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2001年に読んだ本


 現代イスラムの潮流
 プロジェクトX リーダーたちの言葉
 旧約聖書 十二小預言書 上下
 マイホームレス・チャイルド
 タリバン
 定常型社会
 情報文明の日本モデル
 環境問題とは何か
 マスコミかジャーナリズムか
 Sydney [シドニー]
 インターネット的
 不思議の国サウジアラビア
 旧約聖書の世界
 旧約聖書 出エジプト記
 鏡のなかの鏡−迷宮−
 旧約聖書 創世記
 旧約聖書 ヨブ記
 最新宇宙論と天文学を楽しむ本
 「量子論」を楽しむ本
 ワークショップ-新しい学びと創造の場-
 社会的共通資本
 無責任の構造−モラル・ハザードへの知的戦略
 人はなぜエセ科学に騙されるのか
これ以前に読んだ本に興味のある方は



 現代イスラムの潮流 (宮田 律 集英社新書)   2001/12/30
 9月の同時多発テロの発生で一躍、今年の話題図書となった本のひとつ。これ以外にも今年はイスラム関係の本をいくつか読んだが、本来平和を希求する宗教であるイスラム教及びイスラム諸国が欧米主導による近代化の歴史の中で、現在の苦境に陥っている状況がよくわかる。少なくともイスラム教のせいではないし、現代という時代こそイスラム及び現在の世界情勢を求めているとさえ言える。

 一方、現在の世界の様々な争乱の元は、数世紀にも遡るイスラムと欧米社会との相剋が要因となっていることも事実だ。ユーゴスラビアの問題もオスマントルコ帝国からの問題とは知らなかった。しかしそれはイスラムの罪ではなく、世界情勢の中で無理矢理争乱の中に引き込まれたと言っていい。

 そして現在の世界情勢を引き起こしている大きな原因のひとつにアメリカの世界戦略があることは多くの人が指摘するとおりである。

 こうした中で、現にイスラム組織が果たしている役割は大きいというのが筆者の主張だ。

 他宗教が共存しうるシステムを考える。これこそが今後の世界の課題である。

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 プロジェクトX リーダーたちの言葉 (今井 彰 文藝春秋)   2001/12/ 7
 職場で各自が読んだ本を持ち寄り自由に借りて読む文庫を設置した。土木系の同僚から勧められたのが本書。もちろん「プロジェクトX」と言えば、NHKの人気番組ですが、そのチーフプロデューサーを務める筆者がまとめた、取材記録とリーダーたちの言葉を集めたもの。「あなたはどの言葉で泣きますか?」という帯に書かれた宣伝文句にあるように、電車内で読んでいても思わず熱くなる言葉がいくつかある。しかし冷静になって考えてみると、これは高度経済成長期という希有の時代に現れた、又は担わされた任務に直面した人間たちの物語であり、こうした努力や人間劇は確かにすばらしいし、人を成長させ、また共有の財産ともなりうるものと思うが、現代はまた別の形で努力や任務が求められているのかもしれない。
 この番組はリーダーを待望する時代の風潮の中で支持を得ているとも言えるし、これからの時代は必ずしもリーダーの時代ではないかもしれない。そういう意味では良き時代を振り返る回顧番組という見方もできる。さらに個人的には、こうした大型プロジェクトの陰で家族や自己の問題を抱えつつ悶々と生き、死んでいった人たちの普通の人生もまた振り返りたいと思う。これからは普通の人が普通に時代を作っていく、そういう時代になるといいと思うから。
 心に止まった部分は以下のとおり。

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 旧約聖書 十二小預言書 上下 (関根正雄 岩波文庫)   2001/12/ 7
 旧約聖書の末尾に載る、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書の12の預言書を掲載。解説及び注釈を見ながら読み進めれば、なんとか理解はできる。万軍の神ヤハウェの絶対信仰を求める姿とともにメシアの預言が描かれる、特にゼカリヤ12-10にはメシアの死が描写され、これがイエス・キリスト信仰につながってていくもののようだ。
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 マイホームレス・チャイルド (三浦 展 クラブハウス)   2001/11/27
 「今どきの若者を理解するための23の視点」という副題が付く。マーケティング・プランナーである著者が、ベジタリアン、フリーター、フリマ、ガングロ、携帯電話など現代の若者を、真性団塊ジュニア世代という世代分類をした上で、生まれ育った社会背景や経済情勢等から鋭く読み解く。著者の前著「『家族』と『幸福』の戦後史」(講談社文庫)も郊外住宅地の誕生と核家族世帯の崩壊の必然を分析し、非常に興味深かったが、本書はこうした郊外住宅地で生まれ育った現代の若者の行動を分析する。

