力)に応じた分配を受ける(ことが公平である)(P29)
- (3) 社会福祉的観点からの分配の公平評価規準(副規準)
- 最低限度の生存がおびやかされる・・・者に対して(は)社会経済的な利得の総和の中から利得を再分配することが、・・・社会的公平(P31)
- (4) 社会経済的厚生を増大させるための再分配評価規準(副規準)
- (経済の)外部性(=外部経済と外部不経済)の内部化のため(の賦課金等の経済的手法による)・・・所得の再分配とは独立な政策原理(P34)
- (5) 制度・システムの設計評価規準(副規準)
- 個別主体ごとの合理的な選択の結果が社会公共的にも合理的な結果となるように、・・・制度・システムを設計することが基本的に重要である。(P34)
- (6) 場面適合的公的介入評価規準(副規準)
- 公的介入の対象分野とその内容・程度は個別の問題ごとに判断する(P39)
- (7) 複数の目的には複数の手段評価規準(副規準)
- 複数の目的には複数の手段(P40)
一方、日ごろ私も感じていたことを鋭く指摘する記述も多い。
- 規制と賦課金等の経済的インセンティブとの差異は何か。いずれも外部性の内部化手法と位置付けられるが、規制は、その性格上、・・・ある数値を規準として全面禁止領域と全面自由領域とを分ける。しかし、外部性はそもそも一般的に連続したものであり、・・・程度の小さい外部性を野放しにする反面、規制領域では規制の過剰が発生する。しかも、規制地を満たす限り、外部性をより望ましい水準に近付けるための技術革新等を図るインセンティブは生じない。(P34)
- 零細敷地の固定資産税優遇措置、土地に軽課し建物に重課する固定資産税制、相続の度に建て替えることを有利とする相続税制、有効利用を助長させない土地キャピタルゲイン税、違法建築の放置など、狭小敷地や耐久性の低い低質建物の保有を有利とする制度の歪みがある。(P122)
- 住宅に困窮する市民に対して・・・借地借家権という偶発的事情に依拠する私的な施しではなく、公的な分配によって対応するのが適切(P213)
- 立退料や継続賃料抑制という形で、土地の価値の増大分を貸手と借手という私的な二当事者間のみで分配してしまうという思考自体に根深い問題がある。・・・本来、自らの寄与によらない土地からの利得は、税制を通じて公共に還元するのが分配の公平にかなう。(P214)
ところで、3章、4章では、「住宅市街地の実態と問題点」そしてそれを解決するための「住宅供給的視点の付加」が語られるが、法経済学出身者らしい、大胆にして楽天的な割切り、設定が目に付く。例えば、
- 防災上の支障のない広幅員の道路に敷地が接道し、公園、緑地などのオープンスペースが十分に確保され、医療・教育・文化などの公益施設も地域内または周辺に立地していることに加え、建築物の質が高く、かつ日照、採光、通風などの建築物が相互に及ぼす外部的影響も最小限に抑えられていることが望ましい。(P50)・・・いわゆるニュータウンの光景が目に浮かぶが、本当にそれが理想的な住宅地の姿なのか、という疑問が最近の住宅問題の研究テーマの一つのように思うのだが。
- 皆で食べるパイそのものを予めできるだけ大きく焼いておく算段をしておかなければならない。・・・いわゆる保留床的な住居をできるだけ広く確保しておけば、これによる収益によって事業費の相当部分をまかなう余地が生まれる。(P78)・・・そんなことは当たり前だが、経済的環境からそれができず苦労している再開発がほとんどではないだろうか。ましてやこれからは人口減少の時代。結局、福井氏の論は東京大都市圏のほんの一角でのみ成り立つ論ではないのか、という疑問が禁じ得ない。
- 従来の低層住宅市街地再開発では、経済的なメリット、デメリットを明確に関係者に示して計画への理解を求めるという姿勢が希薄であった。(P79)・・・これは絶対違うと思う。それともそんな幸せな地区が東京ではあるのか。
