Toshi-shi の まち遊び日記 ■

2000年までの都市計画・建築関係の
講演会等の記録はこちらから。



 コンパクトシティの動機とキャッチアップ (2001.11.27)
 最近、学芸出版社から「コンパクトシティ」という本を出された、海道清信先生の講演を聴く機会があった。コンパクトシティの概念についても、まだ様々な理解とアプローチがあるというのが実態のようで、成長管理と密接に関係する都市づくりの理念で、日本のようなほとんど規制のない国では理想にしか過ぎない理念ではないか、という私の疑念は、必ずしも当たらないらしい。コンパクトシティの効果や論点の紹介の後、先生が最近訪れたヨーロッパの「カーフリーシティ」や「カーフリーハウジング」のスライドを見せていただくと、コンパクトシティが実は、持続可能性「Sustainability」と関係の深い、日本で言う環境共生住宅・市街地に近いものであることが理解できる。それらは、イギリス、オランダ、ドイツの事例であり、カーフリーディなどの施策やカーシェアリングの仕組み、もちろんLRTかパーク・アンド・ライドなどと組み合わせ整備されている。
 日本に振り返り、都市計画手法が不十分だという話題から、コンパクトシティを進める動機は都市のインフラ整備圧力への対抗か、といった議論が展開された。しかし、それでは行政の都市計画担当者の動機にはなっても、市民の動機にはなり得ない。動機の欠如。
 そもそも日本の都市計画の動機はなんだろうか。イギリスではコレラの蔓延、衛生への希求が都市計画の動機として発動したという説明があったが、日本では欧米型の都市計画の移入という形に囚われた動機が主で、市民として共有された動機が明確であったかどうか。高度経済成長期の爆発的な都市集中に対応し、インフラ整備とリンクした都市コントロールが必要とされたが、高い経済成長が市街地やNTの拡大を許容し、市民はゆるいコントロールを求めたのではなかったか。もちろん今後はこれ以上のインフラ整備は経済が支えられないことは、道路公団の民営化が象徴的に表しているが、しかし市街地はもう十分に拡大している。もとより、インフラ整備の抑制等が目的ならば、整備をしなければ都市は拡大することはなく、高度成長期ほどの住宅需要もなければ、市民の要求が高まることもないと考えられる。
 ではコンパクトシティを実現する動機はどこにあるか。ところで住宅分野では、量の充足を終えた以降における施策の目的は欧米のキャッチアップにあったように思う。「量から質へ」といった場合の質とは「欧米並みの質」を示している。とすれば、これからの質の高い居住空間を提供しうる住宅・市街地の構造として、コンパクトシティを構想できればそれは十分動機となりうるし、市民の共感も得られるかもしれない。もっともこれでは動機ではなく戦略のような気もするが。
 海道先生が提示された「サスティナブルな都市形態としてのコンパクトシティを求めて−さまざまな論点の相関関係・因果関係」と題する複雑な関係図には、高密度居住の効果として、「地球環境問題の解決」や「都市活力を高める」、「公共施設の整備・維持が効率的」等と並んで、「高い生活の質」というのがあった。それを見て触発された浅知恵です。



 住まい・まちづくりホームページ行脚 (2001.10.13)
 職場の機関誌に寄稿を依頼され書いたものです。このホームページの今までの経緯や私の考えなどを記したつもりですので、こちらにも転載しておきます。