 ちなみに筆者の言う「真性団塊ジュニア世代」とは、「団塊世代の男女いずれかが産んだ子どもの数が全出生数に占める割合(が)50%以上」(P033)となる世代、すなわち73〜80年生まれのことであり、第2次ベビーブーム世代である71〜74年生まれとはほぼ5歳若い。

 最後に、国土計画批判。1998年の「新しい全国総合開発計画」を指して、

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 タリバン (田中宇 光文社新書)   2001/11/15
 話題の書を借りて読んだ。先に「不思議の国 サウジアラビア」を読んだときにもイスラム世界を世界文化の多様性の一つと捉える視点を学んだが、中東からインド・パキスタンにかけての特異な民族の歴史とアメリカに代表される大国政治に翻弄される様に、改めて、民族の独自性を抱えた政治的・経済的小国の悲哀と多様性の実現の難しさを感じずにはいられない。もちろん日本とて例外ではないが。「ビンラディン対アメリカという『グローバリゼーション』どうしの戦いに巻き込まれ」(P214)たアフガニスタンという構図から見るアフガニスタン情勢には大いに説得力を感じる。

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 定常型社会 (広井良典 岩波新書)   2001/11/11
 「新しい『豊かさ』の構想」という副題がついているが、新しい経済体制のあり方について構想する好著である。しかもけっして理想論ではなく、古典派−新古典派−ケインズ経済という経済学の流れや、欧米の政治経済体制の変化を踏まえ、来るべき時代のあるべき姿(かなりの部分は既に欧米で変化しつつある方向でもある)を描くそれはかなり説得力がある。あとがきにある「本書のテーマあるいは発想の背景には、”世代的な感覚”とでも呼べるようなものが少なからず働いているように感じている」(P185)という筆者の世代は、私より4〜5年下。私も同じ世代と共感する部分がかなりある。すなわち「成長すれば豊かになるとは思えない」という感覚である。

 そして最後に、「定常型社会」の3つの意味とその条件/根拠(P161)が示される。そこでは、時間が大きな意味を持つ。筆者は近く「死生観と時間」を主題とする本の公刊を予定しているとのことであり、それの発行が待たれる。さらには、「科学技術」−「科学国家としてのアメリカ」といったテーマの掘り下げをしたいと言う。社会保障に居を定めつつ、経済や政治、国家論まで幅広く見渡す筆者の今後が実に楽しみだ。

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 情報文明の日本モデル (坂村健 PHP新書)   2001/11/11
 TRONプロジェクトのリーダーであり、日本の情報技術戦略のトップを走る坂村氏の著書。10月29日発行にして早くも同時多発テロの影響について記述されているのは驚き。それだけ早い書き下ろしでもある。本書の主張は基本的に日本が進めていくべき情報戦略の方向を示すことにある。それはけっしてアメリカの物まねではない。日本や日本人の特性を生かすことである。併せて、マイクロソフトを痛切に批判する。

 それから本書では「コラム」として6本の書評が載せられている。そのいずれも面白そうだが、なかでも『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』が面白そう。

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 環境問題とは何か (富山和子 PHP新書)   2001/11/11
 環境問題を「汚染という『質』の問題と資源の『量』の問題」(P13)に分けて考え、「量」の問題こそより重要であるとする序章から始まる。

というのが筆者の基本的な主張。以後、こうしたスタンスで環境問題、特に「水と緑と土」の問題について展開されていく。

 水をいかに苦労して作りだしているか。それを都市の住民はまるで知らずに一方的に権利を主張し奪い取ろうとする。そうした中でもじっと我慢し耐える農山村の人々、という構図が繰り返し描かれる。

 そして話は自ら土に移る。

 最後には私も富山氏の怒りが移ってきた。日本滅亡も近い話ではないか。

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 マスコミかジャーナリズムか (本多勝一 朝日文庫)   2001/11/ 1
 久しぶりに本多勝一を読む。1985年頃から1999年までの「貧困なる精神」等に掲載されたジャーナリズムに関するコラムと対談を掲載。ジャーナリストとしてのあり方を述べる文章を読みつつ、自らの専門性と職能について自問してしまう。自答とまではいかないが。