続く5章では、「権利調整費用の低減による共同建替え促進効果」の試算が行われるが、これは一言で言えば、「収用権を背景とする道路網整備事業の推進及び交換分合制度の導入」(P146)という新しい施策を導入した場合の効果を試算するというものである。その内容は、経済的な知見が駆使されており、私などの理解が及ぶところではないが、権利調整費用を調整作業費用と合意形成費用に区分し、「合意形成費用は、心理費用を含み、しかも事業の質的属性に依存して決定される部分も大きく、計測は困難である」(P120)として、25件の事例分析結果から「調整作業期間の1/4程度」としている。しかしこれらの事例は事業が成立した事例で、結局成立しなかった事例を含めれば、その費用は言われる以上に計測不可能ではないか。加えて、共同管理に伴う費用、またはそれが引き起こす心理的費用にも配慮する必要があると思われる。いずれせよ、東京大都市圏の非常に利便性の高い地区での試算である。
さて、第6章ではお得意の「借地借家法制の住宅供給抑制効果」について論じている。
- (諸外国に比べて民間借家の規模が格段に低いことの要因として)借家法による強力な正当事由制度と継続賃料抑制主義が貫徹している日本の借地借家法の存在であると考えられる。(P186)
で代表される、全ての要因を借地借家法に求める論法の根拠は必ずしも明確に述べられているようには思われない。
- 重要なことはこの変化の程度が無視できないような問題を引き起こしてはいないかということであって、変化後の絶対値のみをとらえて評価することは法システムの検証として意味を持たない。(P207)
などと相変わらず厳しく森本氏を追求してるが、私には、森本氏は、「借地借家法の影響が他に比して圧倒的に大きい、というわけでもないのではないか」と言っているだけのことで、「影響がない」だから改正する必要もない、とまで主張しているようには思えないのだが、どうなのだろう。双方正しく思えてしまうのは私が優柔不断だからだろうか。福井氏の言うような借地借家法の改正も必要だろうが、それだけで日本の住宅問題が解決するとは到底考えられない、というのが常識的な考えのように思えてならないのだが。
石山修武 考える、動く、建築が変わる (2002/3/16)
 | 【書 名】 | 石山修武 考える、動く、建築が変わる |
| 【副 題】 | ひろしま、生活、家、コミュニケーション |
| 【著 者】 | 石山 修武+(インタビュアー)芹沢高志 |
| 【出 版 社】 | TOTO出版 |
| 【ページ数】 | 221P |
| 【出 版 日】 | 1999年12月10日 |
| 【価 格】 | 1429円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-88706-185-40 C3052 \1429E |
1999年から2000年にかけて、ギャラリー・間で開催された、石山修武展に合わせて行われたインタビュー形式の本。ひろしまハウス、まちづくり支援センター、「秋葉原」感覚、ライトインフラ、川合健二、開放系技術、フラー、早稲田バウハウススクール、世田谷村。そして松崎町と気仙沼など、石山修武の全てが語られている。
石山修武は気になる建築家ではあるけれど、独特のパワーと気合に圧倒されそうで、今までどちらかといえば避けていた。今回、友人から本書を借りて読み、改めてそのパワーと肉感を実感した。現場や職人、つくる力に対する信奉など共感する部分も多いが、結局、やはりこれは石山ワールドであって、石山修武でなければ達成できない世界だと思う。きっと剥き身で会うと恐い人だろうな。でも触発される部分は多い。
- ウィリアム・モリスの運動の価値は、労働と呼び切れぬ、仕事の快楽の尊重にあった。モノをつくる快楽を生かしながら、市場の形成を夢見たところにモリスの真骨頂はあった。(P36)
- アドルフ・ロース以来「装飾は罪である」というふうに教わってしまったから。でもよくよく考えてみると、なぜ罪なのかということは、まだ誰も教えてくれないし、言ってもいない。(P66)