Toshi-shiの住まい・まちBOX
 事務局から「町並み」というテーマで何か書けと言われた。ちなみに私の仕事は住宅企画課企画・用地グループ。今年度からスタートした県の住まい・まちづくり施策の基本計画である「あいち21世紀住まい・まちづくりマスタープラン」の策定と推進が担当である。すなわち、仕事とは全く関係がない。しかしマスタープランのこの7月に策定公表し一段落着いたこともあり(その後の推進の方がしんどいと思っているこの頃)、趣味で作っているホームページの紹介でもしようかと思う。
 私が「Toshi-shiの住まい・まちBOX」というタイトルのホームページを初めて作成・公開したのが1996年11月23日。もう5年近くになる。その頃はまだホームページ自体が珍しい時代で、「まちづくり」というキーワードで検索をすると一番に出てきて喜んでいたものだ。内容はその当時盛んだったパソコン通信ニフティのフォーラムに書いてきたものを核に、「住まいづくり」「まちづくり」「まちなみ」と大きく分け、その後見学したまちなみや仕事で関わった住まいづくり、建築物等の見学記録を足していった。また「お勉強ノート」と称して、講演会記録や読書メモなどを書いている。
 当時は市町村営住宅の検査や指導等の担当だったので、県内の公営住宅や山間部の特定公共賃貸住宅の紹介などをしている。また補助申請にたびたび東京へ通ったことから、その空き時間を使って、デジカメ片手に東京都内の密集住宅市街地や特徴的なまちなみを廻った。これは「東京漫歩」というコーナーにまとまっている。
 またプライベートで所属している(社)愛知建築士会では住宅都市委員会の委員を務めていた関係で、愛知県内の様々なまちの見学会を企画し見学記録をホームページに掲載している。この愛建もそうであるが、建築士会も活用しないとただ会費を取られるばかりの組織であるので、委員の特権ということもあり、委員会経費も活用しつつ自分の好みで企画し、見学会に参加した。西尾や半田などはその成果であるが、最大のものは震災後1年を経過した神戸へ行ったことだろう。神戸復興塾というNPOグループに案内を乞い、1泊2日でみっちりと震災復興中の神戸の様々な地区を訪問し、また復興に努力する人々と交流を持ったことは私にとっての財産の一つとなっている。住宅都市委員会は建築士会の組織改編に伴い、技術委員会と統合され実質消滅してしまったことは残念でならない。

NPO活動
 平成11年の1月4日。御用始めの日に建設総務課のKさんに声を掛けられた。「建築学会東海支部都市計画委員会の中に設けられている住宅部会の活動を活性化するためのよいテーマはないか」という話に「今の時代、中心市街地の活性化でしょう」と答えたのが運の尽き。Kさんの学会活動に引き込まれることとなった。住宅部会なので「中心市街地の問題を居住の視点から考えよう」というテーマであったが、建築士会の委員会もなくなることだし、新たなまち歩きの母体グループとなるといいな、という安易な思いから、市町村からの現況報告と討議に、見学会を組み合わせるというスタイルの部会運営を提案、了承された。それだけならよかったのだが、(社)地域問題研究所の活動助成に応募し、見事、助成金100万円をゲットしてしまったから大変。しかし田原町のSさんの努力もあり、空家を借り上げ高齢者の居住支援や生涯学習その他様々な地域活動の拠点として活用する「まちかど交流サロン」の実験的な開設までおこなうことができた。その後現在まで地域の住民有志により継続して開設されてきている。平成11年度の活動は「中心市街地すまい研究会」の名前で報告書としてまとめるとともに、それ以降の活動もホームページに掲載し公開している。
 コーポラティブ住宅と言えば、複数の住み手が組合を作り共同で土地探しや建設を行う住宅を言う。@共同化することによる建設費の透明化と低減化、A建設当初から関わることによる自由度の高い住戸設計、B入居後の豊かなコミュニティが評価されているが、特に最近はAを評価し、都会的でおしゃれなデザイナーズ・マンションの一つとして雑誌等にも取り上げられることが増えてきた。こうした最近のブーム以前から、千葉大の延藤教授の活動に呼応し、Bを評価したふれあい住宅を造ろうと5年ほど前に組織されたのが安住の会である。私が関わり始めたのは設立直後の勢いが失せてコーポラティブの実現は無理かなと閉塞感が出始めた頃。コーポラティブだけにこだわらず住まい手が中心となった住まいづくり活動の核とならないかという期待もあって事務局に顔を出した。こちらはメンバーに大手コンピューター関連企業の社員もいることから、ホームページ作りは基本的に彼がやっているが、私も例会報告など少しだけ担当させてもらっている。
 中部国際空港の建設が進む常滑のまちの産業資産として最近注目を集めているのが、やきもの散歩道である。空港関連の仕事をするNさんに声を掛けられ、常滑の街を訪れたのが一昨年の秋頃。集まった先には、市役所や商工会議所の職員に加え、やきもの散歩道の会代表のYさんや地元でコンセプチュアルな喫茶店兼ギャラリーを経営するSさんなどがおり、工場や散歩道を生かしたまちづくりを進めたいという。いや、まちづくりという言葉は使わない。古い工場に新しいデザインやコンセプトを持ち込み、再生する様を楽しみたい。他都市の事例研究や散歩道のデザイン研究、工場再生計画の検討などの活動の末、たどりついたのが、キーワードとしての「対話:ダイヤログ」。散歩道の古い町並みに新しいものを、これから作られる新しい街「空港島」には古い文化と精神を。そしてそれを実践するNPOとしての「タウン・キーピングの会(ToKO)」の設立。今はそんな筋書きを思い描きつつ、月に一度仲間と話し合っている。