 私はどういう肩書きがいいのだろう。「自治体職員」かな。その職能は、市民の事務局員。

 知識人の貧弱さには、職業的ジャーナリズムを経済的に支えることのできない精神的な貧困がある、ということだと思う。「骨太」とはまさにこういうことだと思うのだが・・・。

 理系出身者らしい理詰めさが本多氏の身上。それは大変わかりやすい。しかしけっして妥協しない姿勢は頑なにも感じる。すべてが本多氏の姿勢を真似できるものでもないが、時に触れることは自らを省みる機会を与えてくれる。

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 Sydney [シドニー] (村上春樹 文藝春秋)   2001/10/13
 昨年のシドニーオリンピックの観戦記。と言ってしまえば簡単なんですが、村上春樹がただのオリンピック礼賛の観戦記を書くわけがない。オーストラリアの国情やオリンピックの体質、スポーツ観、さらには人生観までが書き表され、楽しい1冊になっています。本編の大半はシドニー日誌と題して、9月11日の「シドニー到着」から10月3日の「さよならシドニー」までの日記となっていますが、その前後に加えられた、有森裕子と犬伏孝行(と河野監督)に対するインタビューが全体のトーンを締めています。冒頭の有森裕子の独白調の小説は迫真。

 村上春樹は、この本の中で一貫してオリンピックは退屈だと言う。特に開会式はどうしようもなく、シドニーでもついに途中で退席してしまう。

 それでも、次のようにも告白している。

 実際、高橋尚子の優勝シーンを書いたP222〜223の文章や、キャシー・フリーマンのゴール後を描いたP242の文章などは、その感動がそのまま伝わってきて、読んでいても胸のあたりが熱くなってくる。

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 インターネット的 (糸井重里 PHP新書)   2001/10/ 3
 インターネットそのものではなく、インターネットで開かれた新しい世界のあり方、可能性を「インターネット的」と呼び、インターネット的社会や思考法、表現法などを綴る。インターネット的の3つの鍵として、リンク、シェア、フラットをあげるのは、一般的とは言え、それをわかりやすい例えを使いながら身体的に表現していくのはさすが。インターネット的社会の支えとなっている思想として、山岸俊男さんの「安心社会から信頼社会へ」が取り上げられているのはなんとも嬉しいネ。「正直は最大の戦略である」(P102)。その他、いかにもイトイ的な表現で共鳴し、また気に入ったところは・・・

  インターネット的とは結局のところ、消費者がリードする社会、「消費のクリエイティブ」という言葉に収束していきます。それも含め、また同じホームページをつくっている経験者として、糸井氏の言われることには全く同感の意を強くしました。ちょっと偉そうですが、一応ホームページづくりに関しては私の方が先輩ですし。もっとも内容は雲泥の差ですか。

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 不思議の国サウジアラビア (竹下節子 文春新書)   2001/ 9/28
 世界貿易センター等における同時多発テロの発生以来、イスラム世界に対する関心が高まっている。たまたま私は事件が発生する前にこの本を買って"つん読"状態だったのだが、読んでみてその面白さに抱腹絶倒! もちろん内容は同じイスラム圏でも圧倒的に豊かでしかし実質鎖国状態の「不思議の国サウジアラビア」の話だが、イスラム的な世界観や人生観が感じられ、アフガニスタン情勢の理解にもある程度の参考になる。しかし何よりとにかく面白い。

 原則としてイスラム原理主義で国が動いているサウジアラビアでは、女性が全身を隠すアバヤで象徴されるように、全く自由が存在しない。女性はモノと同じ扱いで、親族の男性と一緒でなければどこへも移動ができない。街には宗教警察ムタワが徘徊し、少しでもイスラムの戒律を破るような行為があれば即刻注意される。男性も日に5回の礼拝を忘れない。酒や音楽などの娯楽は禁止。電話や手紙にも検閲が入る。
 しかし「労働人口は20%ぐらいに過ぎず、その過半数は外国人労働者・・・サウジ人は原則として単純労働にはつかず、女性は働かない」(P6)という国情の下に、国民は邸宅の高い塀やアバヤの中で自由を謳歌する。

 男女関係もなかなか興味深い。金がある限り、第4夫人まで結婚できる多妻制ではあるが、夫には絶対的な扶養の義務があり、必ずしも嬉しい・楽しいという世界ではない。結婚とは契約であり、そこには様々な条件が書き連ねられる。女性に権利がないとは言っても、金と時間はふんだんにあり、夫婦の絆も強くけっして抑圧されたり虐げられている状態ではない。