- 今の住宅は装置としては何も生産していない。消費生活の固まりみたいなモノですね。(P111)
- 住宅は切り妻とかドームとかスタイルの問題はどうでもよくて、エネルギーと設備の問題から僕は変わっていかざるを得ないだろうと思う。(P121)
- 現場と一緒に生きていくというんですか、「世田谷村」ではまだつくり続けている中で住み続けているというその感覚がすごくワクワクもするし、好きなんですよ。(P185)
この本に触発されて、以下のようなことを考えた。おまけの考察。こんなことはとっくに誰かが言っていることだとは思いますが、・・・
建築の計画学は、西山卯三の住宅計画や柳沢忠さんの病院建築計画といった機能的な分析から組み立てられている分野と、安藤忠雄や石山修武らの実践派や建築哲学的論考から入る領域とあります。前者の研究も西山卯三のように客観的な論として凝縮しそれが運動につながっていくという展開なら意味があると思いますが、まかり間違うと住宅メーカーの間取りプラン研究になるだけでは何の意味もない。岐阜県の北方住宅をテーマにしたシンポジウムを聞きに行ったときに、詳細な住まい方調査を行っているグループがあって、それで何になるんだろう、と思った次第。住宅は、食べるところと寝るところ、排泄するところがあれば、事は足りる。それをどう配置したらいいかなんてのは、所詮、趣味と意味づけの問題であって、人間、住まいがあれば生きてはいける。いや、ホームレスを見れば、住まいがなくても機能があれば生きていく。
石山修武は、その機能を作り出すのは、「開放的技術であればいい」という言い方をしているんですが、これってようするに自給自足。セルフビルドな能力を取り戻そうということ。
機能をそこまで純粋化してしまうと、では建築計画とは、すなわちデザインとは何か、ということになります。そこで提示されるのがスタイル。「所詮、趣味と意味づけ」と言った時の、その「所詮」こそを俎上に乗せて分類・整理し、提示しようというのがスタイルの意味です。そう考えると、それは藤森さんのような建築史的意匠研究にもつながるもので、そこでようやく建築史の研究室が計画系の一分野にあるということがわかってきました。
デザインをスタイルと割り切ることで、スタイルと人間の嗜好と関わりという次のテーマもあらわれてくる。そんなことを思いました。
・・・ここで言う「スタイル」とは、石山が言う「形式」や「かたち」といった意味ではなく、姿勢やコンセプトといった意味で用いています。
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タンポポ・ハウスのできるまで (2002/3/2)
 | 【書 名】 | タンポポ・ハウスのできるまで |
| 【著 者】 | 藤森 照信 |
| 【出 版 社】 | 朝日新聞社 |
| 【ページ数】 | 339P |
| 【出 版 日】 | 1999年 7月 5日 |
| 【価 格】 | 2400円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-02-257277-9 C0095 \2400E |
この本は誰が読むのだろう。相変わらず藤森節は絶好調で、絶妙な筆致で綴られていく。多分建築を目指す学生や専門家がこの本を手に取ることが多いだろう。その片割れの私が読んでも、設計が進んでいく過程過程にいちいち同化できる部分が表れる。一方でここまで自己中心的にこだわって建築行為ができることに羨ましく思う専門家も多いだろう。なかなかここまでこだわることはできない。例え自宅であっても。金銭的問題が解決したとしても。足場が取り払われ全体像が現れたとき、「あせった。こんなはずじゃなかったのに。」(P312)とつぶやく姿はおかしみを感じるとともにほっとするが、しかしそれでも造り上げこうして本にまでしてしまうのだから、やはりその精神力には感服するしかない。