最近のまち歩き・すまい巡り
 私のホームページの中の「すまい・まちBOX」を開くと、「まちづくり・あれこれ」「すまいづくり・あれこれ」「まちなみ・あれこれ」や「建築アルバム」などの各項目がある。ここで少し最近掲載した見学記を紹介しよう。
 「まちづくり・あれこれ」には、建築学会等の見学会や仕事の関連で巡り会った様々なまちづくり活動について紹介をしている。最近ではこの4月に三重県伊勢市河崎へ行って来た。伊勢市は三重大学の浅野先生の指導の下、住民参加型の都市計画マスタープランづくりで全国的にも有名だ。当日は伊勢河崎の歴史と文化を育てる会会長の西山保史さん、市会議員の村田さん他の方たちに案内をしていただいた。2階出窓部分で壁面がぐっと張り出す印象的な外壁と大庇と呼ばれる片流れ屋根が特徴的な伊勢独特の建築物が並ぶ町並みは、今でこそ伝統的建築物群として見直されているものの、西山さんたちが活動を始めた昭和50年代には全く省みられず、河川改修に伴い全て移転撤去される所をねばり強い活動と時運の中で現代につなぎ、村田さんたちの年代でNPO活動として開花していくストーリーは感動的ですらある。現在、市による商人館の整備中であるが、市とNPOの新しい連携の形として今後が期待される。
 ちなみにその前年には高浜市のウォーキングトレイル「鬼のみち」整備やシルバーハウジング、宅老所等を見学し、地元の方の話を伺っている。積極的な市長のリードにより次々と新しい取り組みにチャレンジする高浜市は、引き続き注目していきたい市の一つである。
 「すまいづくり」では、特に住宅づくり活動や整備中の住宅地などを取り上げている。最近では6月に岐阜県営北方住宅を訪れた。この住宅は、梶原知事の指示直下、磯崎新のコーディネーターの下、4名の女性建築家と1名の女性ランドスケープデザイナーにより設計された意欲的な住宅団地だ。当日は社会学者の上野千鶴子や複数の建築家等のパネルディスカッションを楽しんだ後、現地を訪問した。家族の流動化と住宅に求められる機能の変化を巧みにかつ前衛的に住戸計画として表現した建物は、非常に刺激的だ。家族の変化を先取りした住戸形態に家族が付いてこれないんじゃないかと心配するが。
 その他、昨年の7月には長湫南部自然地形型住宅地、1月には足助の高嶺下地区ファームビレッジ構想地区と職員住宅を見学した。前者は土地区画整理事業の中の一画として計画しているもので、後者ともども安住の会の活動の一環としてその実現に協力できればと考えている。
 「まちなみ・あれこれ」は、個人的に訪れた街並みの記録である。その多くは住民によるまちづくり活動や市町村の景観行政の成果としてその姿があるが、こうした活動に対する取材や交流をすることなく、個人的に、場合によっては家族とともにまちを歩いてきたものをこのコーナーでまとめている。最近では家族で3月に行った福井県上中町熊川宿の町並みを紹介している。熊川宿は福井と京都を結ぶ通称鯖街道の宿場町の一つで、往時は大小の問屋が軒を連ね大層繁栄していたとのことである。たまたま入ったギャラリーが古い民家を現在の住まいとして利用していくためのモデル住宅として吉田桂二設計により整備されたものとのことで、現代的にアレンジされた豊かな空間には妻も感激していた。また、葛切りに葛もち、葛うどんを食べた葛の店では、店のおばさんに聞いた昔の話が面白かった。ほんの20年ほど前にはパチンコ店もあったという話には本当にびっくり。日本の都市構造はどうなっているんだ。
 その他、昨年の秋に訪れた高山や、家族で水郷めぐりを楽しんだ近江八幡なども紹介している。もともとこうしたまちを歩くのが楽しい、という私の思いが、このホームページづくりに駆り立てたもので、私の原点でもある。
 これらの範疇に収まらない単体の建築物等は「建築アルバム」のコーナーでまとめている。最近では5月に訪れたゴジカラ村ケアハウス(長久手町)、昨年12月に訪れたヨドコウ迎賓館(兵庫県芦屋市)、11月に訪れたひかりのさとファーム(東浦町)などを紹介している。ゴジカラ村ケアハウスは木を極力切らずに建てたいという理事長の強烈な思いを、設計者・施工者の献身的な努力と、理事長さん自ら職人と膝を突き合わせて思いを伝える熱意により実現したものである。できあがったものは室内外に木がふんだんに使われ、所々未完成な部分も見え隠れするが、ある意味野趣のある建物になっている。このケアハウスの隣には子供たちの自由奔放な活動を大事にする幼稚園「もりのようちえん」や、木がふんだんに使われた福祉専門学校「もりのがくえん」などもあり、理事長のある種理想郷を具現化した地域となっている。