 その象徴的出来事としてあげられているのが、女性ドライバー事件だ。禁止されている自動車の運転をし捕らえられた女性たちがほとんど制裁を受けることなく、保護監督義務のある夫たちが失業するなどの処分を受けた。しかし、

 こうした状況は、西洋的進歩史観に対する疑問という形で書き表される。

 こうした西洋的思考法と一線を画して客観的・相対的に自らを見つめる姿勢は外交姿勢にこそ表れる。

 そして日本を振り返り、

 それでいて、いやその底流として、イスラムという強烈な宗教に基づく原理原則が徹底して国を支配している。筆者は次のように言う。

 現在のサウジアラビアは、圧倒的なオイルマネーの下での豊かにして規範的な国情から、経済的な不安や人口増への懸念、さらには環境問題などの課題が見え隠れしだし、方向転換への模索が必要になってきている。しかしそれらも含め、現在のサウジアラビアの姿は、日本を、世界を考える上で、一つの鏡であると言える。そうした意味も込めて、実に興味深い・面白い本である。

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 旧約聖書の世界 (池田 裕 岩波現代文庫)   2001/ 9/27
 最近、旧約聖書を連続して読んでいるが、旧約聖書全体を概観してその背景にあるヘブライの時代や文化等を綴りつつ、多様な文化や世界観に気付かせてくれる好著。

 という基本認識はけっこう重要である。
 筆は「伝道の書」の著者であるコーヘレトの言葉を中心に進められる。

 という方針はかなりの部分成功していると思われる。また最後には「雅歌」の愛の調べで終わるのも日本人には安心できる。しかし、両書とも聖書的には本流でない書であることは承知しておく必要がある。

 旧約聖書はヘブライ人の壮大な歴史物語であり、思想書であり、儀典・法制を書き連ねた書物であるが、そこにはヘブライ的人生観が総体として流れている。そうした潮流はそのままイスラムやユダヤ教などの底辺にも流れていることが実感される。自らを自然の一創造物として客観的に捉え、かつそれを力にして生きていく。そんな力強さが感じられるのだ。

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 旧約聖書 出エジプト記 (関根正雄訳 岩波文庫)   2001/ 9/ 6
 出エジプト記は、そのタイトルのとおり、イスラエル民族がモーセの指導の下、エジプトから脱出する物語と、シナイ山における神との契約とそれに付随する儀典的な記述の部分で成り立っている。ヤハウェによるエジプトへの10の災禍と首子の犠牲、海が二つに割れる奇跡、そしてシナイ山での十戒。ここまでは物語としても面白いし、よく知っている内容でもある。過越しの祭りの意味は、生け贄の子羊の血を柱と鴨居に塗りつけた家は、エジプトのすべての首子の命を奪うという神の裁きを「過ぎ越す」ということからだ。また第32章には、神の怒りをなだめ聞き入れる神の姿が描かれている。ヤハウェは意外に人間的でもある(そんなことを書くと信仰を持つ方から怒られそうだが)。しかし第25章からは祭儀の準備に関する記述が延々と続く。これが最後まで続く。なんと出エジプト記の後半はこうした祭儀の規定だった。
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 鏡のなかの鏡−迷宮− (ミヒャエル・エンデ 岩波現代文庫)   2001/ 8/14
 30の短編が言葉を映し込みながらつながっていく。再生。もう一人の自分。夢。つながっていく言葉はエンデのキーワードでもあるか。
 迷宮の都市−空色の部屋−dシグマの2乗−数カウントダウン0−黒布−証人−接続部品−湿地−箱型大時計−すべてが消える(闇と空)−橋−結婚(花婿)−ひろがる平面−文字−肉屋−ヒツジ−医者−キリル文字−白い馬−都市−大洋−三本マスト−ふたり−少年−俳優−独裁者−炎−バラ色−ホル
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 旧約聖書 創世記 (関根正雄訳 岩波文庫)   2001/ 8/14
 旧約聖書、次は創世記。天地創造の7日間から始まる物語は、今までノアの箱船あたりで挫折していたが、今回初めて終わりまで通読した。聖書の原典とみられる祭司資料、ヤハウェ資料、エロヒム資料の3つの資料に分けた注釈は、何度も同様なことが繰り返し記述される創世記の成り立ちをわかりやすく説明する。創世記は天地創造から始まるけれど、選ばれた民イスラエル民族の始まりに関する物語だった。アブラハム、ヤコブ、ヨセフ。それぞれの神とともに綴られる物語は童話的であり、冒険壇でもあり、遊牧民族の生活や知恵を垣間見つつ、面白く読み進むことのできる。もちろんここで述べられる預言が後の書で成就するという預言書的役割も一部担っている。
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 旧約聖書 ヨブ記 (関根正雄訳 岩波文庫)   2001/ 7/ 7
 「ヨブ記」は旧約聖書の中でも際だって文学的であり、神と人間の対立をテーマに、西欧社会に与えた影響も強い書だと聞き読んでみた。謂われなく過酷な試練を受けたヨブは、神への信頼を表明しつつも次第にその義を問いつめようとする。そのとき神は・・・。絶対的な神への信仰を要求する怒れる神、強い神、神の父性。西洋神の絶対性とその前に揺れ動く人間の心が見られ、興味深い。ここを乗り越え人は真の信仰に入っていくのか。