単なる建築家のこだわりの自宅づくりの物語だけではなくて、そこかしこに建築史家・藤森氏の建築論が語られ、その意味でも興味深い。建物すっぽり緑で覆うという試みをしながら、けっして環境共生とは言わない。そこにも藤森氏の建築観が表れる。もちろん建築の専門家でない一般の読者にこそ是非読んで欲しい本です。
- 足よりは目のための緑化。足のための緑化は地付きの公園や庭園にまかせ、建築の緑化は目のためをもって旨とすべし。(P37)
- エコロジーと近代化の狭間で揺れるうえに、建築とエコロジーのあいだでも揺れる。つぎつぎに新しい建物がつくられるのを目撃すれば、建築関係者としてはとてもおもしろくて元気が湧くが、その裏側には自然破壊と浪費が広がっている。新しい建物も自然も好きだ。(P166)
- "寄生"・・・人工と自然の"共生"が語られ、いまもますます叫ばれている。近代化のなかでさんざん自然を痛めつけておいて、相手が弱り切ったら、あわてて、ゴメンこれからは共生で仲良くしよう、はないだろう。痛めつけたことへの反省もなければ、自然の底力への畏怖もない。/共生はウソっぽいが、寄生には責任と配慮がある。(P194)
- すべての木を伝統的な価値観で見ることにイヤ気がさしている。桧、杉、松という伝統木材界の松・竹・梅のランク付けも忘れたい。節があるのよりないほうがいいという無節信仰、・・・柾目信仰、・・・産地信仰、・・・国産信仰、そういう建築界、材木場に流通するさまざまな習慣と評価から、まず自由になりたい。(P260)
- ディテールの良し悪しがその後のメンテナンスを決める。建物=ディテール=メンテナンス、なのである。(P290)
- 建築が建築たるゆえんは現場にある。一品生産ゆえ、個別の問題がつぎつぎに巻き起こり、その場の判断と行動一つ一つの積み重ねの結果としてよくなりもすれば、悪くもなる。現代で、リスクとスリルの詰まった製造の場というのは、宇宙船と建築の二つくらいじゃあるまいか。最先端の工業技術と最後端の工業技術の二つの申し子。/・・・最後端であるがゆえに、建築の現場には、物をつくるということの根本がごくわかりやすいかたちで、まだ生きている。(P304)
新・集合住宅の時代 (2002/2/21)
 | 【書 名】 | 新・集合住宅の時代 |
| 【副 題】 | つくば方式マンションの衝撃 |
| 【著 者】 | 小林 秀樹 |
| 【出 版 社】 | NHK出版 |
| 【ページ数】 | 237P |
| 【出 版 日】 | 1997年11月25日 |
| 【価 格】 | 1300円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-14-080345-2 C0052 \1300E |
つくば方式(建物譲渡特約付き定期借地権住宅)に関する一般向けのガイドブックと言っていいだろう。つくば方式マンションの第1号、第2号での実話を盛り込み、わかりやすく親しみやすい本となっている。しかも、つくば方式を解説するだけでなく、つくば方式から展望される、これからの成熟社会(産業化+高齢化)における都市のあり方を描き、その解決策としてのつくば方式のメリットと限界が述べられている。都市部の高地価の立地でこそ真価を発揮するつくば方式。しかし地価の安い地方部においても、根強い土地所有意向を利用に転換させる方策として注目度は高い。プラス、コーポラティブ方式の採用によりコミュニティ問題・マンション管理問題の解決へも道を開く。最近、つくば方式の普及具合はどうなのだろうか。地方部にいると一時ほどの熱は冷めつつあるように感じるのだが。しかし本書を読むと、改めてつくば方式の持つ可能性に目が開かれる思いがする。地方部での可能性はどうなのだろう。
- つくば方式の魅力は、このようなコミュニティの質を自然に育むことにある。(P80)
- 分譲(建物を区分して所有する)という関係は、新築時や販売する段階では一戸一戸の権利が独立し、融資が個別に受けられるので合理的だ。しかし、老朽化した時の修理や建替えの段階になると、むしろ多人数の合意形成が大変で問題が多い。・・・そこで新築時は区分所有にするが、30年後にはこれを解消するという「建物譲渡特約」の仕組みは、最もマンションに適している(P124)