(遊)OZAKI組
 最近、私のホームページの構成を大きく変えた。「http://member.nifty.ne.jp/toshishi/」を開くと、「Toshi-shiの住まい・まちBOXが発展改称!『(遊)OZAKI組』」と大きく書かれている(もっともまた気分が変わるかもしれないが)。ホームページを開設して5年も経つと、過去のものは既に現在の状況と異なってきている。整理や削除した方がいいものもありそうだ。一方で、中心市街地すまい研究会や安住の会など、私が開設しているホームページとは別のアドレスで、別の人が管理しているページもあり、そのうちで私が関わっているものはネットワークを組んでいきたい。何より気分を変えたい。そんな思いで作業をした。
 ホームページという媒体を楽しみ、活用してきた。一般企業・団体や行政等にとっては、ホームページは低廉で簡便なPR媒体としてその価値が評価されているが、個人がホームページを開設するとはどういう意味があるのだろうか。
 自分を表現したい、認めてもらいたい、訴えたい。そんな心の叫びを簡単に表現できる媒体に尽きるのかもしれない。実際、ホームページを見た人からメールをいただき、新たなつきあいが始まったこともある。今まではそうした思いの成果をそのまま積み重ねてきた。こうした情報が容易に取り出せる形で蓄積されることを評価する声もあるし、そうした応援のメールをいただいたこともある。しかしそろそろ私も自分というものを大事にし、自分から発信される情報を管理することを覚える時期が来たようだ。自分史づくりの活動を支援する動きもあるようだが、他者に向かって表現すること、そのことが自らに対して持つ意味について、心の底から問い直すことが必要かもしれない。ホームページづくりは自分探しの旅でもある。