 それにしてもこうして注釈や解説が付き読み進めると、少しは聖書も身近に理解することができるようになる。次の節も興味深い。

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 最新宇宙論と天文学を楽しむ本 (佐藤勝彦監修 PHP文庫)   2001/ 6/ 4
 佐藤勝彦氏監修の本を続けて読んでしまいました。正直言って天文学に興味があったわけではないので、1章のハイテク望遠鏡の話、2章の太陽系の惑星の話など、ちょっと退屈ではありましたが、「3章 星の誕生から死まで」から少しづつ面白くなってきて、5章の膨張する宇宙、ビッグバン理論やインフレーション理論、無からの宇宙創成論と最高に面白くなってきたところで終わってしまう。うーん、物足りない。最後に引用されている谷川俊太郎の詩

本当に科学は、そして人間は面白い。

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 「量子論」を楽しむ本 (佐藤勝彦監修 PHP文庫)   2001/ 5/23
 「量子」と書いてなんて読む?りょうこ?違う違う、りょうしだよ。といった感じで始まる本書は、その程度の知識しか持たない私にも非常に分かりやすく「量子論」について説明してくれる。「シュレーディンガーの猫」が案内をしてくれるという設定も面白い。「量子」とは素粒子の仲間かと思っていたら、エネルギーの単位だったんですね。
 光の正体を探る研究から始まって、「あらゆる物質が波としての性質を持っている」(P157)に至るまでの筋道は、確かに不思議ではあっても十分に納得がいきます。「私達の周囲にあるような大きな物質が持つ波は、その波長があまりに短すぎて、しかも波が収縮しているので、こうした物質には波としての性質が明確に現れてこないから」(P157)。しかし「波が収縮しているので」というのがくせ者。話は進み、ついに「多世界解釈」(パラレルワールド)にまで及んでしまいます。しかしこれはあくまで解釈論。それより「自然は観測によって状態が初めて決まるものであり、誰も観測していないときにはすべては決まっていない、確定した事実は何一つ存在しない」(P186)という「観測」という行為の意味を巡る解釈の方が面白い。これはまるで現象論のようです。そして「真空では粒子と反粒子がたえず生成・消滅している」(P236)という反粒子の発見。こうした考え方、こうした物理の真実が次から次へと明らかにされ、またわかりやすい。これはしばらく、この佐藤先生の著作にはまりそうです。
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 ワークショップ-新しい学びと創造の場- (岩波新書)   2001/ 4/26
 「まちづくり」の場面ではおなじみのワークショップ。住民参加・住民主体のまちづくりを進めていく上では、住民学習と合意形成の一手法という捉え方をしていたけれど、一方で芸術活動などの場面でもワークショップという試みが開かれている。これらを含めてワークショップの全体像を描き解説している。ワークショップの捉え方のイメージが変わった。
 まずはワークショップを「参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学びあったり創り出したりする学びと創造のスタイル」(P11)と定義する。「『参加』『体験』『グループ』という三つがキーワードとなる学習法」(P11)とも。まずここから違和感があるではないか。しかしあくまで学習法なのだ。そしてそのエッセンスは「『輪になって坐る』ということと、『深く聴く』という、シンプルなことにある」(P5)というトーキング・スティックの紹介から始まる書き出しも印象的だ。
 こうしたワークショップの定義と歴史・背景に続いて、その分野を7つに分けて概要を説明する。
「1.アート系/2.まちづくり系/3.社会変革系/4.自然・環境系/5.教育・科学系/6.精神世界系/7.統合系」の7つだ。そして、ワークショップの実際として、「ジョアンナ・メイシーの『つながりを取り戻す』ワークショップ」「『自分という自然に出会う』連続ワークショップ」の事例が紹介される。