さらに31年目以降の定期借地権と組み合わせたのがつくば方式だ。それはさておき、「第10章 成熟社会の街づくりを考える」ではコンパクトシティに寄与するスケルトン賃貸という展望が描かれるが、合わせて次の記述が目を引いた。
- 農村は、今後も親子の同居を維持し、安定した郊外居住を実現していく。(P216)
日本全てがコンパクトシティ・都市になるわけではない。農山村部等で描かれる暮らしは、自信を持って、同居型・自然環境共生型であっていいのだと言いたい。
近代化遺産を歩く (2002/2/19)
 | 【書 名】 | 近代化遺産を歩く |
| 【著 者】 | 増田 彰久 |
| 【出 版 社】 | 中公新書 |
| 【ページ数】 | 222P |
| 【出 版 日】 | 2001年 9月25日 |
| 【価 格】 | 980円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-12-101604-1 C1226 \980E |
文化財登録制度ができて以来、近代化産業遺産に対する関心が高まっている。近代建築物の写真を数多く撮っている著者による、日本の近代化遺産の写真と随筆集である。愛知県はトヨタ自動車を代表する日本有数の産業県の一つであり、日本六古窯のうちの二つである瀬戸と常滑を擁するほか、毛織物や綿織物の産業集積も高い。産業記念館やノリタケの森など、近年こうした近代化遺産を公開した事例も出ていることから、この本でももっと多くの遺産が紹介されているかと期待したが、残念ながら、稲葉地配水塔(名古屋市演劇練習場アクテノン)、中川運河松重閘門、桶狭間ラジオ放送所送信塔と依佐見送信塔(ともに現存せず)、東山動植物園温室しか載っていないのは少し残念。しかし後ろ3つはかなりマニアックだ。外国の産業化遺産として一つだけ、イギリスのキューガーデン・バーム・ハウスが載っているが、近代化遺産を求めて世界に視野を向けるのも面白そうだ。
■紹介されている近代化資産の種類
時計塔、駅舎、機関庫、橋梁、トンネル、ダム、水力発電所、浄水場、配水塔、火の見櫓、窯、工場、煙突、灯台、港湾、税関、倉庫、ドック、運河、要塞、送信塔、気象台、天文台、温室、ホテル、刑務所
見た 聞いた 考えた (2002/2/14
 | 【書 名】 | 30周年記念出版「見た 聞いた考えた」 |
| 【副 題】 | 地域づくりの事例とヒント |
| 【筆 者】 | 社団法人 地域問題研究所 |
| 【発 行 所】 | 社団法人 地域問題研究所 出版部 |
| 【ページ数】 | 143P |
| 【出 版 日】 | 2000年10月 |
| 【価 格】 | 非売品 |
名古屋のシンクタンク、(社)地域問題研究所が一昨年30周年を迎えたことを記念して発行した冊子。読みかけで放ってあったものの続きを読みました。所員11名が分担して、中部圏を中心に全国各地の地域づくりの様子が書かれています。取り上げた地域は以下の28地区。私も知らなかった事例も多く、一度は行きたいと思う地区もいくつかありました。今後のまち遊びの参考とさせてもらいます。
- 取り上げられた地区
山形県金山町、新潟県上越市、富山県砺波市、石川県山中町、福井県和泉村、福井県池田町、岐阜県大和町、岐阜東濃地域、静岡県中川根町、名古屋市浄心地区、愛知県一宮市、愛知県知多市、愛知県岩倉市、愛知県豊明市、愛知県日進市、愛知県足助町、三重県伊勢市、三重県桑名市、三重県久居市、三重県紀和町、滋賀県長浜市、滋賀県甲良町、奈良県明日香村、関西文化学園都市、徳島県徳島市、福岡県北九州市、北九州市門司区、大分県湯布院町
お姉ちゃんと同じ学校に通いたい! (2002/2/9)
 | 【書 名】 | お姉ちゃんと同じ学校に通いたい! |
| 【副 題】 | ハンディをもつ子と親のためのガイドブック |
| 【筆 者】 |