 風と土 (2001.10. 6)
 「まちなみ・あれこれ」で報告されないまち遊びの記録を、この「まち遊び日記」の方に綴っていきたいと思います
。ご感想などありましたらよろしくお願いします。・・・さて、
 今日は、10月4日から名古屋市吹上ホールで開催されている「スーパーハウジングフェアinあいち・なごや」の催しの一つ、「NPO屋台村」に行って来ました。仕事でもあり、安住の会の屋台担当でもあり。古材バンクの井上さんやかん・ぶん・けんの小川さんなど久しぶりに会う人。週刊まちづくりの杉崎さんやフュージョン長池の方々、一粒の会の方など、初めて会う方。それぞれ楽しい交流がありました。
 午後には千葉大の延藤先生も見えて、音楽とのコラボレートによるまち育て幻灯会も開かれました。幻灯会後の参加者との交流で、一番にマイクを向けられ、頭が整理されておらず発言を断らせていただいたんですが、その後の皆さんの発言を聞きつつ、先に読んだ延藤先生の「何をめざして生きるんや」に「風の人」「土の人」の話があったことを思い出しました。
 もちろん延藤先生は自認されているとおり「風の人」。風が起こり舞い上がった土埃が我々? それは卑下しすぎにしても、「土の人」である我々には土ゆえの悩みが尽きないなあ。愛知県の長崎課長が「次回は、2005年に世界屋台村を」と言っても、長崎氏もやはり国から出向されている「風の人」。風から見れば埃に見えても、埃には埃の悩みがある。地面から離れられないしがらみ。容易に舞い上がるおかしみ。地面に積もって浮遊する哀しみ。
 土に生える植物も高く美しく咲き誇る花、陰に隠れてそっと咲く花、支える茎や根、そして踏みつけられる雑草。
 私は一体なんだろう。雑草の心を忘れず、やわらかい風の快さも忘れず、埃(誇り)を持った土でいよう。

 夜の交流会をこっそりさぼって、家族と食事を楽しみつつ、考えました。



 (有)尾崎組 (2001. 6.24)
 (有)尾崎組は、蒲郡に実在する小さな土木請負会社です。そこの一人息子として生を受け40数年。昔なら今頃3代目社長にでもなっているところを、しがないサラリーマンとなって20余年。その間、建築・住宅・都市計画の各職場で様々な経験を重ね、もともと旅行好きだったものが「まち歩き」「建築探訪」に大きな関心を寄せるようになりました。また仕事で住民参加のまちづくりに関わる経験もし、そんな体験の数々を「Toshi-shiの住まい・まちBOX」というホームページで紹介をしてきました。
 ホームページを作成・公開したのが早かったこともあり、おかげさまで色々な方面から関心を寄せていただき、新たな出会いも生まれました。しかし最近はちょっと倦怠気味。過去の記録で気恥ずかしくなってきたものもあることから、ここで一念発起(引っ越し&パソコン更新が契機?)、ホームページ名称も改め再スタートすることとしました。

 で再スタートしたところ、「Toshi-shiの住まい・まちBOX」が無くなるのは惜しい、といった感想も寄せられ、考えた結果、この(遊)OZAKI組は、私が関わっているいくつかのホームページーのナビゲートをするページという位置付けにすることにしました。もともとそんなつもりではあったんですが。時間ができたら少しづつ、「Toshi-shiの住まい・まちBOX」のコンテンツの整理をしていきたいと思っています。

 ホームページ名の「(遊)OZAKI組」は、父へのせめてもの償いの気持ちも込めて命名しました。是非みなさん、遊び仲間となって一緒に盛り上げていただけるとうれしいです。ちなみに(有)尾崎組は叔父が跡を継ぎ、現在もがんばって営業を続けています。こちらもどうぞよろしく。




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