 第3部のワークショップの意義は、また解説的になる。そこに書かれていることはある意味とても一般的ですらある。例えば「『受け身型』から『参加型』へ」(P133)、「こころとからだ丸ごとの学び」(P137)「お互いに学び合う」(P140)という、ワークショップの特徴を解説する小見出し。「プログラム・デザイン」(P143)「ファシリテーター」(P146)
 中では「ワークショップを総合的、ホリスティックな学びの手法ととらえるとき、理性偏重でなく、ボディ=身体、マインド=知性、スピリット=霊性・直観、エモーション=感情、など、人間にとって重要な四つの側面からのアプローチをそれぞれ大切にし、それぞれの要素が統合された時、全体的な学びや創造が可能になる。」(P148)という言葉が印象的だった。

 まちづくりの場面においてもワークショップをこのようなものとしてとらえることができれば、まちづくりの真意の部分に一歩近づくことができるかもしれない。そうした可能性を思う。

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 社会的共通資本 (宇沢弘文著 岩波新書)   2001/ 3/27
 「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能とするような社会的装置を意味する。」(はしがきP2)
 経済学的な視点からヴェブレンに代表される社会的共通資本の理論を解説している。
「社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。」(はしがきP2)
 ということで、「第1章 社会的共通資本の考え方」に続いては、「農業と農村」「都市」「学校教育」「医療」「金融制度」「地球環境」の各分野で、社会的共通資本としての在り方を述べていく。経済学における新古典派理論やケインズ経済学を否定しつつ、社会主義・資本主義を超えるものとして、制度主義を規定し、制度主義の経済制度として、社会的共通資本とそれらを管理する社会的組織をあげている。
 「二十世紀の世紀末的状況は、資本主義の国々と社会主義の国々とを問わず、二十世紀を通じて、さまざまな社会的共通資本の管理・維持を適切におこなってこなかったことにもっぱに起因するといっても過言ではない。」(P9)
 私に経済学的知識と素養が欠けているため、そう感じるのかもしれないが、なんだか私にはそれこそ社会主義そのもの若しくは共産主義のように感じられる。
 「社会的共通資本の管理について、一つ重要な点にふれておく必要がある。社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。」(P23)
 まさにテクノクラートの思想であり、しかしそれがけっしてよい結果をもたらさなかったのは現在の状況が証明しているように感じる。専門的知見も職業的規律も時代の変化と科学の進歩の前では流動的にあらざるをえないから。
 以下は各分野に沿って、それぞれ社会的共通資本として的確に管理されるべきであり、それがされなかった結果として現在の状況があるという指摘がされるのであるが、では誰に管理をゆだねれば良かったのか。結局信頼できるシステムの提示はなかったように思う。
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 無責任の構造−モラル・ハザードへの知的戦略 (岡本浩一 PHP文庫)   2001/ 1/26
 JCO臨海事故を事例に、いかに組織が無責任構造へ変化していくかを説きつつ、社会心理学的に、「同調」「服従」「価値観の内面化」の心理的なメカニズムと、「権威主義的組織」「属人主義」がもたらす歪んだ組織の中で、いかに良心に従い「無責任の構造」から脱却するか、そのノウハウが書かれている。事例−理論−ハウツウという構成はわかりやすいけれど、最後のノウハウはやや蛇足かな。以下、興味を引いた記述。

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 人はなぜエセ科学に騙されるのか (カール・セーガン 新潮文庫)   2001/ 1/17
 「懐疑する精神と驚嘆する感性」に支えられた科学の心を育てていくことで、現代の社会は作られてきたし、いや、そうした科学する心は、未開といわれる地域でも、また古代から人間の歴史と発展を支えてきたことを強く訴え、特にアメリカで蔓延する、宇宙人や超能力、そしてカルト宗教などを論破していく。
 また後段では、科学は民主主義と相性が良く、自由と双子の関係になっていることを、アメリカの独立を指導した人々をあげながら説く。
 「懐疑する精神」は吟味する態度につながり、「驚嘆する感性」は自由を守る気概につながる。そして自由に羽ばたきつつ科学は発展し、吟味を経て真実を求めてきた。真実はまだまだ明らかになっておらず、科学はまだまだ発展をする。そうした厳密にして自由な精神が科学の心でもある。
 この著作は、科学者カール・セーガンの遺書でもあった。
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