人にやさしい街づくりアドバイザーグループ
(五十嵐真澄・鬼頭弘子・星野茂子+星野広美) |
| 【問い合わせ】 | 人にやさしい街づくり・情報ターミナル |
| 【ページ数】 | 158P |
| 【出 版 日】 | 1998年10月14日 |
| 【価 格】 | 1,000円 |
タイトルのとおり、都市・建築関係ではなく福祉関係の本ですが、愛知県建設部が実施している「人にやさしい街づくり連続講座」がきっかけとなって完成した本ですので、ここで紹介します。星野広美さんは私の職場の先輩。五十嵐さんとは今一緒に、新しい本づくりに取り組んでいます。今度は、高齢者の住宅リフォームに関するドキュメントとノウハウに関する本。日本建築家協会東海支部愛知部会で現在編集作業中ですのでご期待ください。
さて、本書は、「ハンディをもつ子のお父さん、お母さん」へのヒアリング・ストーリーが6編に、保健婦さん、児童福祉センター、理学療法士、保母さん等へのインタヴュー、そして「ハンディをもつ子たちのためのいろいろな資料」として、教育委員会への取材結果や法律、図書、施設紹介等で構成されています。内容的には徹底的に障害児を持った親向けのガイドブックですが、建築サイドの施策の結果としてこんな本が完成したという点が面白いと思いませんか。ドキュメントの言葉には心を打たれます。
- 「どうせ(プールに)入れないんだから、幼稚園休もうか・・・」って言ったんです。そしたら、・・・「でもね、お母さん。あたし、見てるだけでも楽しいもん」って言ったんですよ。(P32)
- おとなだと、車いすは大変、気の毒と見るんですが、子どもたちは「車いすは歩かんでいいで楽だね」と考えるんですよ。(P42)
プラハを歩く (2002/2/1)
 | 【書 名】 | プラハを歩く |
| 【筆 者】 | 田中 充子 |
| 【出 版 社】 | 岩波新書 |
| 【ページ数】 | 232P |
| 【出 版 日】 | 2001年11月20日 |
| 【価 格】 | 740円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-00-430757-0 C0226 \740E |
筆者によれば、チェコの首都・プラハは、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロック、そしてアール・ヌーヴォーから現代建築に至るまで、様々な年代の建築物が並ぶ建築博物館の街だと言う。西洋建築史を専門とする田中氏が魅せられたプラハの街と建築の探訪記録。
- アール・ヌーヴォー建築だって、産業革命の結果、量産された鉄とガラスという新しい材料で生まれたものではないか。・・・そのアール・ヌーヴォーの2世紀前のバロック建築も、・・・最初は見るに耐えない醜いものとされた。しかし、やがてそのダイナミズムが人々に受け入れられた。・・・バロックの前のルネサンス建築でさえ、それ以前の「天を目指したゴシック建築」からみると「地に這いつくばるドーム建築」である。・・・そのゴシック建築はどうか。・・・そこでは、頑丈な石が人々を護ってくれる、という安心感は既に失われている。・・・「高いものが尊い」という精神が石造空間に大革命をおこしたのである。もちろん、その前のロマネスク建築が登場したときも大問題だったろう。それまでの「木の建築」が「石の建築」に転換したからだ。(P6〜7)
そしてプラハにはその全てが残されている。プラハの人は前時代の建物を壊すということを知らなかった。
- プラハという街のいいところは、新しいものが入ってきてもけっして前のものを壊したり捨てたりしないことだ。・・・プラハは・・・「人間がつくった建築の集合体の街」なのである。(P8)
そして本のタイトルそのまま、プラハ城、旧市街、城下町、新市街、そして郊外と、プラハの街を歩きながら、特徴的な建物(教会、宮殿、市庁舎、大学、劇場、住宅、ホテル)や構造物(橋、墓地、公園)を取り上げ、その特殊性を語りつつ、プラハの歴史を語る。
「はじめに」のサブタイトルは「人間が建築をつくる」。「むすび」のタイトルは「建築が人間をつくる」。建築を語りつつ、プラハの人々を語り(併せて、周辺諸国や時に日本を語る)、歴史に降り積もった人間の思いに心を馳せる。
- たいていの国では、王が暦をつくり、寺が時を知らせた。(P62)・・・なぜ教会に鐘があるのか。
- 市庁舎は最初から立派な建物だったわけではない。市議会は、はじめのうちは各議員の家でおこなわれていた。(P75)
- それぞれのホールには、それぞれの「建築音響特性」があり、だからこそ指揮者が自由に指揮できて、指揮者の音の個性が発揮できるのである。それにたいし、雅楽は・・・戸外で演奏するので音を反射する壁や天井がない。極端にいえばだれが指揮をしても変わらない。(P98)
- アーキテクチャーとは、アルキ・テクトンすなわち「第一の技術」を表す言葉である。「第一の技術」とは「神の技術」のことであり、本来、聖なる世界を意味する神殿にだけ用いられた。したがって、民衆の住居などはアーキテクチャーとはいわなかった。(P181)
- アール・ヌーヴォーはたんなる装飾論の問題でもなければ、材料論でもなく、まして建築の構造論でもない。それは古代ギリシャ・ローマ建築及びキリスト教建築からの離脱であり、建築からの「聖性」の喪失なのである。(P183)
民家に学ぶ家づくり (2002/1/13)
 | 【書 名】 | 民家に学ぶ家づくり |
| 【筆 者】 | 吉田 桂二 |
| 【出 版 社】 | 平凡社新書 |
| 【ページ数】 | 201P |
| 【出 版 日】 | 2001年 6月20日 |
| 【価 格】 | 700円+税 |
| 【書籍コード】 | ISBN4-582-85094-4 C0252 \700E |
民家建築の第一人者、吉田桂二の書く民家と住宅論。第1章は「民家に見る造りと暮らしの智恵」というタイトルで、住宅の部位別にその構造や造りを開設するとともに、各地の民家の様式を自らのイラストで紹介する。この部分は建築の知識を再確認するといった内容だが、第2章以降は、終戦後から現在の住宅の姿になってしまった経緯を振り返りつつ、これからの住まいのあり方を「家に風土性を取り戻す」という言葉で、民家を学び継承する住まいづくりを提唱する。特に第2章の「敗戦と『新時代』住宅」で語られる敗戦前後の時代描写には吉田氏自身の心情が表れており、興味深い。
- 専用寝間では、板床の上に藁を分厚く敷き詰めて、気のみ着の儘で寝ていたと想像される。(P31)
- 草葺きの場合、屋根を切妻型にするのは、けらばの部分の葺き方が難しいので、あまりない形なのである。(P94)
- 戦争に負けて、何もかも失ってしまった状態を今想像して、誰もが絶望感に打ちのめされていた、と考えるのはまったく当たっていない。奇妙な平等感と、これからは民主主義の時代になるという、一種の期待感との混合で、これまた奇妙なことに、明るい気分でさえあった。(P119)
- (「プレハブ」と「工業化」と同時に「設備の充実化」が進行した結果)家の本体そのものが弱体化し、短命なものになったところへの重装備、という住宅の本質に関わる重大な欠陥を持つに至ったのである。(P129)
- 借地、借家が大半だった時代は、・・・住んでいる人は、土地が誰の持ち物か知らないことが多かった。地代は年に一度、寺に納めにゆくが、それをお布施だと思っていたのである。(P144)
- 町内総出で川掃除をする・・・出られない人がいても、決して咎めたりしない。「・・・出られないこともあるわな」と言うだけのことだ。こんな状態で、皆が暮らしているのが、コミュニティが実在する姿なのであろう。人間関係としては、相当に干渉がましいけれども、人情が底辺をなしているのは事実である。(P147)
- (大壁構造とすることで)木を露出することで培われた、木を見定める眼が養われた(P160)
- 民家の継承を別の言葉でいうとすれば、家に風土性を回復するということであろう。(P197)